第107話 あの日から ACT2

「なははは、ちょっと買いすぎたかなぁ」

重いなぁ。んんんっ、買い物袋の取っ手が手に食い込んでくる。


久々に一気に買い込んでしまった。


何だろう。今日特売だったから? それにしてもちょっと買いすぎだ。

これじゃ一人分じゃなくて2人分の量だ。


どうしてこんなに買っちゃったんだろうね。ちょっと苦笑いしながらなんとか今、住んでいるマンションに辿り着いた。


「ふぅ、じがれたぁ―」


キッチンのスペースに置いてある冷蔵庫の前で、ぺたんと床に座り込んでしまった。


「ああ、手真っ赤だよ。久々だなぁこんだけ買い込んだの」


ふと見上げる冷蔵庫。

一人暮らしにしては大きくて立派な冷蔵庫だ。


前に住んでいたところでは冷蔵庫はなかった。引っ越しの時、武村のおじさまが、冷蔵庫はないと困るからって購入してくれた。


一人暮らしを前提にサイズを選ぼうとしたら「繭ちゃん料理好きだったよね。それなら大きいのにした方がいいんじゃないのか」と、言ってくれた。

遠慮もあったが、なぜかその言葉に物凄く安心感を覚えた。


そして選んだのがこの赤い冷蔵庫だ。


でも、前に暮らしていたところで、私は冷蔵庫無しでどうやって暮らしていたんだろう。特別不自由はしていなかったような気がしているんだけど。


「ふぅ、早くしまわないとせっかく買ったものが傷んでしまう。あ、いけない! アイスも買っていたんだ。溶けちゃう、アイス、アイス、溶けちゃうよ!!」


冷蔵庫を開け、きちんと整理された庫内に新たに買って来た食材を並び入れる。

小分けなどは、調理しながらやるから、今はとりあえず取り出しやすいようにどんどん入れて行った。


ぱたんと扉を閉め「ふぅ―」と一息。そして冷凍庫を再び開け、アイスを一つ取り出した。スプーンを持ってきて、アイスの蓋を開ける。


やっぱり少し溶けていた。

そのアイスをスプーンで掬い、アムっと口に頬張る。


冷たさと甘みが口の中に一気に広がった。


「美味しい……」そう呟きながら、顔が『にヘラッ』と締まりのない顔になっていた。


鏡に映るその顔を見ながら「ヘンな顔」と呟く私だった。


キッチンが優しい香に包まれていく。

この煮物を作ると心が和む。火を止めて、少し落ち着かせ具材に味が染み込むのを待つ。あとはそれだけだ。


ご飯も炊けている。


食器棚にある茶碗を手に取る。その食器棚にはもう一つ茶碗が置かれている。

一人暮らしなのになぜか、食器は2人分ある。箸ももう一膳ある。

それがどうしてなのかは、自分でも考えたことも思ったこともない。


……二人分あるのが当たり前だからだ。


器に煮物をよそうと、ほのかな湯気が立ち込め、出汁の効いた香りが抜けていく。


「今日の出来も合格点かな」


ダイニングテーブルに出来立ての煮物を置き、椅子に座り「いただきます」と言い、箸で煮物をつまみ口に入れる。


うん、美味しい。


「美味しいねぇ」何となくこの煮物を食べると、いつもこのテーブルの前に誰かがいる様な気がしてくる。


その人がこの煮物を食べる姿が、うっすらと浮かんでくる気がする。

いつもそうだ。


何だろう懐かしい気持ちになる。


……そして。


私の幸せの一部がうっすらと涙に変わる。




仙台に来てから3年が過ぎ去った。いやもうじき4年目を迎える。

村木支社長が長くても2年と言っていた任期は大幅に延長された。


ここまで来れば、もう仙台で俺はこのまま暮らしてもいいような気にもなってくる。



何も、無理をして東京に戻る必要は何もない。

住めば都とはよく言ったもので、この仙台での暮らしも俺なりに馴染んでいた。


そんな気持ちとは裏腹に、会社は俺を急遽東京に呼び戻したのだ。


13番線の列車は、はやぶさ64号、こまち64号東京行きです……。


「それじゃね浩太。今度は東京で待ってるよ」

「ああ、マリナさん。またお世話になります」


「何言ってるのよ今さら、みんなあなたが戻ってくるの待っているんだから」

「本当ですか? なんかもう俺の事なんてみんな忘れちゃっているんじゃないんですかねぇ」


「あはは、そんなことないわよぉ。長野君なんか浩太が帰ってくるのずっと待っていたんだから」


「ああ長野かぁ、彼奴すっかり変わりやがって、この前なんかメールで「また太ったよう」なんてよこしていましたよ」


「ホント、長野君太ったわよねぇ。あれが幸せ太りと言うもんなんだ。ま、今や2児のパパなんですもんね」


「彼奴がねぇ、でもよかったですよ。彼奴も幸せそうで」

「そうねぇ、いろいろあったわねぇ彼には」

ニコット無邪気な顔をしてマリナさんは笑った。


この人は本当に年を取らない。

いや、逆に前よりも若く感じるのは何だろう。気のせいか? なんていったら引っ叩かれそうだ。


「それはそうと水瀬の結婚式来月でしたよね」


「そうそう、あの愛理ちゃんが浩太以外の人と結婚するなんてねぇ。悲しんでしょ浩太。いいよ泣いてもぉ。あ、それよりもいっそのこと私たちも籍入れちゃおうっかぁ」


「あれぇ、マリナさん。今更そりゃないでしょう。俺、一応マリナさんからはフラられているんですよ」


「なはは、そうだったわね。浩太の事は今でも本当に大好きよ。それに愛しているよ。その気持ちには変わりはないけどね。でもさぁ、出来なかったんだよねぇ……私たち。それにさぁ夫婦で管理職って言うのもなんだかねぇ。ま、私は浩太よりも仕事取っちゃったて言う事で収めてよ」


俯きながら俺の目から、自分の視線をそらしそう言った。


「今のこの関係が私にはとても居心地がいいのよ」


そんな彼女を抱き寄せ耳元で

「とっくに理解してますよ専務」

「馬鹿」と頬を染めて言うマリナさんだった。



半年前、水瀬がアメリカから帰国して来たとき、彼奴は一番に俺の所、この仙台にやって来た。


そして俺に会うなり開口一番


「先輩。ごめんなさい!!」と深々と頭を下げた。


「おい水瀬、久しぶりに再会して、いきなりごめんなさいとは何なんだ」

「えへへへ、じつわぁ。……私結婚するんですぅ」


「えっ! あ、……マジ?」


「マジですよぉ!」

「そ、そうなんだ」


「ああ、先輩ショックでしょう。そうでしょう、私にフラれちゃいましたからねぇ。動揺してます? してますよねぇ」


「し、してねぇ……動揺なんて」

「本当ですか?」


「今日は嘘ついていい日じゃねぇのは知ってるよな」


「知ってますよ」ニコッと水瀬は言い返す。


「イケメンなのか?」

「う――ん、先輩よりはちょっと落ちるかなぁ」


「向こうの男なのか?」

「日本人ですよ」


「そ、そうか……な、何でそいつと結婚するんだ」


「あ、先輩ヤキモチ妬いてくれてるんだぁ。嬉しいなぁ。初めてじゃないですか、先輩が私にヤキモチなんか妬いてくれたの? でももう手遅れですよ。水瀬は売却されました」


「売却って……お前」


「優しい人なんです。先輩の様に……私をちゃんとその優しさで包み込んでくれちゃうんです。先輩、私は先輩の事愛していました。でも、私にとって先輩は先輩なんです。それを彼が私に教えてくれたんです。私にとって先輩は高嶺の花だったんだって言う事を」


「水瀬」


「うん、だから……私先輩の事諦めました」


俺の目を見つめて水瀬は言い切った。その目は涙で濡れていた。


「うっ、グシュ……。だから水瀬は新しい恋にめざめることが出来たんです。……ごめんなさい先輩」


俺の胸に抱き付き、思いっきりその涙と鼻水で俺のシャツを濡らした。

そして胸に抱き付きながら


「あ、そう言えば訊きましたよ先輩。マリナさんからもフラれちゃったんですね。先輩も早くいい人見つけてくださいね」


な、なんだ! 水瀬、お前。


でもよかったな。

おめでとう水瀬、幸せになれよ。


「ああ、でもさぁ久しぶりに先輩にこうやって抱き付いちゃうと、考えちゃうなぁ。やっぱ、結婚するのやめよっかなぁ」


「え、おい!」

「えへ、冗談ですよ……先輩」


左手を空にかざし、幸せそうにその薬指にはめられたリングを見つめる水瀬の顔は。


……満面の笑みでほほ笑んでいた。

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