第96話 リセット ACT7
美山専務の表情が変わった。
だが彼は、それ以上の事を俺には追求しなかった。
「少々我儘なところがある娘でしてね。今は好きにさせてるんですよ。色々とご迷惑おかけしていると思いますけど……」
なんかいけすかねぇな。……此奴。
絶対に口にしちゃいけねぇけど。
俺はこう言うタイプの人間が、男が一番でぇきれぇだ!!
しかしその年齢具合から考えても此奴、繭の実の父親じゃねぇのは分かる。
いくらなんでも通常じゃ辻褄があわねぇからな。
繭と出会った頃俺は彼奴には何かあるんだと、それも彼奴の家庭に何かあるんだとそう思っていた。家庭、繭の育った家庭とはどんな家庭だったのか……。
俺はあえて繭の過去を訊かなかった。聞いたところで、あの時俺が出来ることは何もねぇと思ったからだ。
ただ、それは今も同じだ。
例えこの若き専務たるものが、繭の父親だという事が事実であろうが、そして、このきな臭い感じがいくらこの俺が感じ取ろうが、繭に何かをしてやることは何も出来ねぇからだ。
「先輩、先輩……」
「あぁん?」
「先輩駅あっちの方ですよ」
「ああ」
「どうしちゃったんですか?」
「ちょっと考え事していてボーとしていた」
「でも驚きましたよねぇ。まさか繭ちゃんの父親があの専務さんだったなんて。それも奥さんが現行の社長だそうじゃないですか。そうなれば繭ちゃんって社長令嬢じゃないですか。凄いですよ」
「ああ、そうだな」
「実は先輩ショックだったんじゃないんですか?」
「なんでだよ」
「だって社長令嬢ですよ。あの七菱商事と提携ある会社ですよ。あれだけの規模の会社なんですもの、やっぱり社長令嬢て呼ばれるんじゃないんですか。私たちとは次元が違う生活してきたんでしょうね。お嬢様なんて呼ばれてたりして」
「なぁ水瀬」
「なんですか先輩」繭の事で浮足立っている水瀬に
「美山専務との話なんだが、繭には俺たちが美山専務の会社に関わっていること、言わねぇでいてくれねぇか。もちろん美山専務と会ったことも含めて」
「何かあるんですか?」
「いや、特別意味はねぇんだけど。ただ何となく、彼奴はあんまり関りたくねぇんだと思うんだ。まぁ俺の勝手な憶測だけどな」
「そうなんですか……でも考えてみればちょっと変ですよね。何不自由なく生活できるのに、どうして一人暮らしをしているんでしょうね」
俺は水瀬のその問いに何も答えなかった。
「ま、いいかぁ。先輩がそう言うんだったらそうしておきますよ。でも……」
「でもなんだ」
「今の先輩の顔物凄く怖いんですけど!」
「はぁ?」
「また眉間に皺寄せているんですもの。すれ違う人から変な目で見られていますよ」
「マジ?」
「マジです! 私は見慣れているから大丈夫なんですけどぉ。世間一般では、はっきり言って怖いですよ。やばい人に見えますよ」
「おい、俺をそっち系に引き込むつもりか?」
「えへっ、なんか言いましたか? 先輩」
俺の前に出て、踵を返す水瀬のその笑顔は今、とても輝いていた。
それから2週間何事もなく時間が過ぎ去った。
後1週間と少し……水瀬がアメリカに旅立つまでの残された時間だ。
ふと顔を上げれば、水瀬の姿が見える。それがもうじきその姿が俺の視界から消える。
「なぁ水瀬引っ越しの準備大丈夫なのか?」
メールで水瀬に送ってやった。
「やばいです……!! いくらやっても片付きません」
「本当に大丈夫なのか? あと時間あんまりねぇぞ」
「そうなんですよねぇ。明日の休み先輩手伝いに来てくれますか?」
「えっ、女の一人暮らしの引っ越しに俺が行ってもいいのかよ」
「大丈夫です。変なとこ開けなければ多分……でも先輩だったらま、いいかぁ。何見られても……」
なんか意味深な返信だな。
ふと水瀬の方に視線をやると水瀬はにっこりとほほ笑んで、いやひきつった顔で俺に返した。
よっぽど切羽詰まっているらしい。
「分かった手伝うよ」
「やったぁ!」
これで、明日の予定は埋まったな。
水瀬のアメリカ支社への転属辞令が正式に交付された時、俺は、水瀬にある程度、嫌がらせをかける奴が出てくると思っていた。まぁそう言う事をやりそうな奴の事を何人かピックアップして阻止しようとしていたんだが、何のことはない、あの社内コンテストの余韻がいまだにこのオフィスでは消えていなかった。そのおかげだろう。転属と言っても研修と言う名目が付いているという事もあり、水瀬をなじるような奴は出てこなかった。
アメリカ支社。本拠地はニューヨークだ。その他各子会社を巻き込み、最近カナダ支社が設立するという噂も耳にしている。支社と言っても現行、ここ東京が一応本社となっているが実質なところ、アメリカ、ニューヨーク支社が今、この会社の中枢であることは誰もが認めている。
最も今、水瀬が転属する部署は依然マリナさんがいた部署だ。
あのマリナさんの毒牙……いや、いまだに残るその権威は水瀬を逆に温かく迎い入れてくれるだろう。その根回しも、しっかりとマリナさんは行っての辞令交付だった。
珍しく今日の昼、マリナさんから誘われた。
時間も時間だったから、社食ランチ定食ギリギリの時間に、俺たちは昼食をとった。
「今日はカレーと、サバの味噌煮定食なんだぁ。浩太はどっちにする?」
「俺はカレーで行きます」
「それじゃ私はサバの味噌煮定食かなぁ。サバの味噌煮私大好物なの」
その容姿に似合わず、サバの味噌煮が好きだなんて。やっぱり半分は日本人の血が流れているんだな。そんなことをふと感じさせるマリナさんと共に一番奥の席に俺たち二人は自分の定食を持って座った。
対面に座る俺の顔をマリナさんはじっと見つめ
「浩太やっぱり寂しんでしょ」
「ええッと、まぁなんていうかそのぉ、……ちょっとですけど」
「本当にちょっとだけなのぉ?」
「本当にちょっとですよ」
「ふぅーん、そうなんだ。私は月一位に向こうに行けるから、愛理ちゃんには会えるんだけどね」
「え、そうなんですか? 毎月アメリカに行くんですか」
「あらいけない?」
「いけなくはないんですけど」
「あとねぇ、愛理ちゃんがいない間浩太の事は私が可愛がっておくから心配しないでって、愛理ちゃんには言ってあるから、二人でこれから楽しみましょうよ。ちゃんと許可はもらっているから大丈夫よ」
「許可って、何の許可何ですかねぇ」
「そんなの分り切ってるじゃないのぉ。私はいつでもいいわよぉ、あなたの赤ちゃんここに宿らせるのぉ」
「ちょっちょっと待ってくださいよ。許可ってそう言う事の許可何ですか?」
「そうよそう言う事も含めての許可よ。彼女が帰ってきたら、すぐに兄妹作ってあげないとね。一人っ子は可哀そうでしょ。んーとね私と愛理ちゃん二人だから一人2人は産めるわね。浩太あなた4児のパパになるのかしら。それじゃ、もっと頑張んないとね」
おいおい、この人はなんという妄想を抱いているんだ。妄想? マリナさんの場合妄想じゃすまなくなりそうだから、こえぇんだけど。
カレーをスプーンで掬いライスにからめ口にする。
意外とここのカレーはうまい。
こう言うところのカレーで俺がイメージしてしまうのは、高校の時の学食のカレーの味だ。
カレーと言うよりは、野菜入りのカレー風味とろみ餡と言った感じだったのを、今もこの舌は記憶している。
それでもあの頃は、腹が満たさればそれでよかった時代だった。
「ところでさぁ、最近繭ちゃんと会っていないけど、元気にしているの?」
唐突にマリナさんは繭の事に触れた。
「ええ、バイトも続けていますし、特に変わった様子はないですけど。何かあるんですか?」
「あ、なんでもないのよ。元気ならそれでいいのよ」
マリナさんは綺麗にサバの味噌煮を橋で切り分けながら、そんなことを俺に訊いてきた。
その時俺は、あの美山専務の裏に隠されたもう一つの姿を、何となく感じている自分と、今のマリナさんの言ったことを、なぜか重ね合わせようとしていた。
そして俺はのちに、今この感じる憎悪に似た感情を何故、受け止めなかったんだろうか……。
後悔はするためにあるんじゃない。
したくなかったら、俺はすでに行動を起こすべきだったんだ。
……繭に対して。
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