第95話 リセット ACT6
「おい水瀬、もうじき出るぞ」
「あああ、せ、先輩もう少し待ってくださいよ。あと一行、これだけ書かせてください」
「ヘイへい、そんなに慌てなくてもいいぞ、準備出来たら呼びに来い喫煙所にいる」
「はぁい」
煙草に火を点け、煙を吐き出した。
窓から眺めるビルの影。
「あと1か月かぁ」
ぼっそりと口に出た言葉。
水瀬とこんなふうに仕事が出来るのも、後1か月もない。
部長、いや、マリナさんからこの話を訊いた時。俺は耳を疑った。
「本当に、いや、本当なんですかマリナさん」
「本当も何も、もう辞令は公布させたわよ」
「いや……」
「どうしたの浩太? もしかして寂しいの?」
「いや……」
「いやって何よ。水瀬さんと離れるのがそんなに嫌なの」
「あまりの展開に正直動揺してるんです」
「でしょうね。アメリカ支社への移籍出向。でもね、水瀬さんにとっては大きなチャンスだと思うのよ。彼女ほどの才能をこのまま埋もれさせたくはない」
「それは俺の下にいれば……。はぁー、確かにそうだよなぁ。彼奴の才能は俺なんかもう手の届かねぇところまで行っちまってるからなぁ」
「やっぱり浩太って、ちゃんと水瀬さんの事見ていたんだね」
「当たり前じゃないですか、俺にとって水瀬は大切なブレインですよ。もう先輩後輩なんかの枠はとうに卒業していますからね」
「で、浩太はどうなのよ」
マリナさんの人差し指が、俺の
「あなたのこの奥にある思いは、どこまで浮上させることが出来るのかしら」
「思いって。水瀬とは……」
「別に無理する必要なんかないと思うんだけど、浩太が素直になればそれで済むこと、すべてが解決することじゃないのかなぁ。それともあなたはもう一つの『想い』に振り回されているの?」
もう一つの想い。
「私はどちらでもいいんだけど。それはあなた自身が決める事だからね」
「先輩、先輩」
「あ、わりぃ。もういいのか」
「ええ、お待たせしました。それじゃ行きましょ」
「ああ」吸いかけていた煙草を灰皿でもみ消して、俺は水瀬と社屋を出た。
今日は前に俺と水瀬がプレゼンしたあのプロジェクトの中間報告と、打ち合わせの為クライアント先に俺たちは出向いている。
「先輩そう言えば、このプレゼンの後私たち風邪ひいて熱上げちゃいましたね」
「ははは、そうだったな。あんときはマジ苦しかったなぁ」
「ああ、ひどぉい! 私から移った風邪そんなにも狂暴でしたか?」
「ひでぇもんだったぜ。なにせ水瀬菌たんまり俺の中に注入されちまったんだからな」
「水瀬菌? 私の菌ってそんなにやばかったんですか?」
「ありゃ、大変なもんだ」
「でもさぁ、先輩。私にも浩太種挿入されたんですけど」
「うっ!」
「でも、出来なかったんだよなぁ。結構いい時期だったんだけどなぁ」
「え! お前安全日だって言ってなかったけ」
「そうでしたか? 私もう記憶にないですよ」ニコッと笑って、水瀬は俺の一歩前を踏み出して歩いた。
「ふん、こいつめぇ」
クライアントとの打ち合わせとシステムの進捗状態の確認も双方で行い、両意一致でこのまま作業を進めるという事で話がまとまった。
思いのほかかなりスムーズに話が通ってくれて一安心だ。これで、クライアント側から修正や、異議などがでれば、その点について話し込まなければいけなくなる。もちろん予算の面でも納期の面でも、もろもろとした細かい部分の事項が付随してくる。何もシステムの変更だけではすまない。
「お疲れさまでした。山田さん。本当にいい出来ですよ。これなら、安心してお任せできると思います」
担当からそう労いの言葉をかけられ、報われた気持ちに浸っていた。
「ところで今日はうちの専務が、直々に山田さんにご挨拶をしたいと申し上げておりまして、もう間もなく来られると思うんですけど、もう少しお時間いただいてもよろしいでしょうか」
「構いませんよ。専務さん直々に挨拶にお越しいただけるとは光栄です」
俺たちはしばしの間、その専務なる人物が来るのを待った。
部屋のドアがノックされ扉が開き、俺たちのいる部屋に足を入れたその男性のその姿は、俺たちが想像していた人物像とはかけ離れていた。
専務と言う役職とこの会社の規模からすれば、その役職の年齢は若くても前の部長、基、現仙台支社長と同じくらいだとばかり思っていた。だが実際に俺たちの前に現れたのは、俺とさほど年齢が変わらい位の若い男性だった。
「御待たせしてすみませんでした」
にこやかに人当たりのいい感じのその男性は、俺たちに対して礼儀正しく挨拶をした。
さっそくお互いに名刺交換をし、席についた。
名詞には専務取締役
本当にこの若さでこの大手とも言われる会社の専務に、就任しているとは驚きだった。
「どうかなされましたか? 山田さん」
「あ、いや……、失礼とは存じますが、私が想像していた専務さんのイメージが違っておりまして」
「あははは、そうですよねぇ、よく言われます。もう慣れっこですから気になさらないでください。お互い同年代くらいなんですもんねぇ」
「そ、そうですね」
硬さもなく、とことん柔軟な姿勢の好青年と言った感じだった。年も近いという事もあり話しやすかったのは事実だ。しかも美山専務は話の運び方がうまい。
すっかり打ち解けてしまった感を植え付けられた。
「いやぁ今回御社にこのシステムを発注して本当に良かったと思っていますよ。正直ここまでよく出来たシステムを構築なさっているとは、思ってもいませんでしたからね。これならもう少し予算の見直しも、これから検討させてもいいのかと思いますし、今後御社とは長い付き合いになりそうですから、どうか今後ともよろしくお願いいたします」
「いやいや、そこまで言っていただけるとは恐縮です。こちらこそどうか、よろしくお願いいたします」
と、ここまでは良好な関係を今後も築けそうな、かなりいい手応えのある会話だった。
だが次の瞬間、美山専務から出た言葉が俺の心を振動させた。
「ところで山田さん。君は確かいま三軒茶屋のアパートにお住まいでしたよね」
ん? 何でこの人は俺の住まいの事まで知っているんだ。身辺調査でもしたというのか?
「ええッと、そ、そうですけど、よくご存知でしたね」
「いやぁ何ねぇ、ちょうどそっち方面に私の知り合いが住んでおりましてねぇ」
あえてにこやかに話をする美山専務。
「そうなんですね。偶然ですね」
「そうなんですよ本当に偶然と言うか、正直驚きましたよ。あなたとあんな繋がりが出来ていたなんて」
彼の語尾が少し気になる感じに変わっていく。
「繋がりとは何の事でしょう。私は美山専務とは初対面のはずですけど」
「ええ、そうですよ僕と山田さんとは初対面。いやあなたは僕に対しては初対面と言うべきでしょうね」
「おっしゃっている意味が良く理解できないんですけど。私が何か美山専務と関係されていたんですか?」
彼の声のトーンが変わった。
「ええ、大いに関係ありますよ、山田浩太さん。うちの娘がお世話になっているようですからね」
今なんて言ったんだ! 確か『うちの娘』……そう聞こえたんだが。
「娘って?」
「おっとこれは説明不足でしたね。私と妻は夫婦別姓を名乗っておりまして、私の妻の苗字は『
梨積……梨積、繭。繭の……娘、繭の父親だというのか? この若き美山専務が!
「う、嘘だろう……」呆然としながら、俺は口にした。
「まぁ驚かれるのも無理もないですよね。いやぁもっと驚いてくださいよう」
女子高生と生活を共にしている山田浩太さん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます