第255話 前略、同居人と分かってるよと
「…………ふぅ」
疲れたから座る。
……とはまた別の、緊張から解放されてへたり込むように。足腰は体重を支えられずにもつれるように。
「なんとかなったぁー……」
心臓はゆっくりと自分を取り戻して、肌寒い空気も頭の中まで冷ましてくれるみたいで心地良い。
このまましばらく留まりたいけど、かいた汗がすぐに身体を冷やすのが分かっているから。
「手、貸してくれない?」
身体がちょっぴりダルいから、ほんのちょっぴり甘えたい気持ちだったから。
「ありがとう」
短い返事と手が差し出されるのが分かっていたから、あたしは手を伸ばす。
ひんやりとした手を掴んで、腰周りの汚れを払いながらようやく立ち上がる。
「…………随分と、切れ味が落ちてしまいました」
「切れ、味?なんの話?」
「これではまるで……」
なまくらです。
とても小さく、吐き捨てるように…………なんだかとっても困ったような表情で。
「んー……よく分からないけどさ。まぁ、そりゃそうだよ人間だからね。刃物みたいに単純じゃないし、分かりやすくもない」
例え話でも言いたいことが分かってしまうので。
「だからいいんだよ、きっと」
その答えをもっていないので、ありふれた言葉で。
半分ちょっとの容量で、それでも心からの言葉で。
それでも伝わるって事が分かりきっているので。
「えぇ、折れて曲がってダメになる。それが分かっているから…………それが嬉しいからとても困っているんです」
前向きな苦笑いのままに言って、リリアンがあたしの方に倒れ込む。
「うぉ……っと、大丈夫?」
緊張の糸がきれたのか、なんにせよまだ手を握ったままで良かった。
本人には言えな……言わないけど、やっぱり見た目よりも大分重い身体を支える。
「うー……うぅーーん?」
途端になんとも間抜けた声が聞こえる、あたしの肩のあたりから。
「あれ……あれれ…………」
「リリアン……?」
正確にはそこに頭を預けてるリリアンから。
本人の声のはずなのに、随分とふわふわした感じに聞こえる。
「………………じゃ、ないね」
リリアン?が一人で立てることを確認してから距離をとる。二歩、三歩。
頭、特に眼のあたりを抑える誰かと向き合う。
「セツナ……ン?」
「んー……はい、でいいのかな?」
……一瞬、返事をするかしないかで迷ってしまった。
なんだってまたそんな微妙なあだ名で呼ばれなきゃいけないんだ。
「リリ……?うーーん?」
キョロキョロ、周りや自分の姿を確認するように。
まるで敵意を感じない誰かは、まるで寝起きのように。
「あのぉ……もしかしてなんですけど……」
…………いや、誰かじゃない。
なんとなく分かるでもない、冷静になれば消去法だ。
「アオノ……さん?」
その中にいるらしい、同居人の名前を呼んでみた。
「うん?あぁ、それじゃやっぱりセツナンなんだね。へぇ、実際に見るとなんだかちんまいんだね」
あたしの質問には答えずに、なかなか失礼な言葉が飛び出す。
そんなに変わらないだろ!とか、あたしはコッチに来る時に(おそらく)縮んでるから!とか言いたいことはいろいろあるけど、それらの言葉はグッと堪える。
……文句は言いたいけど、すっごく言いたいけどぉ!
握りしめた拳をおろして、聞きたいことを先に聞く。
「あたしが知らなかっただけで、他では意外と入れ替わってたりしてたんです?」
「…………」
やっぱり欲しい答えは返ってこない。
そのかわりにズイッ、と顔が近づく。うむ、良い。
「確かに白だけど濁ってるね……混ざってる?同じか大した問題じゃないや」
白、多分だけど心の色。心の形や色が視えるリリアンの眼からみたあたしの心の色。
また周囲をぐるりと見渡しながら色を呟く。
「うん、あた……し、じゃないや。あーしがアオノさん、いつもリリがお世話になっております」
「いえいえこちらこそ…………急なキャラ付けですね」
「一応隠してるからね、大人にはいろいろあるんだよセツナン。あんまり気にしてると大きくなれないよ?」
…………ん、似てるな。
唐突に思った、感覚的に本能的に。
顔も声も姿もリリアンで、そのさらに中身は別人なはずなのに。
そしてまたもなかなか失礼な言葉も含めて。
「ルキナちゃんはまだしも……嘘、それに心かぁ。リリもノアちゃんもつまらないものを見たがるよ」
本心からの言葉だと思う。
だけどそれが冗談めかした感情からなのか、それとも自分に理解できないものを切り捨てる冷たさからなのか。その肩をすくめたため息から判別できない。
分からない。
「……そりゃアオ「分かってるよ」
そりゃアオノさんにとってはつまらないものでも。
そう、人によって大事なものなんて違うって。
そんな言葉を遮る、分かってる。
「あーしにとってはどうでもいい、つまらない、取るに足らない。そんな事がどうしようもなく大事だってことを、あたしはとっくに分かってるんだよね」
噛み合わなかった会話はいつの間にか追い抜かれていて。
返ってきた言葉はなんだかとっても意外な言葉で。
「なんにも大事にしなかった人生だったけど、新しい家族は守れなかったけど。二回目はそこそこ満足して死んだんだよ、いひひ!」
つり上がった口の端は心から楽しそうに。
ニッコリと、本当に満足そうにそれでいて困ったように、きっと年相応な笑顔でそう言った。
「…………なんだか、楽しそうに笑うんですね」
「お、皮肉?やだやだ、まだ生身だったときもよく言われたよ。『あなたの笑い方は少し意地が悪い。えぇ、即刻やめるべきでしょう。えぇ、えぇ、やめろ』」
散々言われてきた事を茶化すように、それでも一定のこだわりみたいなものを感じる人のマネ。
とりあえず、その声と姿ではやめてもらおう。あたしの精神衛生上。
「さっって!先に帰ろうかな。リリも起こさなきゃいけないし」
「んー……ひさしぶりにでてきた?ならもう少し遊んでからでも……」
まだ、少し話したいことがある。
「あれ、もしかして口説かれてる?そこそこ魅力的な提案だけどね。このままだと本当に乗っ取っちゃいそうだから、表にでるのもこれっきりかな」
「これっきり……」
「うん、これっきり。ルキナちゃんもノアちゃんもヒバナちゃんも生きてるし、リリの人生を犠牲にする気もないよ。きっとあたしは死んでよかった」
予定調和のように言い切って、お屋敷の方に歩き出す。
こんな時、うまく話せない自分は嫌いだ。
「…………あ、そーだセツナ」
「なんです?」
振り返らず、ぼんやりと空を見上げながら。
答えが、あたしの回答が分かっている。そんな態度で。
「もしもあたしがリリの身体を乗っ取るために、今でてきた…………そう言ったら怒る?」
「怒ります、めちゃくちゃ」
思考よりも先に出た言葉がそれで良かった。
リリアンの身内でも、それを許せないと思えて良かった。
「大丈夫、さっきの言葉に嘘はないよ。リリのこと、よろしくね」
よろしくされて。チョイチョイっと、手招きされる。
「んー?」
「もーちょっと」
アオノさんの手の形はピース。
どうやらその手に顔を近づけろってことみたい。
「手じゃなくて指だよゆーびー。先っちょ」
指、指ね、指。
相変わらず綺麗な指だ、角膜近くにあると体温の低さまで伝わってきそう。
ん、ちょっと爪が伸びてる?あれ、そもそもリリアンって爪のびるん「えい」
「あ゛ぁ゛!?」
!?!熱い!!?ん゛?!???!!??
「あ、ごめんね。爪伸びてた」
「ごめんじゃすまない!!!」
痛い!正確には痛いというか辛い!
痛みには強いんだけど大分奥まできたよ!?
「なんか!なんか流れてる気がする!血!?これ血!?」
「大丈夫、潰れてないよ」
大丈夫の定義よ……!
「そういえばセツナン、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……今大丈夫?」
「大丈夫に見えますか……?この状況が!!」
「まず一つ、なんであたしの外套着てないの。ノアちゃんがせっかく仕立ててくれたし、ココ寒いのに」
あ、大丈夫だと判断したんだ。スゴイなこの人!
駄目だまだ目が開かない、あと多分涙も止まらない。
「黒のマントは狙いすぎだと思ったからですが……!」
「マントじゃないよ、外套。センスがないよね、ルキナちゃんもセツナも」
消去法でいくとヒバナと師匠的にはアリなのか、ナシだね、うん。
「もう一つ、あんまり人の黒歴史的必殺技を言わないように。リリにも言っといてね」
「………………」
これについては沈黙を貫こう、眼球の痛みにかこつけて聞こえないフリ。
アオノさんが引っ込んでしまえば後は著作権フリー。
「あとあともう一個、ミナトマチでなんだけどさ」
「ゔっ」
瞬間、身体を電撃がはしる感覚。
脳が揺さぶられ、喉が渇いて、心臓を掴まれ、胃を潰され、心が軋む。
やめてやめてやめてやめて、本当にやめて下さい。
本当に本当に本当に…………本当に反省してるんです!
「あそこで逃げんのはないよ、ホントにあり得ない。リリの気持ち考えた?考えた上でアレ?極刑、情状酌量込みで極刑」
…………痛い、本当に痛い。
眼球には指が、心には言葉が。どちらも刃物のような鋭さであたしを貫く。
悪いと、本当に悪いと思ってるんですよぉ……
去っていく足音を聞きながら、涙はとまらない。
申し訳なさと不甲斐なさ、そのどちらも止め処なく。
もう少しだけ、立ち上がれない。
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