第219話 前略、無粋な音と良くない感情と

 もう少し。

 もう少しだけ、ゆっくりと歩く。少し立ち止まったり、また歩いたりしながら。


「もう少し」


 悪くない、良い気分。

 こうゆう、奇麗なものを見て。それをちゃんと奇麗だと感じれる、それだけで自分がマトモな人間だと自覚できる。


 ほんの少しだけ不安に思わないこともなかった。

 ほんの少しだけ、自分の感性とかが良くない方向に曲がってしまっていないかとか。いらない心配。


 今日もリリアンは可愛らしくて、花も庭も綺麗で空も広い。

 世界も綺麗であたしは正常。それが分かれば気分も軽くなる。



 

「……んん?」


 バァン!と上の方で窓が開く音。

 ゆっくりと歩きながら平和を堪能していたあたしを現実に戻す音。なかなか無粋な音だ。


「さて、どうしようかな」


 きっとこの音は騒動の序章、つまり人が窓から落ちてくる…………ほれみろ。

 赤い……いや、紅い。多分、中から放り投げられたんだろう、ポーーーイって感じで落ちてくる。


「まぁ、助けないっていう選択肢はないんだけどね」


 二階か三階か、そのぐらいの高さから人が落ちてくる。

 下は土。コンクリートではないけど、あの高さからだと痛いだけじゃ済まないかも。


 頑張って受け止めるしかない、大丈夫大丈夫。いつものことだ。


「んー……」


 あれ……?意外と大きいな?あたしより大きいな?

 

「…………」


 なんでこの人微動だにしないで落ちてくるの?

 なんでこの人一声も発さずに落ちてくるの?


「やるしかないかぁ!」


 なんだこの不気味な落下物。

 でも多分、人。なら頑張れあたし。


「ん゛っ!……ぐぅ!?」


「あら」


 いやこれ無理無理無理無理。

 あとなんだコイツとぼけた顔しやがってふざけんな。


「ぐぇ……」


 無理でした、覚悟が足りない。

 残念ながら、ワンクッション入れただけであたしの腕を巻き込んで地面に落ちる。


 普通に痛い、あと苦しい。


「あんた、随分と積極的なのね」


 声が聞こえる、偉そうでちょっと甲高い声。

 顔を覆うのは質の良い布の感触、それ越しに感じる柔らかななにか。


「別にこの程度の高さなんの問題もないんだけど、一応お礼は言っておくわ。ありがとう?」


 素直なお礼…………なにゆえ疑問符?

 腕をおさえていた重みが消え、顔からも柔らかな感触が離れていく。


 あたしも、お腹のあたりに埋まっていた自分の顔を引き起こす。悪くない匂いがした。


「あんた……リリと一緒にいた……」


 …………お前かい!と言いたい気持ちを抑える。

 なんてこった、ほっときゃ良かった。ほっといてもどうにでもなるタイプだろうし。


「どうしようかしら、あんたに生きてられるととても困るわ……」


 知ったことじゃねぇんです。

 え、なに、本気で悩んでんの?本気でどうしたもんか、って唸ってんの?


 阿呆、なんて阿呆。

 まいったなぁ、ほんの少しだけ減ってた不快感がものすごく勢いで蘇ってきた。


 シンプルに、不愉快。


「んん……大丈夫そうだね。それじゃあヒバナ、あたし急いでるから」


 このままだとまた引っ叩きそう。

 さすがに人としてどうかと思うので、そうならないようにここからいなくなるとしよう。


 ムカつくことがあっても、大体の場合は自分がそこから離れれば解決するのだ。

 環境を変えるって大事だよね、変えられるならだけど。


「ちょっと待ちなさいよ」


「嫌だ」


「待ちなさいって!」


 ツカツカ、とあたしの行く手を遮るアホ。

 なんだろうな、嫌いだな。ただのアホは別に嫌いじゃないんだけど…………コイツは嫌いだ。


「ふ〜〜〜〜〜ん」


 基本的に、ジロジロと身体を見られるのは好きじゃない。いや、好きな人の方が少ないと思う。

 ………………いっそ、また襲いかかってきてくれないかな。


「……良くないな、こうゆうの」


 小さく、小さく呟く。

 なんかイライラしてる、良くない、良くない。基本的にこうゆう感情を人に向けるのは褒められた事じゃない。


「あんた……」


 名乗るのも面倒。

 呼ばれ方にこだわりとかもないけど、どう呼ばれようと良い感情を持たないだろうし。


「やっぱり、リリと同じくらいの歳でしょ。なら敬いなさい、敬語って知ってる?」


「知ってるけど使わない、アホにはタメ口って決めてるんだよ、ヒバナ」


「ヒバナさん、よ」


「ん……了解ヒバナ、邪魔だからどいてくれる?」 


 譲る、気は、ない。

 親しみから呼び捨ててるんじゃなくて、リリアン風に言うなら黒っぽい感情から。


「…………ま、いいわ」


 いいのか、さっきからよく分からないところで素直。

 意外と聞き分けがいいのは助かるけど、道を塞いだままなのはどうしたもんか。


 ………………あぁ、今洗ってもらってるんだった。


「ちょっと話していきなさいよ、どうせ暇でしょ?あんた」


 グイッ、と親指が指すのはベンチ。

 正直、ものすごく嫌だ。でもまぁ……暇かと言われたら暇なのは事実だし……


「この不快感の正体も分かるかもしれないしね」


 もう一度、聞こえないように呟く。

 やっぱり、明確な理由もないのに人を嫌っちゃいけないよね。


「まぁ、待ち合わせの時間までなら付き合うよ」


「決まりね。お茶とお菓子でも用意させたいけど…………食べる?」


「マーマレード……」


「違ったわ、コッチ」


「……いらないよ」


 多分、人を嫌うのって理由があるものだし。

 引っ叩くのはそれが分かってからでも遅くない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る