第105話 前略、変化と昔話と

 例えばの話をしよう。

 例えば明日、世界が滅びるとしたら───

 君の人生に悔いはないかい?


「……悔いはないけど、少しだけ何かが残るんだよ」


 残念ながら前向きなものじゃないけど。まだ何も見つけてない、まだ何か変わったわけじゃない。


『いろんな奴がいるんだよ。いろんな事情があって、みんな何かを探してる。お前も変われるさ……多分』


「あぁ……クソ……」


 昨日の音無先輩の言葉が蘇り、その無責任さに腹が立ち口が悪くなる。

 仕方ない。悪くないじゃない、最悪だ、最悪の気分だ。


 他にもこちらをよく思ってない教師に絡まれたり、ここでもあまりいい印象を持たれてないのを肌で感じて苛立ったり。

 その全ての責任が自分にあっても、敵意を向けられて冷静なほど大人じゃない。


「悪くないじゃない、やっぱり最悪だ」


 足がもつれて倒れ込む、そろそろ限界みたいだ。

 先程からなにをやってるか。簡単だ、走っている。

 走れば見つかるさ。なんて無責任な言葉にのせいでグラウンドの隅の方を、ひたすら。


「おーおー、やってるねぇ。後輩。青春の汗はいいもんだろう」


「……最悪ですよ、最悪」


 そっか、大変だな。軽薄な態度に腹が立つ。あのひったくり事件のせいで勘違いしていた、この人と話してると苛立つだけだ。

 その無責任で適当な態度と、自分の度量の狭さに。


「まぁ、生きてればそんな日もあるさ」


 ほれ。なんでもない事のように差し出される手。

 苛立ちは止まらない、お前に何が分かるんだよ。


「ほら、よく言うだろ?やまない雨はないとか、夜明けは必ずくるとか。コケたり倒れたりも時には必要だろ」


「っ!」


 反射だった。差し出された手を払い、言葉がこぼれる。きっと誰かが傷つく言葉が。


「分かったようにいうなよ……っ!無責任なこと言うなよ!」


 言い過ぎたか、やりすぎたか。いや、そんなことはない時浦刹那はそんな人間なんだ。

 自分の中のもやもやとした何かがそうさせる。それでも嫌だった。ありふれた、分かったような言葉が嫌だった。


「……まぁそうだよな、そんな簡単じゃないよな、人間ってさ」


 今度は理解を示すのか、薄っぺらい。


「でもさ、刹那。こう思うんだよ。きっとこの世界はこんな言葉を望んでるって」


 何を言ってるんだ、そんなわけない。現に今、こんなにも苛立っている。


「誰かが、そんなありふれた言葉をかけてくれるのを待ってる。だってそうだろ。自分じゃなかなか自分を認められない、許せない。誰だって一人じゃ生きられないさ。慣れあって生きようぜ」


 違う、生きようと思えば生きられる。そのはずだ、そのはずなんだ。


「気に入らないだろうけどさ。明日は前にしかないんだよ」


 どうした急に、なんだっていうんだよ。

 またどこかで聞いたような、ありふれた言葉だ。


「これはさ、別に可哀想だから言ってるんじゃない」


 音無先輩は沈みかけた夕陽を指差して続ける。


「どんなに最悪でも、どんなに嫌でも明日くる。なんていうけどあたしはそう思わない。前を向いてなきゃこないんだよ。だって、俯いてたらそれが明日とも分からない、前に進んでるか分からない」


 どう?名言だろ?一瞬だけみえた真剣な表情を消して、また生きるのを楽しそうに笑うんだ。

 

「……まぁ、悪くないです」


 ほんの少しだけ、納得した。単純な奴だ。

 だけど一つだけ言わせてもらう。


「だけど音無先輩。どんなに最悪でも、どんなに嫌でも、俯いてようが、倒れてようが、例えば気に入らない人間がありふれた言葉を吐こうとも」


 自分の事もよくわからないけど、おそらくこれが答えだ。音無椎名に対を成す時浦刹那の答えだ。


「それが明日だとか前だとかは自分で決めます。ありふれた言葉は望んでない」


 手は振り払った、なら自分で立つべきだ。立ち上がり、目をみて伝える。


「そっか、それもいいな」


 相変わらず分かったような言葉だ、今更気にすることもない。


「……音無先輩は走んないんですか」


 自分でも不思議な質問だ、なんでそんな事を聞いたのか。我ながら、相変わらずおかしな奴だ。


「ん、いやね、先輩としてまだ仮入部の後輩が心配だから見回り……みたいな?」


 なんだそれ、仮入部がどうとかいうなら全員だ。そもそもここは正確には陸上部ではない。

 最近知ったけど、この学園には陸上部なんてそもそもない。

 

 詳しくは知らないが、二年だか三年だか前に事故があったらしい。

 優秀な選手が大怪我をしたらしい、それでもともと強くもなかった陸上部はなくなってしまった。

 

 陸上なんてメジャーすぎる部活がなくなるなんて考えなかったけど、実際ないなら仕方ない。

 大人の世界の責任とかどうの話だろう。


「ま、走りたいのはやまやまなんだけどね。これから人生相談をしてやるのさ」


 始めてあった時もごみ拾いをしていた、今日は人生相談か。お忙しいことで。

 おかげで部長なのに活動してるのを見たことない。


「椎名先輩は人気者だからな」


 そうですか、もう何も言うまい。


「……刹那。まぁ、うん。みんなといるのはいい事だよ。一人はつまらない。少なくともあたしはそう思う」


 最後は歯切れが悪そうに言い残してどこかにいってしまった。


「……それは自分が決めることだ」


 グラウンドを見る。多分、楽しそうだ。

 今日は他の部活がないから、広々とグラウンドを使えてる。不許可だけど。


 そもそも部活ではないから部員じゃないことに気づいた。あくまで個人的に放課後のグラウンドで走ってるだけだ。


 ………………もう少しだけ走ることにした。

 

「ふぅ……」


 部室……といっても元陸上部の部室。

 勝手に使ってはいるが、学園側からは何も言われない。やはりこういった、メジャーな部活動がなくなるのを良しとしない人たちもいるんだろう。


「……大した量じゃないけど、ちょっと疲れたな」


 走る事にじゃない、いや、走る事にもだけど。

 なんだか他の部員の眩しさが見てられなくて、外を走りにいったらみんな帰っていた。だけど片付けが残っていただけだ。

 

「これじゃ仕方ない……か?」


 部室の薄汚れたホワイトボード。書かれてる文字はおそらく『今日の片付け 三年』だろう。


「これじゃ読めないですよ、音無先輩」


 急いでいたのか、もとからなのか。字が混沌として読めない。隙間に添えられた下手くそなイラストも、それに拍車をかけている。


「……やりたい事があるのは……悪くない、事だよな」


 腫れ物というか、まだ部に馴染めてないゆえのイジメとかではない……と思う。

 この陸上部、いや、同好会は特殊なんだ。


 詳しくは聞けてないけど音無先輩曰く、ここは受け皿みたいなものらしい。

 どこか居場所を無くした人たちの、やりたい事ができない人たちの。


 他の部活、活動、他にも何かしらから追い出された人たちが、もう一度立ち上がれるまでの隠れ蓑。

 元美術部や弓道部もいるらしい、誰かは知らないけど。その人たちは諦めない為に、いずれ返り咲く為ここにいる。


 だから少しここがおろそかになっても文句は言うまい。少なくとも、目的なく流されてるような人間が言ってはいけない。


「悪くない」


 悪くない。むしろここにいる理由や、目的なく行き場のない気持ちを抱える免罪符になるような気がして、少しだけ安らぐ。


「……わっかんないな」


 誰とも関わりたくなんてないのに、そう生きてたはずなのに。

 やはり一番嫌いなのは、あやふやな自分自身だ。


「……帰ろう」


 独り言がまた増えた、もとから多かったけど。 

 


「あ、おーい!刹那!」


 ……また音無先輩だ。頼むから昼休みくらいは静かにしてくれ、できれば話しかけないでくれ。

 声に振り返れば、大量のノートをもつ音無先輩と陸上部員。たしか隣のクラスの女子か。


「半分もとうぜ、頼むよ」


「…………了解です」


 いいように使われてる気がするけど、ここで断ってもまた後でうだうだと言われるだけだ。

 それなら諦めて最初から持った方がいい。


「あ、ありがとう……」


「礼なら音無先輩に言っといて」


 半分ほどノートを持つ。しかしなんだってこんな量あるんだ。

 音無先輩が手伝ってなかったら三人で持つ量を一人で運ばされてるのか、なんとか言ってみるか。


「とっと……!」


 はぁ……面倒だ、でも地面にぶちまけられるよりはマシだろう。


「音無先輩、半分持ちますよ。危ないから」


「刹那、いい奴だな」


 転ばれるのが嫌なだけだ、その体格では少し危なすぎる。

 お互いに手が塞がっているので、一度廊下に置いて再分配。下のノートの持ち主、悪く思うな。この大量のノートを黙って運ばせたお前にも責任はあるんだ。


「と、言うわけで。二冊用意させるならもっとこまめに集めた方がいいですよ。少なくとも一人に運ばせるのはやめた方がいいです」


 職員室にノートを届けて、言いたいことを言っておく。別に他人にどう思われようと構わないから。

 都合のいい事に悪い顔はされなかった、悪くない。


「な、いい奴だろ?」


 職員室から出ると音無先輩と部員が何かを話していた、部員はなんだか怯えたような顔でこちらを見ている。

 ……こんなこと気にする人間じゃなかったんだけどな。

 

「なんというか、悪かったよ。突然でてきて手伝って」


 今まで人に好かれる努力をしてこなかった。これからもする気はないけど、敵を作るのはよくない。


「そんな話はしてないよ、お前はちょっと人の話を聞け」


 まさか音無先輩に言われる日が来るとは、世も末だ。


「あの……ありがとう……」


「だから礼なら音無先輩に……「違うだろ」


 こちらの繰り返す言葉を遮られる。音無先輩はなんだか真剣な、怒ったような声で続ける。


「刹那、こいつはお前にお礼を言いたがってんだよ。なんでそれを遠ざけようとするかね」


「……悪かったですよ」


 なぜだか言い返す気にならなかった。なぜだろう、分からない。


「ありがとう、えっと……刹那……さん?」


 改めてお礼を言われた、大した事はしてない巻き込まれただけだ。

 音無先輩はこちらをじっと見ている。分かったよ、分かったから。


「……どういたしまして。さんはいらないけど、名字で呼んでほしい。名前は苦手なんだ」 


「うん、じゃあまた部活で」


 部員はパタパタと走っていく、緊張してなければ元気な娘なのかもしれない。


「70点だな」


「随分と厳しいですね」


 自己採点するなら0点なわけだが。どうしようもなくらしくないから。


「もっと笑えないのか?目つきも悪いぞ」


「残念ながら、そんな機能はついてないみたいで」


 笑うよりは苛立つ方が多い気がする。今は……分からない。


「そんなわけないだろ、人は笑うようにできてるんだよ。泣くように、怒るように。苛立つようにだけできてるわけじゃないんだよ」


 相変わらず分かったような、でも……


「大丈夫だ、笑えるさ。人間、なかなか不要だと思ったものほど忘れられないもんだからな」


 悪くない。お手本のような笑顔が悪くない。

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