第102話 前略、きっとその涙は必要なものだから
「ふっざけんなよっ!バカ野郎ぉぉおおお!!!」
今まで聞いたこともないほどの大声。それと共に駆け出す彼女を見て、私の心はとても不思議な感覚を覚えました。
「……相変わらず、上手くいかないんですね」
あなたの物語は。そう続ける自分の声は、驚くほどにいつもどおりだった。
だけどそれは分かっていた事でした。今更あの男に誰の言葉も届かなかったでしょう。
だけどそれを伝えても彼女は諦めなかっただろう、諦めずに……同じような結末を辿っただろう。
彼女の心が少しでもブレないように、そう考えるなら協力して、少しでも支える方が正しいと思った。
「いえ、人のことを言えませんね」
まただ、また誰かの口調が混じっている。
私の場合はそれが誰かも、何が原因なのかも分かってはいますが、それでも冷静さを失うと強くでてしまう。
だからこそ、本当に原因の分かっていない彼女の心を心配しているのでしょうか、よく分からない。
「今はそんなこと、どうでもいい」
私の事は置いておきましょう。今は見守るべきです。そして考えましょう、私がどうしたいのか。
「ふざけんなよ!ふざけんなよ!そんなのってないだろ!?」
改めて、ブーツや特殊なスキルがなくても速いんですね。確か、元の世界にいたときから速く走る為の集団にいたと言っていた。
ほんの短い時間で距離を詰めて、頬をめがけて拳を振るう。容赦のない、感情に任せた暴力だった。
「ポムポムだって!シトリーだって!ずっと心配してたのに!あた……あぁ!ふざけんなよっ!」
あたしだって。そう言いかけたのでしょうか。
きっと言えなかったのは自分よりも、二人の気持ちが伝わらなかった事に理不尽を覚えたのでしょう。
「僕だって!僕だって!お前に何がわかるんだよぉぉぉおおお!!!」
「分かるわけないでしょ!?お前みたいな独りよがりな奴なんてさ!」
殴り返されてよろける、今更それで倒れるような人ではない。吠える、殴る、また殴る。
「ど、どうしましょー……セツナ、ぶち切れちゃってますよー……。ねぇ、リリアンちゃん?」
あぁ、私に話しかけていたんですね。今は静かにしていてほしいのですが。
「大丈夫ですよ」
「だ、大丈夫なんですかぁー?」
「はい、大丈夫です」
そもそもの話。彼女は怒ってなんかいない、ただただ悲しいだけだ。
どうしようもなく悲しくて、どうにもならないから叫んでいるのだ。
本人が分かっているのかは分からないですが、今、確かに悲しんでいる。
「異世界にきて!クソみたいなスキルだけで!それでも主人公になれるなんてズルいだろ!?なぁ!?」
「くっだらない!なにが主人公だ!誰かが傷つくならそんなものになりたくないよ!!!」
前に言っていた、誰かの何かになりたい。きっと語ってはくれない過去が原因なんだろう。
あの日語った主人公は、誰も傷つかない物語という前提があってのものだ。彼女にとってその前提は大切なものなんだろう。
「大丈夫って言ってもー!セツナは強くないんですよ!?もうボロボロですー!」
少し、うるさい。
強くない?そうですね、強くない、弱い人間だと思います。
一見強くみえるその心も、自分を鼓舞して、誤魔化して、取り繕いながら立ち上がっているだけ。
「きっと、だからこそ響くものがあるんです」
本当は傷ついてほしくない、だけど彼女の心がそれを許さない。そうしなければ自分を保てないのでしょう。
「ぐっ!ぁっっ!」
男の呻く声で意識を戻す。彼女は馬乗りになって拳を振りおろそうとしている。
確かに言われてみれば物語の主人公のようではない、どちらかといえば悪役のようだ。
……いえ、思い返せばもとから手段を選ばなかったり、容赦のない行動をとりますね。
「あ゛、いっ……あ゛!」
右の拳を振り下ろした後、言葉にできないように呻いた。
……おそらくですが、地面に思い切り拳を振るったのでしょう。あぁ、左でも同じような事を……
「ぐあ……え……」
あまり女性がだしていい声ではありませんね、今更ですが。
せっかくの優位なポジションも、痛みに気を取られてる間に失ってしまいました。
その後数分。泥だらけの、殴り合いといより……削り合い?とでもいいましょうか。
手段を選ばず傷つけ合う。
お互いに傷だらけ、荒れた呼吸音。おそらく、この戦いもすぐに終わるでしょう。
「「ああああぁぁぁぁぁあああああ!!!」」
決着。
最後に立っていたのは異世界からきたボロボロの主人公で、悲しい表情をしていて。
「あ、リリアンちゃん……」
気づけば私は走っていた、彼女の元に。
かける言葉は見つからないけど、なにをしてあげたらいいのか分からないけど。
それでも走らずにはいられなかった、側にいてあげたかった。
「あっ、あっ、あぁ……」
どうしようもない表情をしていた、あの地下で見た時なんかよりも弱々しくて、泣かないように、でも涙は溢れて。そんな複雑で悲しい表情だった。
泣いているのを見た事はある。だけど今、彼女が堪えようとしている涙はきっとそれとは違う涙で、それはずっと表にださなかった感情で。
「ぐすっ……あっ……ごほっ!……っ!……」
私の姿を見て、なんとか涙を止めようとしている。悲しい、その姿を見てると私は悲しい。
どうしたらいいのか分からない、彼女の意志を尊重するなら涙を止めるべきだ。傷つかないようにと考えるなら立ち去るべきだ。
「あっ、ぐすっ……ごめっ……ん、すぐっ……」
なぜ、謝るのでしょう。なぜ、どうして、どうして……
「セツナっ!」
「ぐすっ……え……?」
なぜ自分でもこうしたのか分からない。正しいかは分からない。でも、間違っていると思う。
本当に悲しい時にまで、自分を偽るのは間違っていると思う。
だってそんなのは悲しすぎる、こんなにも誰かの為に生きる人が涙も流せないなんて、残酷すぎる。
「大丈夫です。あなたは自分にできる事をしたんです。だから……」
地面に膝をつき、止まらない涙を止めようと必死に目を擦る彼女を抱きしめる。ちょうど彼女の顔が私の胸の辺りに埋まるように。
よかった。手枷と鎖を外していて。
「だから泣いていいんです。どうしようもなく悲しい時は泣いていいんです。きっとその涙は必要なものだから」
あんなものがあったらきっと邪魔で仕方ない。
大切なものだったけど、彼女が……セツナが安心して泣くためには、必要ない。
響く、響く。心をせき止めていたものが外れたように、感情が響き渡る。
この行動が正しいかはやはり分からない。もしかしたらセツナが大事にしていたものを奪ってしまったかもしれない。
だけどそれでも……
「きっと必要な涙だから」
もう一度同じように呟いて、少しだけ抱きしめる力を強めた。
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