9 乙女
目が覚めると、そこは真っ白い天井だった。
体を起こそうとすると鈍い痛みを全身のあちこちで感じた。
少しぼやけた視界と寝ぼけた頭のなか中、公園での出来事と彼女の声ばかりが脳の中で何度も跳ね回っていた。
彼女は消えてしまった。その事実は何度も私の胸の中を反復したが、何度考えてもそれがなんだか偽物みたいで信じられずにいた。
私が描いた絵はどこへ行ったのだろう。ふと、そう思い辺りを見渡す。それらしき袋は見当たらない。
私は結局、完成した絵を彼女にきちんと届けることが出来なかった。後悔が押し寄せる。
彼女に完成した私の絵を見せてやりたかった。私の目の前で見て欲しかった。
「お!起きてんじゃねーかー!大丈夫か!?」
病室だというのに大声をあげる京助の目には驚きの表情が浮かんでいた。
「3日間眠り続けてたんだぞ!」
私はそんなに日にちがたっていたのかと驚嘆した。私は、あの日のまんまのような感じがするのに。
時間ばかりが私を置いていってしまったのだ。
「大丈夫。今はもうなんともないよ。」
私はそう言って笑った。京助も静かに笑った。
「お前、はなまる公園で汗だくで寝転がってて大変だったぜ、呼んでも起きないし。」
「え…。それは悪かった。」
そうか、本当に私はあの日から目覚めてないんだ。あの日のままここまで来たのだ。
「別にいいぜ、しかし、誰をあんなに必死になって追ってたんだ?」
「…。さ〜て、誰だったかな。」
はぐらかされた京助は首を傾げた。
その日のうちに私は退院した。
いつもと変わらない日常の風景がそこにはあった。敷きっぱなしの布団やら、台所にほっとかれたままの食器が物言わず寝転がっている。
やっと私はあの日から抜け出すことが出来たような気がした。非日常から元の日常へと帰ってきた気がした。
私は結局、彼女に何もしてやれなかった。
寝室の窓からぼうっと外を見ていると呼び鈴がなった。
「そういえばこれ。お前、こんなに絵上手かったか?」
扉を開けると玄関で京助がそんなことを言った。
右手には袋に包まれた私の絵があった。私は顔を赤くしたように思う。しかし、以前のような恥ずかしさからではなかった…ように思う。
「ありがとう…。」
「んじゃ。今日はゆっくり休めや。」
京助は手を振りながら歩いていった。
部屋に戻って改めて絵を見た。そこで彼女はいつまでも笑っていた。私にはそう見えた。
その小さな絵の中からわずかに、声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだ。
もう、この世界で高架下の乙女こと陽葵のことを知っているのはもう私だけなのだろうか。
そう思うと私にはとても特別なことに思えたし、とても残念なことにも思えた。
夏の猛暑がまだ部屋の外を占拠している。うるさい蝉の声がどこまでも響いていた。
青い空の下で笑う陽葵を私はもう忘れない。
忘れない。絶対。忘れない。
乙女 Lie街 @keionrenmaro
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