彼岸花

橘 馨

彼岸花

『人生は必然の連続なんだ。

生まれた瞬間には、どんなふうに生きてどう死ぬかまで

全ては決まってしまっている。

だから、どうか、僕が急に死んでしまっても「不公平だ」なんて思わないでほしい。僕がいなくても夜は明けるし、梅雨も明ける。

季節は巡って夏はまたやって来る。そうだ、来年もいっしょに沖縄に行こう。

日本で一番早く梅雨が明け、君と僕が好きな季節がやって来る街に行こう。

夏が始まったら、誰よりも早く首里城を見に行こう。

今年は、初めての首里城だったから道に迷ってしまったけれど

来年は迷わないようにするよ。


ゆいレール首里駅で降りたら、ずっとまっすぐに歩く。

しばらく歩いて看板が見えたら矢印に順じて進む。

右手に首里杜館が、正面にどことなく中国を感じる形式を有した門が見えたらそれをくぐって、右方向に位置する傾斜を下り、左向け左をする。

そうしたら、先ほどとは打って変わって少々風情を欠く

石を積み重ねただけの木曳門が現れるから

その門をくぐり、そのまんま道なりに従って進めば

神を敬う門という意味と朱色のボディーを持つ奉神門を拝めると思う。

そこを通過したらいよいよメインが見えるよ。

君が、赤白ミルフィーユなんて罰当たりなニックネームで呼んでいた場所だ。

本当は御庭っていう名前がついているんだけど

僕は君のつけたあだ名の方がすきだな。

正殿は旅行前に観光本で見すぎてしまったからか、あまり心が揺れなかった…

というのは嘘で

本当は、「緋色が藍色の夏空に映えて奇麗だね。」

なんてことを言った後、自身の口から出たポエム調の言葉に

恥じらいを感じて、頬を紅色に染めた君。

僕の方へ向けていた体と視線を逸らし

恍惚とした表情で、再度正殿を見つめなおした君。

普段の幼い行動と顔からはかけ離れた

君の大人びた一挙手一投足が目に焼き付いてしまったんだ。

死んでも忘れることが出来ないくらいに。』


 私はあなたが嘘をつくときの癖を知っていた。唯、勇気がなかった。それを指摘してしまったら、あなたが遠くへ行ってしまう気がして。あなたがいない世界なんて理解が追い付かないし、そんな世界なら生きる意味が見いだせなかった。

 あなたは私の目から視線を逸らし、空を見て言った。

「祖母と一緒に暮らすことになったから、母の実家の方へ引っ越すことになっただけだ」と。

「次の夏が巡ってきたらまた会おう」と。



『やっぱり全てはあらかじめ決まってしまっているらしい。

僕らが歩んでいる人生だって

所詮、神様が作ったレールに過ぎない。

僕が生まれたことも、君と出会えた事も、君に恋をしたことも

僕がこの病気で次の夏を迎えられずに死ぬことも

全部、全部

神様の監視下で僕が「自分は自由だ」と思い込み行動していた結果に過ぎない。

このまま病魔におかされて死ぬのは神様の言いなりになっているみたいで

どうもいけ好かない。

最期くらいは自分自身で決めてやる。

そして、神様に一泡吹かせてやる。

君は、仕様もないと思うだろうけど

僕にとっては自殺の動機なんてこんなもんで十分だった。


旅行に行ってからというもの赤色を見ると

不意に君を思い出すようになっていた。

入院している病院には、父と母が交代で

毎週末お見舞いに来てくれる。

今日は僕がお見舞いの品として要望した

カトレアの花と共に母が姿を見せてくれた。

暫く他愛ない話をした後に

夕暮れ時に母の背中を見送った。

何も考えずに、ぼーっとしているうちに

太陽と月は役割を交代して

田舎の病院の上空は月と多種多様な星々の独壇場と化していた。


「やり残した事は無い」とは言えないが

「最低限のやるべき事はちゃんとやった」とは言えそうだ。

君の姿を形容したような綺麗な赤いカトレアを手に持って

六階の病室の窓から身を乗り出し

僕らが好きな夏の夜空を眺められる様に

仰向けで落下しようと思う。

君の幸せをずっと祈っているよ。

約束を守れなくてごめん。』




 あなたからの遺書を手にして、始発の電車に乗る。もちろん、行き先はあなたの最期の場所だ。

 今年はコロナウイルスの影響で、外出自粛要請が出されているという事もあり、早朝の電車とはいえ乗客はかなり少なく、私しか乗っていないのではないかと錯覚してしまうほどであった。

 静寂に包まれた車内では、如何せん手持ち無沙汰だったので、何度も読み入った私宛の遺言に再び目を向けていた。

「うそつき…」

幾度となく読んで吐き出した言葉は、この手紙を初めて読んだときのモノと何一つ変わらない。


 あなたは知らないだろうけど、首里城はあなたが死んで間もなく火災にあって焼失してしまったの。

 あなたは知らないだろうけど、今年は新型のコロナウイルスってやつが大流行しているせいで、去年の今頃みたいに自由に行動することができないの。

 私は「あなたの面影を探しに沖縄に行こうと、ずっと前から考えていたのに、こんな後付けの災厄に見舞われなきゃならないなんて、あんまりだ。」あなたの言葉を借りるなら「神様に嫌われているんだな。」って思ったの。

 その後に私が考えたことは、案の定あなたと一緒だった。

「神様に一矢報いてやる。」


 唯、私はあなたみたいな嘘つきが行くような地獄に落ちるのは御免だったから、わざわざ夏まで待って、『来年の夏になったら会おう』っていうあなたとの二つ目の約束を守ってから天国に逝くことにしたの。

 未だに外出自粛が要請されているけれど、生涯最後のお出かけだから、あまり咎めないでほしい。それに私はあなたとは違って正直者だから、自分の気持ちにも正直にいたいんだ。

 そんな風に思い耽っていたら、降りる駅に着いたみたい。


 「ここからバスを乗り継いで一時間か…」

あらかじめ下調べはしていたものの、やはり道のりは案外長かく感じた。行けども行けども代り映えしない風景が続いたが、この青々とした夏空も、むさくるしい程の熱を発する赤い光源も、辺り一面に茫々と茂った草も、高くそびえる木々も。夏を演出する、ありとあらゆる要素が魅力的に見え、バスの車窓から食い入るようにずっと眺めていた。

 人生最後の景色がこんなに美しく見えるなら、あなたが最期に見た夜空は、さぞかし美しかっただろう。と、そんなことまで考えた。


 やっとのことであなたの終焉の地にたどりついた。

「あなたはあの六階の病室からあそこに落ちて死んだんだね。事故死って扱いになっていたから、家族や親戚、親しい人々にも何も言わずにあなたは死んでしまったのね。」

そう思いながら、遮るものが一つとして無いためあなたの落下地点が鮮明に眺められるベンチに腰を掛けた。

 あなたの死に場所には色褪せた花が一輪、手向けられていた。

あなたが死んだことは、時の流れに沿って風化して、忘れられていく。

多くの人にとっては自分の知らない人が死んだって、好奇心程度の関心しか湧かないから。その程度の感心じゃああっという間に枯れてしまうから。

 「いつまで経っても忘れられないなら、あなたに出会わなければ良かった…」

口から嘘がこぼれた。

あなたがいなくなったと知ってから、私の日々は色を失ったようだった。唯々、無意味に時間を浪費していくだけの生活になった。あなたと一緒にいた間はあれほど短く感じた時間も途方もなく長く感じた。

 「あなたは卑怯だ。いつも自分を守るために嘘ばっかりついて。」

また嘘がこぼれた。

私はあなたが他人のためにしか嘘をつかないことを知っていた。

 「あなたのことなんて大嫌い。」

私の生涯の中で最も大きな嘘だった。

あなたの凛とした顔立ちが、容姿にぴったりの声が、無邪気な心が、読み取りにくい表情が、慎重な性格が、見ている世界が、紡ぐ言葉の一つ一つが。あなたのすべてが大好きだった。


『私は、夏に大輪の花を咲かせる八重夾竹桃で色水を作成した。

夏の日差しは休むことなく私を照らす。

干からびさせるつもりなのかと勘違いしてしまう程の暑さだ。

喉も渇いてきたし、色水があまりにも綺麗にできたので

何も知らずにそれを飲み干してしまった。』


 人生最後の日に五つも嘘をつくような人間は、きっと地獄に堕とされてしまうだろうけど、「あなたと一緒にいられるのならそれでもいいか」なんて思ってしまう。


来年は一緒に沖縄に行こうね。

これは、嘘じゃないよ。本当だよ。

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