第7話 新春

 冬が終わると春が来る。

 これは日本に暮らしていれば、極々当たり前の出来事で、何ら驚くことではない。

 汐里にフラれたあの日を境目に、日本列島には大寒波が押し寄せ、凍えるような寒さが続いた。

 それでもいつか春は来る。

 人々は、新しい芽が顔を出し、長い冬を耐え抜いた植物が花を咲かせ、様々な生き物たちが春の訪れを喜び歌を歌う、そんな暖かい季節を待ちわびて厳しい冬を越えていく。

 俺の冬は、いつ終わるのだろうか。

 ふとそんな疑問が頭に浮かぶ。

 見上げた空は灰色で、辺りに立ち込める冷気は心を内側から凍結させるようだった。

 俺の春は、いつ訪れるのだろうか。



 厳しいキャンプを終え、燕たちが神宮に帰ってくる季節がやってきた。

 3月中旬。

 チームが神宮球場に帰ってきて初めてのオープン戦が行われるこの日、俺は当然ながら球場に足を運んでいた。

 オープン戦は、ファンクラブ会員であれば無料で観戦出来る。しかも内野外野の縛りもない。普段高くて手が出ないバックネット裏や、なかなか行かない二階席や内野席でゆっくり観るのも一興だ。

 一塁側ベンチ上くらいの席に座り、いつもとは違う売り子さんから烏龍茶を買う。

 電光掲示板には、若手中心のオーダーが表示されている。普段は二軍にいるため、なかなか目にすることがない我がチームの期待の逸材を実際に観られるのも、オープン戦の1つの楽しみだ。

 まだまだ野外球場は肌寒く、マフラーに顔を埋めて暖をとりつつ、試合開始をじっと待つ。……嘘。やっぱり寒いからコンコースで何か温かいものを買おうと席を立った。

 「あっ……」

 と、その時、僅かに聞こえた声を逃さなかった。声がした方向を見やると、見覚えのある1人の女の子が立っていた。

 「お久しぶりです。柚羽さん」

 昨年少しだけ仲良くなった、その女の子に5ヶ月ぶりくらいの挨拶をする。

 昨年よりも少し明るくなった茶髪をハーフアップにしている彼女が、大きな目をさらに見に開き、若干の空白を経て小さく頭を下げた。

 「お久しぶりです。いらっしゃっていたんですね」

 にこりと笑みを見せると、俺の隣の席に腰を下ろした。

 そしてanelloのリュックサックからブランケットを取り出して膝に掛け、さらに水筒を出して中に入れていた温かい紅茶を飲んだ。

 これは手馴れてる……。賢い。

 その準備と手際の良さに呆気に取られ、温かいものを買いに行くのも忘れて再び席に座った。……嘘。やっぱり寒いから近くのコンビニまで紅茶を買いに行った。ペットボトルだし、自販でも良かったんだけど球場内のは高いからね。節約パパとしては手を出せない。……売り子さんから高い飲み物は買うけど。


 球場に戻ってくると、丁度試合が始まった。

 柚羽さんの後ろ姿を探し、その方向へと向かう。少し近づいて気付いたが、彼女は川端のユニフォームを着ていた。

 席に着き、今までお手玉していた、先程買ったホットティーを一口飲み、話しかける。

 「それにしても今日は寒いですねぇ」

 「そうですね〜。家出る直前になって、やっぱ辞めようかな〜なんて思ってましたよ」

 あははと声を上げて笑う柚羽さんは、初めて見たかもしれない。

 でも来てくれてよかったと思う。

 ずっとゆっくり話したいと思っていたし、偶然にもその機会が得られたのは本当に幸運だった。

 「……でも、こうして久しぶりにお会いできましたし、やっぱり来て良かったと思います」

 それが本心なのか、社交辞令なのかはわからない。社交辞令の線が濃い気はする。それでも、そう言って顔を綻ばせる彼女に、内側から身体が温まるような感覚を覚えた。

 失恋してからというもの、心に穴があくという程てはなくとも寂しさに伴う痛みを少なからず感じていた。

 柚羽さんとの会話は、まだかさぶたとして残っていた傷を癒してくれるようであった。


 取り留めのない会話を続けていくと共に、試合も1回、また1回と進んでいく。

 その間、互いの大学のこと、友人と遊びに行って面白かったこと、そしてもちろんスワローズのこと。様々な話をして和やかな時間が流れていた。

 そうして、そろそろ話題も尽きようかという頃、ある選手の名前がコールされた。

 『6回の裏、スワローズの攻撃は、6番、サード、川端』

 川端慎吾。

 俺のヒーロー(参照→僕のヒーロー|https://ameblo.jp/otoshigod-arabo/entry-12392441224.html)であり、彼女が着ているユニフォームも彼のものだった。

 今日はスタメンで出ていたが、話に夢中ですっかり川端の話題を振るのを忘れていた。

 いや、普通にスタメンだから川端はマジかっこいいっすよねぇ〜程度の話をたったの30分だけしていたが、川端ユニに話題を振るのは忘れていた。

 丁度話題も切れたし、訊いてみることにする。

 「そう言えば、川端ファンなんですか?」

 「そうなんですよ〜」

 そう言って、ユニフォームをひらひらさせてアピールする。可愛い。

 「僕も川端ファンなんですよ。まあさっき言ったと思いますが……。なんだ、さっき話してた時に言えばよかったのに」

 「あれ?言ってませんでしたっけ?」

 「言ってなかったですね」

 「言ったと思ったんだけどなぁ……」

あれ〜?と言いながら、軽く首を傾げる動作は、年上なのにどこか幼げで微笑ましかった。

 「僕も2015まで使用してたユニフォームのレプリカは川端だったんですけど、今のユニフォームは山田なんですよね」

 「そうだったんですね!」

 「でもそろそろまたユニフォーム新しくなる気がしますし、そしたら川端にしようと思ってます」

 「おお!是非是非お揃いで!!」

 手を合わせ、心底嬉しそうな笑みを浮かべ、瞳を輝かせた。

 特に深い意味はないのだろうが、お揃いで、なんて言われたら嬉しいに決まってる。

 今のユニフォームのデザインは気に入っているが、この時ばかりは早く新ユニフォームになることを強く願った。

 「川端、誕生日が10月なんですよね」

 「そうですね」

 「10月だとなかなかシーズン中に誕生日を迎えることがないですよね。ハッピーバースデー20代サヨナラタイムリーヒットとか見たかったのに」

 「あー、確かに!よくそんなこと思いつきますね!」

 「いやぁ、こんなのは全然……。もっと洗練されたワードセンスが欲しいです」

 せっかくのお褒めのお言葉だが、有難く頂戴することはなく、苦笑を返す。

 あ、誕生日と言えば……

 「柚羽さんは、誕生日いつなんですか?」

 「10月2日です!」

 「へぇ、柚羽さんも10月なんですね」

 「そんなんですよ〜。川端さんと同じ月なんて恐縮です……。優雨さんは?」

 恐縮、というワードチョイスに謙虚な彼女の人となりが透けて見える。

 「3月です」

 「今月なんですね。ちなみに何日ですか?」

 「16日ですよ」

 「へぇ〜……って、今日じゃないですか!?」

 「実は」

 「実は、って……。おめでとうございます。すみません、お祝い遅くなって……」

 眉尻を少し下げて、困ったような笑みを見せた彼女に、いえいえと言いつつこちらも控えめに、されど少しだけ意地悪な笑みで応じた。

 してやったりの表情を見せつつも、本当に自分の誕生日だということを告白する予定はなかったし、まさかこんな形で祝って貰えるとは思ってなかったので、素直に有難いし嬉しい。じわじわと喜びが込み上げてくる。

 「お祝いの言葉が貰えて嬉しいです。柚羽さんの誕生日には、優勝が決まると良いですね。それで、川端の誕生日まで試合が観たいです」

 「ですね。そうなったら、最高です……」

 頬を緩めて選手たちを見つめる瞳は真っ直ぐで、そして優しい。もうかなり傾いてきて、赤く燃え始めた太陽に照らされた長い睫毛は艶やかだった。

 幼げな表情を見たばかりだったため、そのギャップに驚いたからなのか、大人の魅力を孕んだ姿に胸が高鳴るのを感じた。


 『試合終了でございます』

 ウグイス嬢のアナウンスが球場に響き、観客たちが席を立ち始めた。

 試合には負けたが、偶然鉢合わせた柚羽さんとの時間は楽しく、濃いものだった。

 「今日はありがとうございました」

 俺たちも荷物をまとめ、スタンドから出たところで、彼女がぺこりと頭を下げた。

 ここで解散ということだろう。

 「いえ、こちらこそ。楽しかったです」

 「今日は負けちゃいましたけど、シーズンは勝っていけるといいですね!また開幕戦でお会いしましょう」

 「そうですね。また、開幕戦で」

 お互い挨拶を終え、踵を返して違う方向へと歩き出す。

 和やかな雰囲気で話していたものの、やはり緊張はしていて、冷静になると話し足りないこと、言えばよかったことが多くある。

 てか連絡先くらい訊いとけよ……。と、我ながら不甲斐なさに腹が立った。

 こう思い始めると、このまま別れてしまうのが惜しい気しかしない。いや、今日ほどのチャンスはそう多くはないだろう。

 だから、もっと伝えなきゃいけないことがあったはずだ。訊かなきゃいけないことがあったはずだ。

 別に恋愛感情があるわけではない。でも、このままでは友達にすらなれずに知り合いのまま自然にフェードアウトするのが関の山だ。

 ならば、何か言わなきゃいけない。

 次へ繋ぐ一手を、打たなきゃいけない。

 必死に言葉を探し、そして振り返る。

 「あの!!」

 驚いて、彼女も歩みを止めてこちらを向く。

 「その白い髪飾り、凄く綺麗ですね。似合ってると思います」

 そうして出てきた言葉は、何とも的外れで、どうしようもなく俺らしい、キモオタが考えそうな陳腐な展開で吐く台詞だった。

 「ありがとうございます」

 それでも、彼女が見せたのは今日一番の、いや、俺が今まで見てきた彼女の表情では一番の、満面の笑顔だった。

 まるで半月も早く満開を迎えた桜の如く━━。

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