第4話 白い息
低下の一途を辿る気温に反して、クリスマスに向けてどこか熱を帯びる人々で街が活気づく12月上旬。
俺は、昼下がりの桜木町に来ていた。
改札から出てすぐのところにある柱に身を預け、手元のスマホへと目を落とす。
『もうちょっとで着く!』
汐里からのメッセージに動悸が激しくなるのを感じ、一つ大きく深呼吸をした。
デートに誘ってから早3ヶ月半。
汐里が新幹線を使わねば来れないような距離に住んでいることもあり、なかなか予定が合わずこの時期までずれ込んでしまった。
今までは少しお茶をする程度が多かった為、ライブ等で東京に来た際に空き時間で会っていたのだが、本格的なデートとなるとそうはいかない。気長に待って、今日を迎えた。
頭の中でデートコースの予習をしていると、肩をトンッと叩かれた。
「おまたせ!こっちも結構寒いね〜」
振り向くと、苦笑を浮かべ、腕をさすりながら白い息を吐く、まるで雪女のように儚げな美人が立っていた。
松煙墨を一個全て摩ったように黒々とした髪を片方は流し、片方は耳にかけている。触れたら溶けてしまうようにも思える白い肌は、黒髪との対比でよく映える。毛先には軽くパーマをかけていて、氷のように冷たい印象を和らげていた。
グレーのチェスターコートに白いマフラー、足元はブラックのパンプスでかなり落ち着いた雰囲気だ。
「海の近くだし、風も強いからかなり冷えるよなぁ……。温かくしとけよ」
「うん。カイロ持ってきて良かったぁ」
「ああ、賢明だな。じゃ、行くか」
「うん」
決意などとっくに固めた。
緊張からか何故か小刻みに震える手をぐっと握りしめ、真冬の港町へ一歩踏み出した。
ドバドバ分泌されるアドレナリンのせいか、寒さはほとんど感じなかった。
「取り敢えず赤レンガに行こう」
駅から少し歩くと、赤レンガ倉庫まで一直線に続く道があり、今はそこを歩いている。
緑に囲まれた綺麗な道なので、桜木町から赤レンガに向かう場合は是非通って欲しい。
「赤レンガ倉庫!?有名なやつだよね!楽しみだなぁ」
「ならよかった。この辺は初めて?」
赤レンガ倉庫のチョイスは無難中の無難だが、予想外に目を輝かせる汐里を不思議に思い、問いかける。
「うん。ライブとかで横アリには来たりするけど、新横より先には来たことない」
「そうなんだ。かなり王道のルートだし、実はちょっと心配だったんだけど、それなら王道で間違いなかったかも」
「王道って……。ゆうちゃんどうせこのルートしか知らないでしょ」
数歩先を歩く彼女が振り返り、いたずらっぽい笑みを浮かべて俺を挑発してきた。
「む……何故それを……」
「いつも変に見栄を張りたがるからねぇ。そのくらいはお見通しだよ」
「俺結構ミステリアスで有名なんだが……」
「え?わかりやすいと思うけど」
本気で意味わからんとばかりにキョトンとした表情を見せる彼女に、俺は目を細めた。
━━皆わからないって言うのに。
学校のクラスメイトも、担任も、俺と関わった人は口を揃えて「ミステリアス」だと言う。他人には無い考え方を出来るのは才能だと、ある人は言った。でもそれは、俺にとっては異端だと言われているに過ぎなかった。
皆と同じことをする。そんな簡単なことが俺には出来ない。違うことを嫌う子供の世界において、排斥の対象となるのは当たり前のことだった。
人と違うということに、今更劣等感を感じたりはしない。自分のことは別に嫌いじゃない。それでも、俺だってわかって欲しい。共感して欲しい。誰もが当たり前に持つ感情は、俺にだってあるのだ。
だから、「わからない」という言葉は胸に刺さった。
「━━私、ゆうちゃんのこと結構わかってるのかもね」
しかし彼女は、いとも簡単に「わかる」などと言ってみせる。俺がずっと欲しかったその言葉を、何の気もなしに、当たり前の如く。
「見て見て!線路があるよ!!」
馬車軌道を見つけてはしゃぎ、稚気な様子でハニカム汐里は、とても眩しかった。
だから俺は、目を細めてしまう。
赤レンガ倉庫でアクセサリーなどの雑貨を主に見て歩いた後、そこで昼食を取り、次の目的地へと出発した。
赤レンガ倉庫を出て左に進むと、やがて海沿いの道に出る。潮の香りが鼻をくすぐる。
象の鼻パークや大さん橋を通り、しばらく進むと山下公園に着いた。
「ねね、次はどこに行くの?」
道中、互いの学校生活のことや今日の服は随分落ち着いてるねとか特に張合いのない会話を続けていたが、ひと段落して話が切れたタイミングで汐里が訊ねてきた。
「次はお待ちかねの中華街だな」
「ほんと!?やったー!!何食べようかな〜」
肉まんかな〜、小籠包もいいなぁ〜、全部食べ切るまで帰れませんもいいなぁ〜。
さっき昼食を食べたばかりなんだけど、全部食べ切るとか言ってるよこの人……。
しかし頬を緩める彼女に水を差すわけにもいかず、太るぞというNGワードは呑み込んだ。
「それにしても、風強いねぇ〜」
山下公園は海沿いに位置するため、潮風が強く吹く。それにしても、今日はかなりの強風だ。たぶんコスモワールドのジェットコースター『バニッシュ!』は営業停止だろう。
「今度来る時はスカートをおすすめするよ」
「うわぁ、きもっ……」
普通にきもい軽いジョークに当然ながら引きつつ、黒髪を耳にかけ直した。
「今日のネイル、横浜カラーか」
「うっわ、気付くの遅っ……」
髪をかけ直す際にチラッと見えた爪に施されたネイルは、ライトブルーをベースにシルバーの星などが装飾されていた。
この街の雰囲気によく似合っていると思う。
こういう小さなお洒落に気付けるようになったのは、間違いなく彼女のおかげだ。
「気付いただけ良しとしてくれ」
「ゆうちゃんもまだまだだね」
口ではそう言いつつも、汐里の表情はどこか嬉しそうだった。
中華街には何度も来たことがあるが、どこに行くかではなく、誰と行くかが大切ということが初めて少しわかった気がする。
小籠包の汁をぶちまけて大笑いしたり、肉まんの大きさに目を丸くしたり、占いでまんまと言い当てられて少し怖くなったり。
一つ一つの出来事に表情を変える彼女を見ていると、自分も初めて訪れたかのような錯覚に陥った。それほどに新鮮で楽しかった。
時には相好を崩し、時には白い肌を紅潮させ、時には俺の寒いジョークに冷たい目で応えてみせる。
その瞳は、まるでこの世の汚れなど一切知らぬかのようで、たまに電話口で見せる不安定さが嘘のように純粋で、ありのままを表現しているように感じる。
ずっと見ていたいと思った。
この豊かな感性を守っていきたいと。
楽しい時間は短く、見上げると空が真っ赤に燃えていた。やがて夜が訪れる。
みなとみらいの美しい夜景は、人々の本心を導き出し、真実を照らす。
舞台は整った。
今夜、彼女の中に俺の存在を刻んでやる。
白い息を長く吐き出し、消えるまで、その行方を見続けた。
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