第2話 汐里

 「切り開くしかない、か」

 自室の窓を開け、星がポツポツと見える都会の夜空を見上げた。

 「今がその時、本当に……本当にそうなのか?」

 その独白は、夜も短い命を削って鳴き続ける蝉の声に消されてしまった



 「━━もしもし?」

 「おう。電話は久しいな。どうしたの?」

 俺は若干ハスキーな彼女の声が好きだ。

 彼女、汐里とはインターネットを通じて知り合った。

 年下ながらしっかりと自分の考えを確立している子で、正直俺よりも大人だと思う。

 今まで見てきた中では間違いなく一番綺麗な二重まぶた。大きな瞳に長いまつ毛。

 肌は不健康な程に白く、華奢で、触れたら簡単に壊れてしまいそうだ。

 対して長く伸ばした髪は、触れたら吸い込まれそうな程に黒い。やや内巻きになる癖があり、しかしそれはパーマのような役割を果たしていて、手入れは大変だろうが良く似合っている。

 「んーん、なんでもない。ダメ?」

 「いや、別にダメじゃないよ」

 「そ、ならよかった。ねね、さっきも言ったんだけどさ、今日前髪シースルーにしてみたの。……どう?」

 汐里は悪びれる素振りを一切見せず、今日のヘアスタイルの話を始めた。

 ちなみに今は午前様。

 野球観戦を終え━━ちなみに結果は敗北。今年のヤクルトは空前の弱さだった━━帰宅し、さあ寝ようかというタイミングで電話の通知が鳴った。

 無視して寝ようかとも思ったが、辞めた。

 汐里は基本的には自分を持っていて強い子だが、実を言うとやや不安定なところもあり、そういう状態の時に1人でいるとネガティブ思考スパイラルに陥ってしまう。そして時に極端な行動に出てしまうこともある。

 口では「なんでもない」と言っていたが、電話をかけてくる時は往々にして誰かの声を聴いて安心したいという意図が見え透く。

 それは彼女なりの防衛術だ。だから、それを拒むことは俺には出来なかった。

 「ああ、見たよ。良く似合ってると思う。前髪が軽いとまた印象も違うし」

 「そうかな。へへ、よかった。ありがと」

 声音は照れているような感じだが、どこか「当たり前だろ?」というニュアンスを含んでいるようにも思える。

 「ちなみにそれ、ロック画面に使っていい?」

 本当によく似合っていたし、半分冗談のつもりで問う。

 「いいよ」

 すると、あっけからんと承諾してくれた。

 「……え?本当に」

 「うん、別に困らないし」

 「そ、そうか。じゃあ遠慮なく」

 彼女でもない女の子の写真をロック画面にすることにやや抵抗を覚えつつも、自分で言い出したことなので有難く設定させていただいた。


 それから汐里は、最近やった様々なヘアアレンジ、ファッション、ネイルなどの話を楽しそうに話した。

 それらは彼女の趣味で、色白で髪も長く、可愛い女の子の代名詞を揃えたような容姿をしているので何を着ても似合ってしまう。

 話しながら送ってくる画像を見て、共感したり、褒めたり、男性目線の意見を言ったり、いつもとちょっと違うところクイズがいきなり始まったり。

 「━━残念!分け目の位置がちょっと違うんだよね〜。まだまだだね」

 分け目の位置がちょっと違うというのはさすがに難しすぎるだろうと思わず悪態をついたり。

 「━━最近コンビニで肉まんを頼んだらネギまが出てきたって話する?」

 「それもう結論言ってるじゃん!なんなの」

 少し訛ったような独特のイントネーションでツッコミ、呆れつつも汐里が俺のくだらない話に笑い声を漏らしたり。

 楽しい会話が続く。

 何故彼女に惹かれたのか、という問いに対する答えはたくさんあるが、敢えてひとつ選ぶとしたら「俺の話で笑ってくれる」ことだと思う。

 俺はコミュニケーションは苦手だが、話すこと自体は結構好きだ。だから話を聴いてくれて、しかも笑ってくれるというのは本当に嬉しかった。

 他にも声や容姿、自分をしっかり持っていることなど好きなところは多いが、話していて楽しいのはやはり大切なことだ。

 わざわざ俺に電話をかけてくるくらいだ。話していて楽しい、というのは彼女の方も同じだと思う。

 しかしそれは、イコール恋愛感情ではない。

 女の人はシビアだ。男友達と割り切られるとそこから転じて恋愛に発展させるのはなかなか難しい。

 おそらく今は男友達という枠にすっぽりと収まっていて、一切恋愛対象として見られていない。

 だから、俺は一石を投じることにした。

 ハイリスクなのは承知している。これがキッカケになって気まずくなり、徐々にフェードアウトする可能性も十分に有り得る。

 それでも俺は、彼女の心に俺という人間をねじ込んでやりたい。完全に蚊帳の外だった男を土俵に押し上げてやる。


 ━━好きだから、これ以上今の関係を続けるのは辛い。ならば切り開くしかない。


 気付くと、竜宮城にいるが如く短い体感時間に反して時計の針はかなり回っていた。

 「結構話したな」

 「そうだね。ごめんね、遅くに。ありがと」

 「大丈夫だよ。またいつでも。それと……」

 決意を固め、一つ息を吐いて切り出す。


 「今度、みなとみらいに行かない?」


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