珈琲は月の下で ―― 同題異話SR -Oct.-
そんな夜型人間の彼女が、私、
目覚まし時計のアラームに頼ることなく、私は目を覚ました。午前三時五十九分。まだ夜も明けきらぬ頃、近くを通るバイクの音が侘しく過ぎて遠ざかる。今まさに深月は寝ようとしているところだろう。
私は布団を出て、真っ先にパソコンをつける。明け方は私の大切な執筆時間だ。夜中に筆を進める深月とは反対に。そう、あっちが夜型人間なら、こっちは朝方人間なのである。まずは歯磨きと洗顔だ。それから執筆だ。
同じ学校に通いながらも、同じく文芸部に籍を置きながらも、私と深月の生活時間は本っ当に噛み合わない。深月にとって昼休みは昼寝の時間だ――クラスも違う。放課後は、深月はまっすぐ帰って仮眠をとる。仮眠から目覚めるのがだいたい六時半、それでもって私の就寝時刻がだいたい七時である。そんなわけだから、六時半から七時までの三十分を、いつしかプラチナ・タイムと呼ぶに至った。
私が朝方の生活をやめれば話は早いのだろうが、それは文芸部に籍を置いていなければの話で、どうにも私というものは明け方じゃないと筆が走らない。それは深月も似たようなところがあるようで、夜中でないとノって書けないらしい。
思えば、生活が離ればなれになったのは高校に入って文芸部に所属してからのことだ。今、私たちは二年生、少なくとも部の引退までは一年弱ある。引退したら書くのをやめるかというと話は別で、私も深月も小説投稿サイトのアカウントを持っていることからして、お互いに創作活動はやめないように思われる――大学付属の高校なので受験勉強は不要。つまり、夜型と朝方のすれ違い生活は、今のところ終わる見込みがない。
プラチナ・タイム以外での接点は、登校の時間である。ただし、深月が遅刻しなければの話だ。深月は、朝のホームルームは欠席しても単位に響かないと考えている節があり、十五分の遅刻は毎度のことだ。珍しく、今日は違った。
待ち合わせ場所にしている駅近くの銀杏の木の下で、私はスマートフォンの時計を見て言った。思わず笑みが浮かぶ。
「一分前。よく起きられました」
いつもならここに五分だけ留まって、結局ひとりで駅に向かうところ、今日は深月とふたり並んで行けるようだった。非常に喜ばしい。
「ぜえ、はぁ、間に合った」
深月は肩で息をしている。よっぽど急いで来たらしい。そんなに私に会いたかったのかと、幸せな勘違いをしてもいいだろうか。
深月の艶のある黒のロングヘアは走ったためか乱れていた。急ぎに急いだというふうで、制服であるブレザーも着崩れている。なるほど、そんなに私に会いたかったのか――願望。しかし、せっかくの美人がもったいない。私は
「今日遅刻したら、記録更新しちゃうからさ」
髪を整え終えると、私は深月の制服を直しながら「記録って何の?」と尋ねた。
「ちゃんと会って話せなかった記録、これまで十三日が最長だったのが、十四日に記録更新しちゃうわけ」
なるほど話を聞いてみれば、私に会いに来たという点、間違いとは言えなかったようである。これは素直に嬉しい。しかし私たちは十三日間もまともに会って話してなかったのか。そして深月はいちいち、まともに話せなかった日をカウントしてくれているのか、これは全く脈なしというわけでもないのでは?
ふたり並んで人通りの多い道を駅まで歩きながら、私はしかしこれではいけないと思うのだった。大願成就して深月と恋人同士になれたとしても、ろくに話もできないのでは甲斐がない。
「ねえ、深月、私たちもっとちゃんと、自分の生活リズムに向き合おう」
「それ、あたしもそれ言おうと思ってた」
駅前まで来ると、さらに人の密度が増す。その流れに乗るように、私たちは歩く。歩を進めながら、私は切り出した。
「深月、もうちょっと早く眠れないの?」
「だめ。奈々子は深夜零時に飲むコーヒーがどれだけ甘美か知らないからそう言えるんだよ」
向き合おうと言ったなり、話はいきなり座礁である。ふたりそろって定期を改札にかざしてから、今度は深月が切り出した。
「奈々子はさぁ、もうちょっと遅くまで寝てらんないの?」
「だめ。もう完全に体に染みついちゃってて、朝四時にはどうしても起きちゃう」
私も私でこうなのであるから、いったい向き合うとは何だったのか。
かくして、私たちの向き合うがいったいどこに行き着いたか。
私はアラームの音を聞いて、眠気の残る頭をどうにか起こした。手を伸ばし、やかましくベル音を響かせる目覚まし時計を止める。目覚まし時計のアラームに頼ったのは久しぶりだ。時刻は深夜二時半である。もはや朝とも言えない。
私たちの出した結論は、本来あるべき道筋とは全く逆の方向にあった。深月は夜型生活を超・夜型生活にする、私は朝方生活を、超・朝方生活にする。それによって生じる、ふたりともが起きている時間をダイヤモンド・タイムとする、という具合である。必然、プラチナ・タイムは失われてしまうが、より時間を長く確保できるほうを選んだのである。結局、どちらかが執筆を諦める、というのは、相手が望まなかった。
大いに間違っている気はする。深月は午前五時就寝だ――学校から帰宅した後にゆっくり寝る。いかがなものかとは思えど、私たちらしい気もするし、何より、深月ときちんと会いたい気持ちは膨れていた。
歯磨きと洗顔を済まして部屋に戻ると、スマホがちかちかと光っていた。何ごとかと見てみれば、深月からのメッセージが届いていて、『今、奈々子の家の前にいるよ』と、ある。さっそくダイヤモンド・タイムを活かしてくれたようで、
私は寝間着に上着を羽織るだけで家の外に出た。深夜、秋の虫が
「なんか、やっと再会できた、って気がするよ」
「私もそんな気分。不思議。深月とはずっと同じ高校に通ってたのにね」
私たちは私たちの時間というものに、私たちなりに向き合った。こうなってくると、私は私の気持ちというものにも、向き合わねばならないように思われてくる。もともと、ちゃんと時間を取って会えたら伝えたいとは思っていたのだ。その時は今じゃないか。大きくひとつ息をしてから、私は言った。
「深月、好きだよ。中学の時から、ずっと好きだったよ」
深月は虚を衝かれたふうになったが、嫌な顔は浮かべなかった。
「ずいぶんいきなり言うね」
「劇的な再会の感動で、勢い余っちゃった」
深月はすぐに返事をくれず、パーカーのポケットから何やら取り出した。それを私に向けて差し出してくる。何だと思って受け取ってみれば、それは小銭だった。百円玉が一枚と五十円玉が一枚、つまり百五十円。
「月の下で飲むコーヒーがどれだけ甘美か、奈々子にも味わってもらおうと思ってさ」
つまり、そこいらの自販機でコーヒーを買って飲めということだろう。
「一応、私にとってはもう朝なんだけど、目覚めの一杯でしかないんだけど」
反論はしてみたが、せっかく深月がくれたものを無下にするのも惜しい。確かに月の下でコーヒーを飲んだことはない。そう思い直して、私は深月と並んで近くの自販機まで歩んだ。
自販機に硬貨をねじ込むと、百五十円までの商品のボタンが点灯した。私は飲みやすそうな微糖のアイスコーヒーを選んで、そのボタンを押す。がたんと、すぐに商品は吐き出され、お釣りもちゃりちゃりと落ちてきた。お釣りは深月が拾い、私は缶コーヒーを手に取る。すれば、何やら不思議な感じはした。頭上では月が煌やかに輝いている。夜の
プルタブを開けていざコーヒーを飲まんとするところ、深月は出し抜けに言った。
「奈々子、さっきの告白、残念だけど――」
ひょっとして、月下のコーヒーは苦みばかりの思い出になってしまうのか、などと思うより先に私は
「――あたしの勝ち。あたし、小学生の頃から奈々子のことが好きだったもんね」
そして私は本当に噎せるのだった。いったい何を言い出すかと思えば。嬉しいんだけども。とても非常に極めて嬉しくはあるのだけれども。月下のコーヒーを噎せた思い出にしてしまう気なのか。
「げほっ、ごほ、あのねえ、勝ち負けの問題じゃないでしょお」
「どう? 月の下で飲むコーヒーは? 果てなく甘美でしょ?」
噎せただけでは判断できないじゃないか。私はきちんとコーヒーを飲み直す。なるほど、私の感性からすると、残念ながらそういう気はちらとも起きない。なんとなれば、月下だろうと、私には立派な朝なのだから。目覚めのコーヒーはもちろん美味しい。
晴れて両思いが判明したというのに、深月の表情はいくらか冴えない。
「今の生活リズム、超夜型と超朝方、ちゃんと続けていけるかな。奈々子、無理してない?」
「もっといいやり方、考えなきゃいけないかもだけど、でもこれだって、そう悪くないんじゃない? 深月も私も、無理してでも会いたいからここにいるんだよね?」
「そりゃあ、そうだけど、でも……」
ちゃんと自信を持って答えられる。コンビニしか開いてないような、何もない時間の逢瀬だけれど、かけがえのない、大切な時間にできる。私と深月なら。だから大丈夫だ。
「多少の無理も何のその。大丈夫だよ。私たちはうまくやっていける。お互いを好きな気持ちと、月の下で飲む美味しいコーヒーがあれば、ね」
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