午後十時に魔法は解ける
それは魔法だ。
私と
いつも十時に解けてしまう。
「
と、私は商品のバーコードを読み取りながら言った。大人気ゲームの最新作で、今日が発売日だった。ここはゲームやCD・DVD、コミックを取り扱う店であり、三階はゲームが居並ぶフロアだ。
「私じゃなくて同居人がね。この店の店舗特典がどうしても欲しいって言うから」
「はいはい。心得てますよー。特典ですね」
私はカウンターの裏側から、三枚のポストカードが封入されたパックを取り出す。店ごとに特典が異なっているので、それを目当てに買う店を選ぶお客さんは少なくない。
「あなたがここで働いているとは知らなかったの」
由花里先生は有名私大を出ながらもあえて教職の道を選んだ才女であり、高校で現国を教えていて、私の、いや、私たちの担任でもある。
「私だけじゃないです。近内さんも働いてますよ」
ここで“柚歩ちゃん”と呼べないのが私たちの関係性である。悲しいかな、それが現実であって、クラスは同じでも、学校以外で同じ時を過ごすためには、“バイト仲間”という肩書きの魔法が必要なのだ。
「あ、本当」
販促ポスターを貼りつけていた近内さんがカウンターまで戻ってきた。小さな声でぼそりと、「先生、JLが推しなんですか」と問う。「だから私じゃなくて同居人がね」JLとは新作ゲーム内で登場するキャラクターであり、店舗特典のポストカード三枚に描かれたキャラクターでもある。
「JL、なかなかどうして」
先生の話を聞いてもいなくて、視線も定まらぬふうで、近内さんがぽそりと言った。そんなんだから友達ができない――私が友達になろうとしているのになかなかチャンスが掴めない――のだ。これでいて接客はそつなくこなすのだから謎である。
なぜ私はこんなに近内さんにこだわるのか。バイト先をたまたま知ってしまって、そ知らぬ
そりゃあ、もちろん、好きだからである。
女同士だからとか関係ない、大好きだからである。
なぜ好きかと問われると言葉に詰まる。あえて言えば謎だから、だ。最初は興味本位で奇行の目立つ近内さんを観察しているうち、その一挙手一投足に目をやるうち、不思議とどんどん興味は増して、同じクラスになってからわずか一ヶ月のうちに、恋心まで自覚するようになってしまった。私を惹きつける引力もまた、謎のうちのひとつである。
神様は私に優しい。私と近内さんを同じフロアの担当にしてくれたのだから。
神様は私に冷たい。十時になったら退勤して離ればなれになってしまうのだから。
あと五分。
あと五分で十時になる。勤怠を管理しているパソコンで、タイムカードを押す時刻は二十一時五十九分までに! 神様が私と近内さんを引き裂いてしまうまで残り五分。今日こそ、言うんだ。今日こそは! 会話の糸口もなくはないじゃないか!
「由花里センセーが来るなんて、意外だったね」
「意外だったし、愉快だったね」
近内さんはぽそりと言う。職場で担任と会うのはそんなに楽しいことだろうか。それとも単に韻を踏んでみただけなのだろうか。いやとにかく、ここで怯んではいけない。畳みかけなければ。
「あのさ、帰り道、一緒に帰らない?」
実のところ、同じ駅から帰るので、十時を過ぎても一緒にいられる時間はあるはずなのである。なぜそれができないかと言うと――
「私、歩くの遅いから、迷惑じゃない?」
近内さんがあまりにもちびちびと、とぼとぼと歩くので、並んで帰るには歩調を合わせなければならない。のだが、近内さんの歩みはあまりに遅すぎる。合わせたらわざとらしすぎる。なので、今まで魔法は十時に解けていた。今日こそ、魔法を五分、いや、近内さんの歩調だとたぶん十分、それだけ延長するのだ!
「大丈夫! 全然迷惑じゃない! ひとりで帰るの寂しかったし!」
嘘っぽいフォローに聞こえやしないだろうか。全部本心なんだけれど!
「ふうん。なかなかどうして」と、言うだけで、近内さんはタイムカードを切った。あれ、肯定されたの? 否定されたの? わからない!
肯定されたのだと勝手に思い込むことにして、目抜き通りを通る帰路、私は近内さんと歩調を合わせた。遅い。実際合わせてみてびっくりするほどに遅い。私は勇気をとめどなくあふれさせる。
「あのさ、近内さんだと他人行儀だから、柚歩ちゃんって呼んでいい?」
「名前ってね、呼ぶためにあるんだよ。それでね、私の名前は柚歩」
これは遠回しに肯定されたのだろうか。わからない。果てしなくわからない。やはり、肯定されたのだと勝手に思い込むことにする。
「柚歩ちゃん、何であの店でバイト始めたの?」
「それは、お金が欲しかったからに決まってるよ」
そして噛み合わない。会話が全っ然噛み合わない。普通こう、もっと他に、ゲームが好きだからとか、学校から近かったからとか、あるだろう!
「柚歩ちゃんは、どうしてこんなにゆっくり歩くの?」
「相対的にはゆっくりでも、私には普通だよ」
私がどれだけ勇気を振り絞っても、のれんに腕押しというか、手応えがないというか、私が覇気を失うような言葉ばかり返ってくる。これじゃあネガティブにもなる。
「柚歩ちゃん、私のこと嫌い?」
「世界で一番大好きだよぉ」
「へぇぇ、そうなんだ」と、私は気のない返事をした。いや、ちょっと待て。今、とんでもないことをさらりと言われなかったか。柚歩ちゃんは私のテンションに頓着せずに、饒舌に続けた。
「私ってこんなだから、みんな避けていくのに、
どうやら私が柚歩ちゃんばかり気にしていたのは、本人にばれていたらしい。
「今日は一緒に帰ろうって言ってくれて、すっごく嬉しかったぁ。いつも寂しく思ってたの。沖原さんと一緒に過ごせる魔法の時間は、十時に解けちゃうから」
それでもって、柚歩ちゃんも私と似たようなことを思ってくれていたらしい。え? これって両思いってこと? そういうことなの?
「あ、あのさ、魔法の時間、もっと増やさない?」
「どういうこと。だってバイトの時間は決まってるでしょう?」
がんばれ私。最後の最後まで勇気を振り絞るんだ。もうちょっと! ここが人通りの多い道だとか気にしてたら、いつまでも始まらない!
「わ、わわ、私も、ゆ、柚歩ちゃんのこと、だ、だだ大好きなの! だから、バイト仲間はやめて、恋人同士って魔法をかけようよ!」
夜の街の明かりの中で、柚歩ちゃんの反応をうかがっていたら、にやりと笑った。
「なかなかどうして。さもありなん」
え? これって肯定されたの? 否定されたの? わからない!
私がびくびくおどおどしていると、柚歩ちゃんは満面の笑みをこちらに向けて、朗らかな声音で言ってくれた。
「ね、
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