きみの物語になりたい ―茜ヶ嶺百合物語―

香鳴裕人

午前三時の小さな冒険 ―― 同題異話SR -May-



 これはまだ、一夜をとても長く感じていた頃のお話。



 ミニコンポのMDの停止ボタンを押した。MDは友達が編集してくれたものだった。その友達が、これからやって来る。再生途中だった曲は声優が歌うバラードで、特にお気に入りのものだった。

 音楽にうるさい兄は、MDはCDと比べて音質が、云々と言うが――ついでに妹に自分の曲の好みまで押しつけてくるが、ちょっと前までカセットテープを愛用していた私からすれば、MDは革命と言っても差し支えない進歩である。

 単音の着信音が鳴って、アステルのPHSピッチがPメールを受信したことを知らせた。そこには『シタニイル』とある。発信元の番号は森若もりわか由花里ゆかりで、これからまさに逢瀬をしようという相手だった。

 さて、これから工夫がいる。私の部屋は二階で、一階には両親が寝ている。玄関のドアが開閉する音を拾われても困る。間取りをよく検討し、私の部屋の窓から屋根に飛び移り、雨どいを伝ってキッチンの脇の庭に降りるのがよかろうと判断していたし、私は実際にそうした。

 少々は汚れてもかまわないだろうジーンズと、いざとなったら自分で洗える長袖のTシャツを来て、庭の隅に降り立つ。これではちょっとした冒険だ。冒険とは、先だって由花里が口にしていたことだが、私も少しはその気になってしまう。


 由花里とふたり、ぶらぶらと外を歩いて、しかし特に何を目にするでもなかった。住宅街の多いベッドタウンである、コンビニの明かりくらいしか目につくものがない。普段、夜間であればネオンをぎらぎらとさせている古本屋が、今日はしんと静かで暗い、そのことはちょっとした驚きだった。

 五月の日の出は朝の四時半頃、四時までには帰ろうとふたりで決めている。これは深夜の冒険であって、夜明けを求める旅路ではないからだ。

尚子なおこ、高校どこにするの?」

 街灯の下、出し抜けに由花里が尋ねてきた。私のような脱出劇を必要としなかった――一階に部屋があり、窓から抜けて出てくるだけでよかった由花里は、珍しく桃色のワンピースなど着ていたのだが、普段ならかわいいのだろうけれど、深夜三時を回った頃に目にしてしまうと、一見、寝間着のようにも映った。

茜ヶ嶺あかねがみね女子、かな。どうして?」

 中学三年生の私たちにとって、進学先は関心事である。私は目下の候補となっている高校をそのまま言ったが、由花里は気を良くしなかった。

「それ、私がどうひっくり返っても偏差値的に行けないやつ」

 私たちはこうしている間も歩く。暗がりに移って判然とはしないながら、由花里はわざとらしく唇をとがらせた様子だった。

「尚子、ここはひとつ妥協しよう。茜ヶ嶺あかねがみね西か茜ヶ嶺あかねがみね中央あたりにしよう。それがいい。それならまだ私にも可能性がある」

 尚子の出した高校は、偏差値で言えば、ランクがひとつかふたつ下の学校である。

「尚子の親には、共学に行きたかったとか言っておけば筋が通る。たぶん」

 由花里は先んじて、私の親への言い訳まで考えている。何から何までまったくの冗談で言っているのではないと思われた。

「同じ高校、行きたいの?」

「そりゃあ、行きたいけど、でも、やっぱり尚子が茜ヶ嶺女子がいいってんなら、それは仕方ないよね。ほら、うん、そのために呼び出したところ、あるし」

「私の進路希望を知りたくて呼び出したの?」

「いや、そうじゃないんだけどね、ないんだけど……」

 そう言って、最後、由花里の声音は消え入るようになった。これでは話が進まない。深夜の冒険をしようという話ではなかったのか。

「どういうこと?」

 私はそんなに強く詰め寄っただろうか。そんな自覚は寸毫すんごうもないのだけれど、由花里にとっては迫力のあるものであったらしく、怯えるようにしつつ――きっとこんなプランではなかったろう、叫ぶのにも似て、由花里は言った。

「その……好きです!」

 由花里の言葉の意味を理解するまで、暫時ざんじ、時間が要った。

 たぶん、深夜三時過ぎ、秘密の場所か何かで、ロマンティックに伝えるはずだった言葉だろう。大好き、好き好き、なんてことは日常的に教室で伝え合っているのだ。わざわざ夜中に呼び出して伝えるというなら――それがもし本当の目的なのであれば、そういうことだ、本気の告白だということだ。

 そのまま由花里は押し黙り、私も何も言えなくなった。なんとなく、どちらからともなく歩き出し、道中、黙ったままで、小高い丘が目的地になった。

「ここ、ね」

 先に言葉を取り戻したのは由花里だった。

茜ヶ嶺あかねがみねの市街が一望できるの。夜中の街をふたりで眺めながら、言いたかった。言うはずだった。ううん、違う。同じ高校に行けるなら、言うつもりなかったな」

 必ずしも告白のために呼び出したわけではないようである。

 確かに目の前には、普段は見られない茜ヶ嶺の景色がある。灯りのほとんどは姿を消し、深閑とした丘の上で、まるで寝静まった街を眺められる。私たち、ありふれた中学三年生には、およそ目にすることのない景色。やはり、告白をするならこの場所、この時だったろう。

「ちゃんと言われてたら、雰囲気にのまれてOKしてたかもしれないのに」

「あれぇ、今ちょっと脈有りなこと言われた?」

 由花里の言うことは拾わずに、私は問いかけた。

「どうして、同じ高校に行くなら、言うつもりなかったの? まだこの先チャンスがあるから?」

 それにしては気が早い。進学先が決定してからでよさそうなものだ。由花里の答えは、やはり違った。

「同じ学校での、最後の思い出になっちゃうから」

 由花里はぽつりぽつりと、本当のところを言った。

「夏も、秋も、冬も、これからのタイミングで言いたかったの。恋人として、同じ学校で過ごす時間が、欲しかった。別な高校に行くなら、今年、今年だけが、ラストチャンスだから」

 街灯の明かりが遠い丘の上で、それでも由花里が泣きそうな表情をしているのが見えてしまった。私だって由花里のことは憎からず――どころかはっきり好きだ。ただ、そういう目で見たことがなかっただけで。

 さて、どうするか、切々たる願いを白状されて、つれない態度もとれない。かといってはっきりした態度も、今はまだとれない。ついでに言えば、友達に合わせて行きたい学校を変えるのは信条じゃない。

 ところですごく恥ずかしい。

 これは本当の告白なのだ。私は今、人生で初めて、愛の告白というやつを受けている。性別は問題にならない。下手な男子よりも、由花里から受けるほうが何倍も嬉しい。

 私は何も言葉にならず、そっとPHSを取り出した。ぽちぽちとキーを押していく。送信すると、時を置かずに由花里のバッグから着信音が鳴った。

 私が由花里に送った文面はこうだ。

『ワタシ、アカネガミネジョシニイク』

 文面を見て、由花里ははっきり泣きそうな、あるいはこの世の終わりのような、そんな表情を浮かべる。申し訳ないとは思わなかった。

「あれぇ、私、今、メールであっさりふられた?」

 傷心の由花里をよそに、私はさらにメールを打ち続けた。二十文字までのやりとりしかできない。もどかしい。もどかしいけれど、そのテンポが私たちに合っているようにも感じられた。

『ユカリ、イッパイベンキョウシテ』

「いやいやいや、あと一年もないのに」

 何やら誤解している由花里をよそに、私はさらにメールを打った。送信ボタンを押せば、由花里が持つPHSがすぐに鳴る。静かな丘の上で、それはよく響く。

『ハルモナツモアキモフユモ、イッショニ』

「だから、同じ学校でね……」

 由花里の言うことは無視して、そして、私は最後のメールを送信した。

 由花里の表情は、嬉しいというよりはびっくり仰天といったふうで、「あれぇ?」と、間の抜けた声まで上げた。

 それは、未来の約束。

『オナジダイガクデ、スゴソウネ』

 高校は違ってもいい。でも、四年後も、それからずっと先も、由花里と一緒に過ごしていきたいという、私なりの、未来の約束。




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