58食目 羨望

「天気、悪いわね……」


 布団の中から窓の外を眺めて私は一人呟いた。

 昨晩の嵐は去ったものの、今もまだ大粒の雨は降り続いている。通りを歩く人の姿は少なく、雨具を身に付けて急ぎ足だ。

 私は有り難いことに暖かい布団の中で休ませてもらっていて、ノエルがお店の手伝いをしてくれている。主人がお世話になっているのだから、当然自分は奉仕すると言って張り切っている様子だった。


 私も何か出来たら良かったけど……病人が調理場に立つなんて邪魔だものね。


 それに月のもので体も辛い、休ませてもらえるなら今は甘えたい。そう思ってまた寝ようとした時だ。扉を軽く叩く音と優しい声が向こう側から響いた。


「レティシアちゃん、暖かい飲み物持ってきたわ。開けてもいい?」

「はい、どうぞ」


 扉を開けて入ってきたのはマーガレットだった。彼女の笑顔を見るとホッとした気持ちになる。


「少し顔色が良くなったみたいね。食欲はある?」


 そう言って持ってきたカップをテーブルに置く。そこから甘酸っぱい匂いが湯気に乗って香ってくる。


「まだ食欲はなくて……でも飲み物なら大丈夫です。これ、飲んでもいいですか?」

「もちろんよ、どうぞ」


 木製のカップを手に取り熱さを息で冷ましつつ飲んでみる。


「わっ……おいしい……!」


 甘いのに爽やかな柑橘のような酸っぱさが程よく溶け込み、温かさと相まって喉を癒してくれる。その美味しさに驚いてマーガレットとカップを二度見してしまう。


「うふふ、美味しいでしょう? 花の蜜とユジーの果汁を合わせて作ったものよ。昔から夫や子供が寝込んだ時にはよく作っていたの」

「本当においしいです! 何だかすごく元気になってきました!」

「そんなに喜んでくれたら作り甲斐があるわ。料理人冥利につきるってものよ」


 マーガレットは得意気な笑みを浮かべたあと、少し寂しげに視線を外へ向けた。降り続ける雨を見つめている。


「……レティシアちゃんは、王都へ行くのよね。さっき、ノエルさんから聞いたの」

「はい、私が動けるようになったらすぐにでも……ご迷惑をおかけしてすいません」

「い、いえそうじゃないの! むしろ逆というか……ほら、ジル君も嬉しそうだし皆一緒なら楽しいなって!」

「ジルが嬉しそう……ですか」


 迷惑がってるようにしか見えないのだけど、違うのかしら。


「そういえば、ジルはどうしてマーガレットさんのお店で働いてるんですか?」


 そう、彼は東の村に住んでいて、そこで彼と出会った。私が森の中で豚に間違われ弓矢を射られたのは記憶に新しい。

 だから、彼がここで働いているのは思いもしなかった。


「あぁ、ジル君はつい最近うちで働き始めたんだけどね。急に店の前に現れて、ここで働かせてください! って、頭を下げるものだからびっくりしちゃったわ。理由は詳しく聞いてないんだけど、お菓子作りの勉強をしたいみたいよ。うちなんかで勉強になるかしら」


 そう言ってマーガレットはクスクスと笑った。花のように可憐な微笑みに思わず胸がキュンとする。


 お菓子作りが好きなのは知っていたけど、生まれ育った村を出てまでしたいことなのね。そうまでしてしたいこと……私にはない。正直、羨ましい。


「きっと勉強になります。マーガレットさん、お料理とっても上手ですし!」

「あら、ありがとう。でもノエルさんに比べたら私もまだまだひよっこだわ。さっきね、お昼ご飯の準備を手伝ってくれたんだけど、もう……職人だわ」


 感嘆の溜め息をついたマーガレットは頬に手を添えた。どうやらノエルは調理場で頑張ってくれているようだ。


 どんな料理を作ったのか気になる……旅をしてると本格的な料理なんて出来ないものね。うう、ノエルの手料理食べたい……。


「あっ、いけないわ私ったら。病人に無理させてしまったわね。ごめんなさい、話し込んでしまって」


 マーガレットは立ち上がると、ある包みを持って立ち上がった。


「あ、マーガレットさん……、それは私が後で洗濯しますから……!」


 彼女が持ったのは私の使用した肌着だ。そしてそれはとても汚れているので見られるのも恥ずかしく、布に包んでテーブル下に隠して置いたのだ。いつこれに気が付いたのか、彼女の察知能力が恐ろしい。


「いいのいいの、これくらい平気よ。それに早めに洗濯したほうが衛生的よ。それじゃ、ゆっくりしていてね。あ、お腹が空いたらすぐ呼んでね」

「ご、ごめんなさい。何から何までありがとうございます……」


 私は失礼ながら布団の中から頭を下げた。マーガレットは小さく手を振ると静かに出て行った。私はちょうどいい温度になった残りのユジーの蜜湯を飲み干した。

 やはり少し話しすぎたのか、疲労感で体を横たえた。


 マーガレットさん、ご家族は出掛けてるだけかしら……いえ、そんな感じではなさそう。


 彼女の時折見せる寂しそうな顔を見れば、家族はもうここに戻って来ないんだろうと察しがついた。何か事情があって別の街にいるのか、それとも―――

 これ以上は無駄な詮索だ。簡単に足を踏み入れていいことじゃない。


 それはジルも一緒なのかもしれない……。


 彼がここに来た理由。住み慣れたはずの村を捨ててまでお菓子作りに専念する理由。気になるけど、私が軽々しく口を挟むことじゃない。誰しも踏み入って欲しくない心の奥底がある。


 いつか話してくれたら嬉しいな。


 そうすれば私も、何も偽りなくすべてをさらけ出せる、そんな気がしていた。

 誰にも言えない秘密が喉の奥で重く突っかえて、どこかに全部捨ててしまいたい。そう思った。

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