55食目 雨宿りは賑やかに
「―――っくしょいっ!」
「レティシア様、大丈夫ですか!?」
寒さが鼻を刺激したのか、くしゃみをするとノエルが慌てて手布を懐から取り出した。
「ありがとう、少し冷えてしまったわね……」
ノエルから手布を貰うと私は顔を隠すように鼻を拭った。
「……それにしても本当に、ジルさんのおかげで助かったわ。ありがとう」
私達は雨宿りをした店の厨房にいる。ここはジルが住み込みで働いていて、菓子店を営んでいるらしい。どおりで、店内は甘くて香ばしい焼き菓子の香りがするわけだ。ジルは雨に濡れた私達を招き入れてくれ、体を拭く柔らかい綿布も用意してくれた。
この店の内装は優しい黄色の木材を使い、購入した菓子などを飲食できる空間が設けられていた。各所にあるテーブルには可愛らしい花も生けられている。全体的に女性が好みそうな装飾だ。
「別に、店の前にいられたら商売の邪魔になるだけだからな。勘違いするな」
そう言ってジルは二つの磁器製カップをテーブルに置く。カップからは温かい湯気がふわりと立ち上ぼっていた。
「ほら、温かいうちに飲め」
「わぁ、甘くていい香り……! ありがとう、いただきます!」
「レティシア様、まずは私が毒味を―――」
「大丈夫よ。ジルさんが毒なんて入れるわけないもの」
「……あんたらなぁ……」
差し出されたカップは黒っぽい色をした香ばしくて甘い香りのする液体で満たされていた。やや熱いそれを両手で包み込みながら、息を吹きかけ火傷をしないよう僅かに口に入れる。
「……おいしい……」
雨で冷えきった体に温かさが沁み、胸の辺りでガチガチになっていたものがほどける感覚がした。ふいに、楽しかった乗客達との時間が蘇る。陽気な歌と音楽と会話、そして―――
「―――っ……」
どうして、あんなこと……。
「レティシア様……」
我慢する間もなく、私は泣いていた。そんな私を見てノエルは触れようか迷っていたようだが、私の肩を優しく抱き寄せてくれた。
私の様子を見てジルは困惑しているのか眉をひそめた。
「どうした。何かあったのか?」
「……いえ、大したことではないの」
私は止まらない涙を拭った。
「大したことだろ。あんたが泣いてるんだ」
ジルは真面目だ。それに優しい。私なんかが泣いただけで心配してくれるなんて。
「……実は……」
私は先程のことをジルに話した。楽しい時間を一緒に過ごした人が、お金目当てに人が変わったように残酷になり、従わなければ暴力を振るうとまで言われた。そのことは私の心を傷付けるのには十分だった。
私の話しをジルは腕組みをしながら眉間に皺を寄せて聞いていた。
「ちっ……」
ジルは苛立った様子で舌打ちをする。
「あんたらが外に出ると面倒になりそうだな。仕方ねぇ、夜になるまでここにいろ。女将さんには俺から頼んでおく」
「女将さん?」
そう私が訊ねた時、裏口の方からガタゴトと物音がしてきた。同時に柔らくて明るい女性の声が聞こえてくる。
「ジル君、ただいまー。お店番ありがとうー」
裏口に続く通路からたくさんの荷物を両手に抱えた女性が入ってくる。
「おかえりなさい、女将さん」
「こんな雨だと買い物も大変よぉ。……あら? そちらの方達は?」
女将さんは私達を見て不思議そう訊ねた。ノエルが立ち上がりそれにすぐ答える。
「お初にお目にかかります。私はノエルと申します。そしてこちらが―――」
「レティシアと申します! 突然お邪魔してごめんなさい、旅の途中なんですがジルさんに雨宿りさせていただいてて……!」
私は立ち上がり拙い挨拶をして頭を下げた。ノエルも同じように一礼する。
「まぁ、旅人さん? 私はマーガレット・アップルトンよ。よろしくね」
そう言ってマーガレットは手荷物をテーブルに置いた。茶色の紙袋からは緑色や赤黄色の野菜がちらりと見えた。
お菓子屋さんなのに野菜……?
「女将さん、少しの間こいつら、ここで雨宿りさせてくれよ。夜に店が開くまででいいから」
「勿論いいわよ。こんな雨だと移動も大変よね。ゆっくり休んでいってね。あ、そうだわ、ジル君。この方に温かい飲み物を―――」
「もう出してる」
「あらほんと。優しいわねぇ、お母さん感心しちゃう」
「女将さんは俺の母親じゃないだろ。ふざけてないで買ったものを片付けるぞ」
「はーい、わかりました」
終始穏やかな口調で話す女将さんの動きは俊敏だった。袋から次々に野菜を取り出すと調理台横の流しで洗い始める。
「張り切って夜の開店までに仕込みを終わらせるわよ、ジル君」
「俺は肉の下処理してるから、そっち頼む」
ジルさんも料理を始めちゃった……よし!
「あの! 私も手伝います!」
「私も微力ながらお手伝いします」
そう言って私とノエルが立ち上がるとマーガレットは嬉しそうに、ジルは少しだけ面倒そうな顔をして私を見た。
わかってる、私が何にも出来ないんじゃないかって気持ちが伝わるわ……!
「あらあらあら、嬉しいわねぇ。じゃあレティシアちゃんはここで一緒にお野菜を洗ってくれる?」
私だってぷらぷらと何も学ばずここまで来たわけじゃない。ディオンの屋敷でソフィから簡単な調理技能を教わったし、ノエルからも刃物の取り扱いなどを学んだのだ。
「はい!」
雨宿りのお礼だ。自然と返事もシャキっとする。
「ノエルさんは、ジル君に指示を貰ってお肉の調理をお願いできる?」
「はい、かしこまりました」
ノエルは嫌な顔一つせずジルの隣に立つ。以前に比べてノエルは大人しくなった気がする。前はもっと研ぎ澄まされた刃のようだった。それも私が関われば尚のこと。ジルも敵対心もなく淡々と指示を出し肉を捌いていく。
私は二人の様子を見ると少しだけ安心して野菜を洗い始めた。葉野菜は隙間までしっかりと、根菜は土汚れを残さないように。
「レティシアちゃん、とっても上手よ。綺麗な格好だからお嬢様かなと思ったけど、料理はしたことがあるの?」
「はい、友達とノエルに教えてもらって少しだけですが……」
「偉いわねぇ、おまけに旅をしてるんでしょう? 大変じゃない?」
「そう、ですね……今日みたいに大変なこともあります。でもノエルがいてくれるから楽しいです。旅先で色んな人に出会えますし……ジルさんも、前の村で知り合って―――」
野菜を洗いながらマーガレットと話しているとジルがこちらを睨んでいることに気が付いた。
「おい、無駄話してないで手を動かせ」
「す、すみません……」
私は洗い終わった野菜の入った篭を調理台においた。調理台には一口くらいの大きさに切られた肉やひき肉が用途ごとに綺麗に分けられている。
「……貴様、レティシア様になんたる無礼を……!」
包丁を持ったノエルが怒りを露にしてジルを睨み付けた。
こ、怖い怖い!
「ノ、ノエル! やめなさい!」
「そうよ! 喧嘩はやめなさい、開店に間に合わなくなるじゃないの」
そう言ってマーガレットは調理台で野菜を切り始める。
叱りながら切ってる……しかも早い!
微塵切り、乱切り、半月切りと多種多様な野菜を切り刻むその姿はさながら剣士のように見える。
「ちっ……女将さんが言うなら仕方ねぇ。ほら、あんたはこの肉を捏ねろ。あんたはこっちで煮込みだ」
「は、はい!」
私は大きな器に入った肉に調味料が入れられたものを捏ねる係でノエルは肉と野菜の煮込み料理を任された。細かな下味や下処理はジルとマーガレットが行い、私達はあくまで補助的役割だ。
生の肉なんて触ったの初めてだわ。ぐにゃぐにゃで不思議……。
多量のひき肉を捏ねていると、ふと疑問が浮かぶ。
「あの……ここって製菓店ですよね? どうしてお料理を……?」
どうみてもお菓子を作ってない、わよね。
「あら、説明不足でごめんなさいね。私のお店はね、陽のある内は菓子茶屋で陽が沈むと小料理屋をしてるのよ」
「えっ、お菓子だけじゃなくて料理まで……!?」
「うふふふ、結構頑張ったのよぉ。私は料理しか出来なかったから」
そう言ってマーガレットは目を細めた。どこか寂しげで、泣きそうなのに柔和な笑みを浮かべた彼女にどんな声をかければいいのだろう。肉を捏ねる手が止まる。
……あまり深く聞かないほうがいいわよね。
「えっと……」
私が言葉に詰まるとジルが私の隣に立った。急に来るものだから驚いて心臓が跳ね上がる。
「あんた、肉なんて触ったことないだろ。ほら、こうして押すように捏ねて粘りを出すんだよ」
そう言ってジルは私の手に自分の手を重ねてやり方を指導してくれた。そのおかげで私は気持ちを調理に切り替えることができた。
「わぁ、意外と力強く押してもいいのね! ちょっと楽しい……!」
「そうだな、こうしてしっかり粘りを出すと美味しくなる」
二人で何度も捏ねているとふと視線を感じて顔を上げる。
「……マーガレットさん? どうかしましたか?」
「うふふふ、何でもないわ。ただとっても微笑ましいと思ってね。ジル君も楽しそうだし」
「はっ? 楽しくねぇよ、面倒臭いだけだ」
……そんなズバリと言われるとちょっと傷付くわ。
「でも……お連れの彼は、ちょっと羨ましいみたいね」
お連れの彼、ノエルのことだと思って当人を見ると鋭い視線でジルを睨み付けていた。
羨ましい、のかしら? 怒ってない?
「ノエル、お肉を捏ねたいなら代わるわよ。お鍋のアク取りより楽しいと思うし……」
そう言ってノエルと代わろうとしたが、それをジルが手を強く重ねて制止した。
「あんたの仕事はこっち。任された仕事に責任を持て」
ジルの言葉を聞いてハッとした。私もノエルも最初に任された役割がある。それを身勝手な理由で放棄するのは不義理で無責任なことだ。
人として、課せられた責任を全うしないのは恥だわ。
「そうね……責任を果たすのは大切だわ。ごめんなさいノエル、勝手なことを言って。そちらを頑張ってくれる?」
「はい、レティシア様の名に恥じぬよう最高の料理に仕立てます」
お、大袈裟ね……そもそも私の名はこの料理に関係ないのに。
「よ、よろしくね」
苦笑いをしながら私も作業に戻った。私の近くでマーガレットさんはいつのまにか白い穀物粉と思われるものを固まりにしながら練っていた。
あれは……パンを作ってるのかしら。何度か塔の調理場で見たことがある。
マーガレットさんの手際の良さに圧倒されつつひたすらに肉を捏ねると段々と粘りが出てきた。手を添えての補助はなくなったがジルの視線はこちらに向いたままだった。手を洗っていたのでもう私の補助をするつもりはないようだが……あまり見られると単純作業も緊張する。
「あの、ジルさん」
私が声をかけるとジルはムッとした顔で答える。
「さん付けはやめろ。呼び捨てでいい、あんたは俺の助手なんだから」
あぁ、そう言えば……。
私は村で初めてジルさんと関わった時の事を思い出した。お菓子作りの手伝いをしていて、その時にも助手だと言われた。
ジルさんの作ったお菓子……美味しかったな。ちゃんとお礼言えてなかったし、今なら―――
「あの、ジルさ―――」
「呼び方」
こ、声が低くて怖い……!
「ジ、ジル……その、前はお菓子をくれてありがとう。すごく美味しかったわ」
「そうかよ。試作だからどうでも良い。それより、その肉を楕円形にまとめろ」
そう突き放されるように言われると少し寂しかった。もっと仲良く話せる気がしていたから。
私のこと、嫌いなのかしら。
落ち込みながら私は肉を指示された形に整え、ジルの用意した鉄製の板に並べていく。それを終えるとジルは形を確認してから壁に備え付けられた焼き窯へ入れる。
高温で肉やパンを焼くはずだが、パンはまだ準備中のようだ。
私が水場で手を洗うと、マーガレットに声をかけられる。
「お疲れ様、お手伝いしてくれてありがとう。これならお客さんが来るまで余裕がありそうだわ」
「良かったです。雨宿りのお礼になれば嬉しいです」
少しでも役に立てただろうか。脳裏にはジルの住む村で火起こしすら出来なかった無力な自分の姿が過った。
「あっ、レティシアちゃん、もし良かったらこれから一緒に食事をしていかない?」
突然の提案に私は目を丸くした。もうしばらくしたらここを出発するつもりでいたので予想外だ。
「えっ? あ、でも私達急いでいますし……お気持ちだけで十分です」
「いいじゃない、作ったものの味見をしなくちゃいけないし。ね、ジル君?」
急に話しを振られたジルは迷惑そうに眉を歪ませていた。
「勝手にしてくれ。俺はまだやることがあるから忙しいんだ」
そう言ってジルは調理台で材料の計量を始めてしまった。これから何かお菓子を作るのだろうか。
「レティシアちゃん、外はまだ雨だし寒いわ。服も濡れてるでしょう。風邪をひかない内にお風呂に入ったほうがいいわ」
「えっ、でもそこまでお世話になるわけには……」
「女の子は特に体を大切にしなくちゃ。案内するからこっちに来なさい。ノエルさんも後で案内するわね」
マーガレットは私の手を引いて廊下に進んでいく。どうしたらいいのかわからず鍋周りで調理をしているノエルを見るとにこりと笑った。彼はこのことに否定的ではないようだ。
なんとなく汗臭い気がしていたしきちんと髪の毛も綺麗にしたい。こんなところまでお世話になるのは気が引けるが目の前に心地良いお風呂が待っていると思うと胸が高鳴った。
お風呂の誘惑、恐るべし。
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