52食目 名前のない特別
「荷馬車かぁ……」
私は眼前の天幕付きの大きな荷馬車を見る。寝不足の私と比べて元気そうな馬が三頭、草をはんで腹ごしらえをしている。
そして若い男の馭者が一人、乗り合いなので後は数人の乗客が街の一角で出発の時間を待っていた。私とノエルもその中に混じる。
ローブのフードを深く被り、出来るだけ目立たないように荷馬車の影に隠れるように待っていたのに―――
「悲しいよ……どうして行っちゃうの!」
「行っちゃわないで、お姉さん!」
「しー、静かに……!」
見送りに来てくれたアレスとべレスが大袈裟に泣き喚くので私は周りに注目されないかハラハラしていた。涙は嘘っぽいけど悲しいのは悲しい、そんな感じが伝わってくるので邪険にも出来ない。
「今生の別れってわけじゃないわ、だから大丈夫。それに、無事に向こうに着いたら貴方達宛てに孤児院にも手紙を出すからたまには顔を出してあげてね」
「わかったよ……でも寂しいなぁ。あ、抱き締めてくれたら安心するかも」
「僕達のこと抱き締めて欲しいな」
「え、……それは……」
以前の私ならすぐにでも抱き締めてあげたかもしれない。しかし昨日のノエルとのことが思い出されて躊躇していた。
男は狼、かぁ……。
ちらりとノエルを見ると伏せ目がちにそっぽを向いていた。
やっぱり変よね……目を合わせてくれないもの。
彼の様子は今朝からぎこちない。廊下で眠って疲れているはずなのに朝食の用意もしてくれてとても感謝している。しかし、どこか距離をとられているような気がしていた。昨日のことが原因なのは予想出来てもこうなる理由がわからなかった。
「……抱き締めるのは無し、でも―――」
私は二人の少年達の頭を優しく撫でた。ふわふわで滑らかな宵闇色の髪がくしゃりと乱れる。
「これで許してね。また会えるのを楽しみに待ってる。元気に過ごすのよ」
「お姉さん……ちょっと悔しいけど嬉しい」
「なんかずるいなぁ……でも許してあげるね。僕達、優しいから」
恥ずかしそうに俯く姿は中身よりずっと幼く見えて、きゅっと胸が痛んだ。
「ありがとう。ほら、ノエルも挨拶してね」
「……言いたいことは特にありません。しかしレティシア様にご迷惑とならないようしっかり身を立てるように」
私が促すとしぶしぶ少年達に声をかけてくれる。
「冷血お兄さん、お姉さんをしっかり守ってよね」
「お姉さん、この街で荒稼ぎしたら絶対迎えに行くからね。だから、絶対手紙を寄越してね!」
「ええ、必ずね。……あ、もう出発みたいね」
荷馬車に乗り合い客が次々に入っていく。私達も置いていかれないよう早く乗らなくては。
「それじゃあ、また」
そう言ってノエルと荷馬車に乗り込むとアレスとべレスが言う。
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
柔和な笑みを浮かべて手を振る二人に私も手を振り返した。馬の嘶きと共に荷馬車はゆっくりと走りだす。
「―――いってきます」
いつか、ただいまって言おう。
手を振る彼らの姿が段々小さくなっていき、結った長い髪が風になびく姿を見ると胸に寂しさが込み上げてくる。
何度も何度も繰り返した人との別れ。蔑まれる私のことを受け入れて仲良くしてくれる人。そんな人達との別れはやはり胸が痛むものだ。
がたごとと揺れる荷馬車は街の門を通り、やがて少年達の姿も見えなくなった。代わりに広がる景色は森や草原、遠くにはムスペル国の岩に覆われた山脈も見える。
「レティシア様、そろそろこちらにお掛けください。危ないですよ」
「……そうね」
感傷に浸っている場合じゃない、これから先のことを考えていかなくちゃ。
ふと、乗客の様子を見てみる。私達より前方の奥は商人の出で立ちをした中年男性、その隣には中年女性、その正面に荷物を抱えた若い旅人風の男、そして私達の目の前には奇抜な服装の青年がいる。赤と黄の礼服を面白おかしく細工したようなそれはこの中の誰よりも目立っていた。
何か持ってる……楽器?
袋に入れられているが形からして中型の弦楽器のように見える。大事そうに抱えているのでついじっと見つめてしまうと、それに気がついたのか青年がにこりと笑いかけてくれる。
「これが気になるのかな?」
「えっ!? は、はい……すみません」
「謝ることないよ、見られてむしろ嬉しいくらいさ」
おかしな人、じろじろ見られたら嫌な気持ちになりそうなのに。
「……今、変な奴だって思った?」
「い、いえ! とんでもないです!」
「ははっ。そんな必死に否定しなくてもいいよ、たくさんの人を見てきたからね。どんなことを考えてるかなんて想像がつくもんさ」
読心術でもあるのかと思ったがそうではないようだ。彼がおもむろに袋から取り出したのは、やはり弦楽器だった。
「この荷馬車が街に着くまでよろしければ一曲如何かな?」
「え? えっと……」
何か演奏してくれるらしいが、何故そんなことを言い出したのかわからずノエルに視線を向ける。
「大道芸ですよ、芸を披露してお金を稼いでいらっしゃるのです」
ノエルがそう言うと青年が笑った。
「あはは、大道芸かぁ。こう見えて一応、吟遊詩人なんだ」
「吟遊詩人?」
「そっ。この世界中にあるたくさんのお話しを歌にして皆に聞かせるんだ。お伽噺や各国の伝説、街のちょっとしたことから様々だ」
そう言って青年が弦楽器を弾くと軽やかで透明感のある音色が響く。
「すごく素敵……」
「それで、お嬢ちゃんはどんな歌をお望みかな?」
「あ、いや……でも私達、あまりお金がなくて。ごめんなさい」
私が断るとノエルが手荷物の袋から硬貨を一つ取り出した。そうしてそれを青年に投げると青年は器用に片手で捕まえる。
「レティシア様、たまには歌もいいものですよ。―――王家の歌で面白いものを一つ」
「兄ちゃん、気前がいいね。銀硬貨か。でも王家の歌だなんて恐れ多い、俺の首が飛んじまうよ」
青年の口ぶりだと、王家に関わる歌は不敬に値するのだろう。しかし珍しくノエルは食い下がっている。
「ならば、我が国の噂話の一つでも教えて欲しい。歌わなくてもいい」
「なんだ、そっちが本命か。そりゃ旅をしてれば色んな噂話は耳にするよ。でも、噂にしては……少し物騒な話しがある。お嬢ちゃんも聞くか?」
私は無言で頷いた。青年はこちらに近づくと小さな声で話し始めた。
「最近、尋ね人の件があっただろ? 女の子を探してるってやつ」
それ、一応私のことなんだけどね……この人は気が付いてないみたい。
私は複雑な気持ちで耳を傾ける。
「その尋ね人は実は聖王様の子供で、時期女王候補なんじゃないかって言われてる。で、その噂の根元が聖王様のご病気だ」
「病気!?」
「お嬢ちゃん声がでかいよ」
「え、あっ、ご、ごめんなさい……」
驚いてつい大きな声を出してしまい、思わず口元を手で覆い隠す。どくんどくんと心臓は嫌な鼓動を鳴らしている。
「まぁ病気の噂は少し前からあったんだけどさ、式典に出ても顔色が優れないしそもそも欠席したり」
「なるほど。それで、国政は上手くいっているのですか?」
ノエルが聞くと青年はにこりと笑う。
「もちろん! 貴族同士の争いもないし国民は豊かに暮らしているよ。まぁそれもこれも、聖王様を支えてくれてる宰相様のおかげだと思うよ」
「宰相様?」
私がそう言うと青年は心底驚いていた。
「まさか、知らないのか? この国であの方を知らない人がいるなんて驚いたよ」
「す、すごく田舎に住んでいたから……」
「あぁ、なるほど。いやでもお嬢ちゃん、育ちは良さそうだし田舎の村長の娘さんってとこか? なら、余計に国の情報は耳に入れておかないとな」
青年が続けて話してくれる。
「宰相様は聖王様に代わって外交や内政、商売の細かな取り決めまで何でも担ってる。相談があれば庶民でも話を聞いてくださる壮大な心の持ち主だよ」
「へぇ……随分優しい方なんですね」
私の相槌に青年は満足げな頷いた。
「そうさ、加えて非の打ち所のない政策だから誰も文句がない。まさにこの国の賢者様だ。だから皆に指示されてるってわけ、おまけに若くて美麗な容姿だ。な、すごいだろ?」
「胡散臭い人物ですね」
自分のことのように誇らしげに語る青年に対しノエルが背筋の凍るようなことを言う。
「ちょっとノエル……! ごめんなさい、彼は旅の疲れが溜まっていて。つい心にもないことを……」
私が慌てて訂正を入れると青年は特に疑う様子もなく笑った。
「ははっ、イライラしてたのか。ま、旅路は色々と溜まっちゃうからな。じゃあ、特別に一曲披露して差し上げよう。―――皆さんも旅の疲れを癒す一曲、お聞きください」
青年は他の乗客に向けて声をかけると、下を向いていた乗客達が笑顔で青年に拍手を送る。中年女性がほっとした顔で青年に声をかける。
「嬉しいわ、荷馬車移動は暇だもの。ね、貴方」
「そうだな。お前の好きな曲も弾いて貰うといい。銅貨五枚でいいかな」
やりとりからして隣の中年男性とは夫婦なのだろう。中年男性が銅貨を青年に渡すと、青年は嬉しそうに受け取る。
「勿論です。先ほど、この麗しき方々からもたくさんいただきましたのでね」
青年は私達を恭しく紹介すると、それを聞いた乗客達から拍手で感謝されてしまった。馭者も嬉しそうに声をかけてくれる。
注目を浴びてしまったので思わず目線を落として顔を隠すと、ふと影がかかる。見上げると隣に座るノエルが私に寄り、他の人から見えないように庇ってくれていた。
「―――ノエル……」
小さな声で名前を呼ぶと彼は何も声を発さず優しい眼差しを落としてくれる。
大丈夫、そう言ってくれている気がして私はノエルに寄りかかった。
暖かい―――
青年の演奏が始まったが、胸の鼓動が煩くて全く耳に入らない。こうしてノエルに寄りかかっていると不思議なことに、安心感と高揚感に包まれて時間も早く過ぎていくように感じる。
―――時間よ止まれ。このまま、止まってしまえ。
過ぎていく時間、近づく城。
病気かもしれない父上に早く会いたい気持ちに反してそんな想いが生まれていた。
過ぎ行く時間が惜しくなるほど大切に想うこの気持ちは、何て名前なんだろうか。何と呼べばいい。
隣を見上げると宝石のような紫色の瞳は荷馬車の通って来た遥か後ろの道を見つめていた。
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