42食目 異端者
出発の準備を終えた私達は、孤児院の裏口でコレット院長とエキドナに挨拶をしていた。借りていた服などを綺麗にして、部屋も片付け、勿論、干していた私の下着も忘れずに回収した。もしこんなものを忘れた日には、恥ずかしくて顔から火が出てしまうだろう。
子供達はまだ眠っている時間だが、もうすぐ起きてしまう頃だ。起きてしまえば、コレット院長やエキドナも慌ただしくなって挨拶どころではなくなる。孤児院の朝は戦場なのだと私はこの数日で学んだ。
「レティシアさん、どうかお体に気をつけて」
「またいつでも寄ってくれよ。子供達だって寂しいだろうしさ」
そう言ってエキドナが肩を叩いてくれて、私はどこか安堵した気持ちになった。
「ありがとうございます。フレデリク君にも……悪戯はほどほどにと伝えてください。お世話になりました」
私とノエルが一礼をすると、コレット院長とエキドナも頭を下げてくれた。忙しい中、こうしてただの旅人を見送ってくれたことに感謝だ。
私達は足早に孤児院に背を向けて歩き始めた。
フレデリク君にも挨拶したかったけれど、仕方ないわよね……。
彼がまた悪戯ばかりして皆に迷惑をかけることはないという確信はあった。彼は彼なりに成長したのだから。いつか会えた時には、きちんと謝るつもりだ。
また、再会したい人が増えてしまったわね。
旅を続けていると、また会いたい人が増えていく。会わなくちゃ、という使命感のような気持ちもあるのだが。それは寂しくもあり嬉しくもあった。
皆からは希望を貰ってばかりだわ。
行く末のわからない、結末の決まっていない小説のようなこの旅に、明るい光をもたらしてくれる彼らの存在を私は何があっても忘れない。
たとえ、この首を跳ねられたとしても。
「―――レティシア様、次の目的地を決めましょう」
ノエルに声を掛けられて、ハッと我に帰る。物思いにふけってぼんやりしている場合ではない。
「そうね。何も決めずに出たものね……まずはこの地域を地図で確認してみましょう」
私達は人気のなさそうな道の隅にある石に座り、背負った鞄から地図を取り出して広げた。ごつごつとした石がお尻を痛め付けるが我慢だ。
ノエルが地図を一緒に覗き込み、大陸の東から少し中央よりの場所を指差した。ふと気が付くと、ノエルの長い睫毛が見えるほど近付いていた。
か、顔が近い……!
私は緊張を誤魔化すように地図に顔を寄せて、見ることを集中する。
「ここが今いるジュモーの街です。最短距離だと、このまま街道を通り西へ向かえば恐らくは夕刻には次の街です」
私の住んでいた塔があった場所からは、少し進んでいるようだった。それでも、王都まではまだ半分も進んでいないことがわかる。
「まだまだ先は長いわね……でも街もあるし街道もあるなら助かるわ。森を歩くのは大変だもの」
「そうですね。念のため物資を補給してから行きましょう。確か、教会の付近に食料品を扱う店舗がありましたね」
「ええ、朝食もしっかり食べて体力つけて行くわよ!」
「承知いたしました」
バタバタと急いで出発したのですっかりお腹が空いてしまった。じわりじわりと地鳴りのような音がお腹から聞こえてくるので早く何か食べて落ち着きたい。
私達は少し足早に街の中心に向かった。朝の澄んだ空気を吸いながらしばらく歩くと、賑やかな通りに出た。どうやら朝市が開かれているらしい。道に沿って様々な店舗が軒を連ね、活気に満ちていた。
「どの街も朝市はとても賑やかなのね」
「新鮮な食材を仕入れて、食堂や茶屋で提供するには朝市が安くて確実ですからね。……残念ながら、私達が欲しい日持ちするものは売っていないようです」
確かに、売っているのは新鮮野菜や乳、生肉ばかりだ。
「うーん、仕方ないわね。商店街の辺りに行ってみましょう」
「はい」
私達は更に進んで、教会付近の商店街にやって来た。まだ開店していない店はあるが、ちらほらと営業をしているのが伺える。
買い出しも必要だけど、まずは朝食を……!
私のお腹は限界に達していた。空腹で頭はくらくらするし、気持ち悪い。早く暖かいお茶やパンを流し込みたい。
食欲に支配された私はふらふらと無意識のうちに、とある店の前に来た。大きくない店構えは茶色の石造りで、付近の店舗より柔らかい印象を受けた。出窓のような所に店主と思われる男性が白い帽子を被って立ち、奥には厨房が見える。店先にはいくつかのテーブルと椅子が展開されており、既に数人の人が食事を取っている。どうやら外で飲食をする所らしい。
「何だか甘くていい匂い……ノエル、ここで朝食にしましょう」
「よろしいのですか、店内で食べられる場所は他にもありますが……」
「いいのよ! 私、もうお腹が空いて死んでしまいそうよ……」
「すぐに朝食のご用意を致します!」
ノエルが私を急いで店の窓まで引っ張っていくと、白帽子の店主が朝だというのに、はつらつとした声で挨拶をしてくれる。
「いらっしゃい、どれにする?」
「この店で一番美味しいものをいただけますか」
ノエルが感情の乗らない口調でそう言うと、店主は気に留める様子もなく快活に笑う。
「ははっ、うちのはどれも旨いよ。でも、今日はこのパンケーキがおすすめだよ。今朝はいい果物を仕入れたからね。二人分なら銅貨12枚だよ」
私達はお金を支払うと、近くのテーブル席に向かい合って座った。出来上がり次第店主が持ってきてくれるらしい。
「果物の乗ったパンケーキですって!」
私は久しぶりの甘い響きのする食事にわくわくが止まらなかった。
「とても美味しそうですね。どんな果物なのでしょう」
「そういえば聞いてなかったわね、でもきっと美味しいに違いないわ」
ふと私は周りの雰囲気に既視感を覚えた。
「ねぇ、このお店ってノエルがお世話になったお店に似てないかしら?」
「花咲く甘露亭ですか?」
「えぇ、ほら軽食を食べられるところとか外で食べるところが……」
「確かにそうですね、しかしここは女性の高い声が飛ばなくて過ごしやすいです」
他愛ない会話をしているとディオンやソフィのことを思い出す。私が屋敷で仕事をしている間、ノエルもあの店で頑張ってくれていた。ノエルは女性の高い声と言うが、私から見れば落ち着いた雰囲気の店だった印象しかない。しかし女性の割合が多い飲食店なのは違いない。
「そんなにうるさいところだったかしら?」
ディオンが来ていた時は確かに女性のざわめきが凄かったけれど。何でうるさいと思ったのかしら。
「注文もせず声を掛けられるのは仕事の邪魔ですし、遠くから名前だけ呼ばれるのも耳障りです」
「そうなのね……大変だったわね、頑張ってくれてありがとう」
「いえ……とんでもございません」
そんな会話をしていると、白帽子の店主が二人分の木皿と木のカップを器用に運んで来てくれた。
き、来た!
私は思わず心の中で叫んだ。
「おまちどうさま!」
店主が勢いよく皿とカップを置くと、甘くて香ばしい香りが漂う。それを思い切り吸い込んだ。
最高にいい香り……それに、見た目も可愛いわ。食べるのが勿体ないくらい。
暖かいパンケーキに鮮やかな赤色をしたジャムがとろりと流れるようにかけられ、青い色をした小さな果実がころころとパンケーキの上で寝転んでいた。嬉しいことに、ふかふかのパンケーキは二段重ねだ。これならお腹も十分膨れそうだ。
「チゴのジャムとブルベリのパンケーキだよ。これは新鮮なうちにジャムにしたから美味しいよ」
店主が自慢気に話すと、私は何度も頷いた。
「とっても美味しそうです! いただいてもよろしいですか?」
「あぁ、そこにナイフとフォークがあるから使ってくれ」
そう言われて私はテーブルに置かれた小さな箱を開けてみる。中には木製のナイフとフォークがいくつも入っていて、その一対を取り出してみる。普段使っていたものより粗雑と言わざるを得ないが、食事をするには問題無さそうだ。
「ありがとうございます。はい、ノエルもどうぞ。いただきます!」
「あ、ありがとうございます。では私も……いただきます」
ノエルにナイフとフォークを渡すと、私は流れるようにパンケーキをナイフで切った。切り口にチゴのジャムが染みていき、私はその一辺を口に入れる。
「んー! 甘酸っぱくて美味しい! それにふわふわで幸せ……」
「お客さんにそんなに喜んで貰えると、思いきって開業した甲斐があるよ。近頃、どこの街でも甘いものが流行ってるんだ。ソレイユの街は行ったことあるか?」
ソレイユは、つい最近お世話になったディオンがいる街のことだ。距離からして、こことは余り離れていないので近隣の街の一つと言える。
「はい、先日通りました」
「なら、花咲く甘露亭って知ってるか? あそこの甘味が流行っててさ。王都から来た役人や商人があの店を参考に甘味処の経営に乗り出したらしい。で、それを聞いた俺もなけなしの資金で開業したってわけさ」
店主は矢継ぎ早にそう語ると、自信に満ちた笑みを浮かべた。どうやら商売が上手くいっているらしい。
花咲く甘露亭って、そんな影響力あるお店だったのね……凄く人気そうではあったけれど。
「王都でも甘味が流行っているなら、是非そちらもいただきたいです!」
「王都だとここより店舗数が断然多いから目移りするかもしれないな。まっ、行くなら気をつけて行ってきな! 兄さんも、またうちに来てくれよな!」
「……」
店主は仏頂面のノエルの背中を叩くと、新たな客の注文を取りに店まで戻って行った。
「……大丈夫? 背中、痛むの?」
「いえ、問題ありません」
ノエルはそう言ってパンケーキを食べる。食への興味が薄い彼は、この可愛らしくて美味しいパンケーキを食べても笑顔になることはなく、何となく私も無言で食べ終えてしまった。
自分と同じようにはしゃいで欲しいわけではないが、気持ちの共有ができたらと思うことがある。どうしてそんな思いになるのか、理解されたいと思うのかわからなかった。
私がわがままなのかしら……でも、折角の旅路なのだから楽しく過ごしたいわ。
私はコップの水を飲むと、一息ついた。お腹も満腹で幸せいっぱいだ。そんな気持ちに浸っていると、不意に横から声を掛けられる。
「朝早くからどうしたのー? お姉さん」
「奇遇だね、これからどこ行くのー?」
幼い少年達の声を聞いて、私は僅かに体が跳ねた。
「お、おはよう。アレス、べレス」
私は二人と合う時、いつも良くない事態を目の当たりにしてきたことから、つい身構えてしまう。年下相手になんて狭量なのだろう。
まぁ、ノエルも同じような感じね。
ノエルは一目見ただけでわかるような敵意を向けている。彼の鋭い視線も何のその、二人は私の近くに立ってテーブルに手をついて見下ろしてくる。私の方が座っているから見下ろされるのは仕方がない、しかし。
……妙な圧を掛けるのは止めて欲しい。
「おはよう、お姉さん。それに冷血お兄さんも」
「今日暇? 僕達と遊ぼー」
昨日の女の子の姿とは打って変わって、長い髪を後頭部で束ね、少年らしい様相だ。黒い上着に深い赤と青の色違いの胴着と黒いズボンを着ている。いずれも黒っぽい色味なので建物の影などにいると目立たなさそうだ。
「暇ではないわ。貴方達、昨日のお酒の件だけどノエルに何か言うことがあると思うの」
私は少し強い口調で言った。私への悪戯や態度は捨て置いて、ノエルに迷惑をかけたことは一言でも謝って欲しかった。
「あれが強いお酒だと知っていたのでしょう? 悪戯にも程があるわ」
「でもさ、お姉さんに飲んで欲しかったのにそのお兄さんが勝手に飲んじゃっただけだよね」
「そーだよ。自業自得―――ってあれ? お兄さん元気そうだね。何で?」
アレスとベレスが不思議そうにノエルを見ている。
「答える義理はない。レティシア様、そろそろ出発の買い出しに行きましょう」
「そうね、急がないと次の街に着く頃には夜になっちゃうわ」
アレスとベレスから謝罪の言葉がなかったことに私はがっかりしていた。悪い子達ではないはずという期待を裏切られたようで胸が痛かった。
私のそんな思いは露知らず、二人は席を離れようとする私達の前に立ちはだかった。
「ちょっと待って、これから次の街って……どこかに行っちゃうの?」
「そうです。怪我をしない内に退きなさい」
ノエルが冷酷に告げると、アレスとベレスは焦っているようだった。
「今街を出るのは無理だよ。街道への道で検問してるんだ。尋ね人の話を聞いたけど、お姉さんの特徴にぴったりなんだよ。お姉さんが行ったら捕まっちゃうよ!」
私が捕まる……つまり、それはイグドラシル兵が聖王の勅命により動いている件のことに違いない。私の特徴を捉えた尋ね人を連れてくれば報酬もあるという。しかしそれは可愛くて美人という条件も付いていたはず、だから私が検問に行っても捕まる可能性は低い。
「大丈夫よ、私は尋ね人ではないし、噂されてるほど可愛くも美人でもないもの」
尋ね人本人なのは内密にしなくてはならないものの、自分で言っておきながら悲しい。でも醜い豚なのは事実、仕方がない。
「そんなことない!」
「そのようなことはありません!」
内心で自嘲していると、ノエルに加えてアレスとベレスが声を揃えて荒げた。
「えっ!?」
予想もしていなかった反応に私は驚きの声を上げた。三人の大きな声が周りに響いて、思わずフードを深く被り辺りを見回した。
「レティシア様はとても美しく可愛らしい御方です!」
「お姉さんは可愛いよ! 捕まったら酷いことされちゃうよ!」
「そうだよ! 拷問とか、拷問とか拷問とか拷問とかー!」
「拷問多いわね……」
拷問は万が一、なきにしもあらずだが……安易に検問に向かうのは得策ではないかもしれない。
「でも、検問を免れてどうやって街道へ行けばいいのかわからないわ」
「それなら、僕達が案内してあげるよ。裏道なら得意だから」
「可愛いお姉さんが拷問される姿も惜しいけど、仕方ない」
不穏な言葉は聞こえなかったふりをして、私は手放しに喜んだ。
「本当? ありがとう!」
「レティシア様、あまりこの者達を信用するのは……」
もちろん、ノエルが心配する気持ちはわかる。この案内だって大変な目に合わない保証はない。私はノエルに耳打ちをした。
「手段は選んでいられないわ。今、イグドラシル兵に捕まれば父上にお会いすることも想いを伝えることも出来なくなるもの」
私がそう言って笑顔を見せると、ノエルも納得してくれたようだ。
「わかりました。しかし、十分警戒しましょう」
彼らに警戒なんてするつもりはないけれど、変なことにならないよう気を付けよう。
「……内緒話は終わった? ところで……案内する代わりの条件なんだけど……」
「えっ、条件?」
まさか条件を提示してくるとは思わなかったが、考えても見れば無報酬で案内というのも彼らに得がなさすぎる。
「レティシア様に条件を提示するとは不届き者め……すぐに案内しろ」
「ノエル! そんなこと言っては駄目でしょ。ごめんなさい、条件って何かしら?」
私は今にも噛みつきそうなノエルを制して尋ねる。はっきり言って、ノエルは彼らを良く思っていない。酒の件もそうだし、初めて出会った時の連れ去り未遂も、彼にとって不愉快極まりなかったと思う。主を軽率に扱われ、危険な目に合わそうという人物に好感を持たないのは仕方がない。しかし同時に、完全に危険人物と思っていないのもわかる。もしノエルが本気で彼らを排除したいなら、彼らとこうして話をする猶予すらないだろう。
「そうだね、まずお姉さん達は何処へ行くつもりなの?」
「えっと、王都の方まで……」
私は尻すぼみになりながら答える。アレスかベレスか見分けが出来ないが、その幼い瞳にすべてを見抜かれそうで怖い。
尋問……尋問だわ。
「王都かぁ、いいね。じゃあ僕達も王都まで同行させてくれたらそれでいいよ」
「……えっ?」
私はまずいことになったのではとノエルを見上げると、彼の眉間には怒りと困惑からか皺が刻まれていた。
大変だわ、私が何とかしなくちゃ!
彼らに王都まで付いて来られると、私が王女だと気付かれるかもしれない。それに、こんな年下の子達を危険な目に合わせるなんて絶対に出来ない。私とノエルが辿るこの旅は、ただの観光ではない。何としても同行を阻止しなくては。
「そんな、困るわ。私達にも事情があるの。お金じゃだめ?」
「駄目だよ」
すっぱりと断られるが、私も引き下がれない。
「貴方達には孤児院のことだってあるでしょう? ここを離れてどうするの」
「あそこは大丈夫だよ、教会とも繋がってるし安全さ。院長も大人しそうに見えて結構やり手なんだ」
「それにいつまでも一人立ち出来ないんじゃ逆に心配かけちゃうでしょ? 僕達、王都で沢山稼ぎたいんだ」
両者一歩も引かず、事態は平行線を辿っている。しかし私の方が先に折れてしまいそうだ。
「王都でなくても稼ぐことは出来るわ。そう……隣街とか!」
「まぁ、それはそうだけど」
「じゃあ隣街までで良いわね!」
私の押しにアレスとベレスはやれやれと肩を竦めているが、ここらで妥協してくれそうだ。
「お姉さんって見掛けに寄らず頑固だよね」
「ほんとだよ、こんな可愛い子供がお願いしてるのにさ」
可愛い子供は自分のことを可愛い子供なんて言わないと思う。と、喉まで出掛かったがぐっと飲み込んだ。私は交渉に勝利したのだ。これ以上面倒事にしたくない。
ずっと黙っていたノエルを見ると、優しい眼差しと目が合った。彼は敢えて黙っていてくれたのだろうか、私の頑張りを見守ってくれていたことに嬉しくなる。
まぁ、自分で蒔いた種だったけれど。
「交渉成立ね。案内はしっかりして頂戴ね」
「わかってるよ。でも、ちょっと不公平だと思うんだよね。不正をさせようって言うのに値下げ紛いなことしてさ」
彼らはまだ不満げに文句を言っているが、不意にお互いに顔を見合わせた。そして、にんまりと不敵な笑みを浮かべるとノエルの隙を付いて私の左右の腕掴み子供とは思えない力で強く引き寄せた。
両頬に彼らの顔が近付いたと思うと、柔らかい感触と熱が頬に触れる。一瞬の出来事に呆然としているのは、私だけではなかった。私は軽く抱き寄せられながら、自称可愛い子供のアレスとベレスに耳元で囁かれる。
「これで許してあげる」
「ね、魔力無しの異端者さん」
全く可愛くないむしろゾッとさえする言葉に鳥肌を立てると同時にノエルに後ろから奪うように引き寄せられる。
少しよろけながら彼らから離れると、ノエルの強い怒気の籠った声が降る。
「もう我慢なりません。始末しましょう、今すぐに」
冷静に、しかし殺意は剥き出しに言い放つ。その間、汚れが気になるのか私の両頬を手布でさりげなくかつ優しく拭っている。
異端者って言われたのは聞こえていなかったみたいね。良かった。
私は見えない手綱をしっかりと握る気持ちでノエルを制止した。
「暴力は駄目よ。それにここで争ったりしたらすぐにイグドラシル兵に目を付けられるわ。それより……」
私は笑顔を浮かべる少年達を刺すように見つめる。爽やかな可愛らしい笑顔なのに、どこか冷たく恐ろしい。
「……場所を変えましょう。アレスとベレスはきちんと裏道を案内しなさい」
「はーい」
「こっちだよー」
私が命令を下すように指示をすると、アレスとベレスは軽く間延びした返事をして私達を誘導していく。
彼らの背を追いながら、私は今更になって心臓が飛び出しそうになっていた。
どうして、どうして……私に魔力がないことを知っているの?
魔力感知なんて聞いたことがない。私には魔力がないのでノエルから教わったことしか知識はない。それでも、今まで出会った人からそんなことは聞いたことはなかった。もちろん私の生きていた世界は広くはなかったけれど。
幾つもの裏道を通り、砂埃を纏いながら進むと小さな路地裏のような行き止まりの壁に辿り着いた。頑丈に高く聳え立ち、これが街の一部を覆っている外壁だろうと予測できた。
「まさか、ここを通るの?」
私の目の前には小さな穴が空いている。いや細身の大人なら何とか一人は通れるくらいには大きいのだが、私のこの体格で通れるとは到底思えない。
「そうだよ。さぁ通ってー」
「絶対安全安心の裏道です、どうぞー」
面白がってるでしょ、とは言えない。手に取るようにわかる彼らの意図を感じつつ溜め息を付く。
困ったわね、と言おうとノエルを見上げると彼は私が口を開くより先に下方の穴に歩み寄った。
「ノエ―――」
腰から捻るように繰り出された拳が穴の横に打ち込まれ、頑丈そうな石壁に開いた穴がごつごつと音を立てて二周り以上大きく崩れた。
殴った!? 石壁を!?
唖然とする私にノエルが微笑む。
「レティシア様、どうぞお通りください」
「あ、ありがとう……じゃなくて! 手を見せて!」
私は慌ててノエルの手をとった。
「怪我はしてないの!? 大丈夫!?」
「はい、問題ありません」
殴った方の手を確認してみるが、特に怪我はしていないようで安堵した。
「それならいいのだけど……心配したのよ。もう危ないことはしないでね」
かすり傷一つない手を撫でると、ノエルが少しくすぐったそうに眉を潜めた。
「申し訳ありません」
それにしても、傷がないなんて凄い。上手くやるコツでもあるのかしら。魔法での身体防御かしら、勉強不足でよくわからないわね。
考えながらノエルの手を握っていると、咳払いが聞こえた。
「お取り込み中悪いんだけど……そろそろ行ってくれる?」
「いちゃいちゃするなら後でね」
「い、いちゃ……!? ご、ごめんなさいすぐ行くわ!」
いちゃいちゃだなんて、恋人でもないのにそんなことしてないわ!
私が膝を付いて急いで穴を通り抜けると、背後の方で鈍い音が二つ聞こえた気がした。
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