41食目 目覚めの予兆
山の向こうから伸びる黄色く眩しい朝陽で私は目を覚ました。柔らかな毛布は思い切り蹴飛ばされていて、寝相の壮絶さを物語る。
しまった……窓を開けたまま寝ちゃったわ。ノエルは寒くなかったかしら?
私はくしゃくしゃになった頭を手で直しながら、少し離れた隣のベッドで眠るノエルの様子を伺った。まだ寝息を立てているのを見ると、そろりとベッドから降りた。
今日は出発の準備をしなくちゃね、孤児院のお手伝いは手が空いたらにしましょう。でもその前に、体だけ綺麗にしなくてはね。何だか汗臭い気がするわ。
私は部屋の洗面台で大きめの布を濡らし、服を脱いだ。簡素な板で仕切ってあるので万が一ノエルが起きても安心だ。
椅子に腰掛けて体を丹念に拭き、髪も軽く濡らして汚れを拭き取る。
以前は湯船によく入っていたけれど、贅沢なことだったのよね。
孤児院では人数が多い分、湯船に入る方が子供達のお世話はしやすい。でも一人の為に湯を張るのは水もたくさん必要だし、手間もお金もかかる。
考えてみると、塔での暮らしは食事も生活も裕福なものだった。孤児院に来るまでは、裕福とか貧しいとかそんなことを考えることはなかったが、貧しい立場に身を置いて初めて分かることもある。
私にはまだまだ知らないことがたくさんあると思い知らされる。孤児院という存在も、人々の暮らしも。そして親を失った子供達が大勢いることも。手伝いの合間にコレット院長やエキドナから色々と事情を聞いたことがあった。
ここには、親を病気や不慮の事故で亡くした子供達が集まってる。捨て子や盗賊に親の命を奪われた悲しい子も……皆、元気だし明るいから見た目だけではそんなこと全然わからないけど……。アレスとべレスもここで育ったから、あの子達の親もきっと―――
自分の無知さを反省しながら、体を綺麗にしたあとは布を洗って衣服を拭いていく。下着は洗えても上着などの衣類は一張羅でもあるため簡単には洗えないので、こうして土埃や汚れを取る。ノエルが普段やっているのを見よう見真似でしているが、これが結構大変だった。
ある程度綺麗にしてまた下着や衣服を着る。下着は汚れやすいので替えの綺麗なものを着た。
さすがに下着までノエルに洗って貰うのは……恥ずかしいわ。
汚れた下着を洗って、仕切り板の見えにくいところに干しているとノエルの毛布がもそもそと動き、ゆっくりと上半身が起き上がる。
「おはようノエル。体の具合はどう?」
「っ……おはようございます。起床が遅くなり申し訳ありません」
ノエルはゆらりとベッドから足を出して、立ち上がろうとすると何かに気が付いたように突然はっとして一気に立ち上がった。
「レティシア様!」
「えっ? 何?」
「体が……楽に……なっています」
「本当? 良かった! 辛そうだったから、すごく心配していたのよ」
昨日エキドナさんからいただいたお茶のおかげかしら?
驚いた顔のノエルが私を凝視する。
「レティシア様……何か、していただいたのですか? いえ、あの、薬のようなものなどをいただいたり……」
「昨日、エキドナが酔いに効くお茶をくれたの。それのおかげよ、きっと。後でお礼をしなくちゃね」
私がそう伝えるが、ノエルはどこか納得がいかない様子だった。
「お茶……ですか。とてもそれだけとは思えないのですが―――それと実は、昨晩の記憶がほとんどなく……この部屋に入った後のことは覚えていないのです。ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ございません」
看病、というか汗を拭いたりはしたものの酔いに効くわけではないしそこは伏せておくことにした。
ノエルのことだから、そんなことがあったと知ったら気に病んでしまいそうだわ。あとは抱き寄せられたりもしたけれど、そこも覚えてなさそうね。
昨晩のノエルの温もりを思い出して心臓が煩かったが、それを悟られないように振る舞う。
「まぁとにかく、具合が良くなったなら良かったわ」
私は駄目押しでノエルにお茶を渡すと、体を拭くための布を新しく用意した。
「私は少し部屋から出るから、体を綺麗にしておくといいわ」
「でしたら、私も一緒に行き―――」
「病み上がりさんは大人しくしていなさい」
「はい……」
すごくしょんぼりしてる……ちょっと可哀想だったかしら……。
お茶を握り締めるノエルの姿に後ろ髪を引かれながら、私は部屋を後にした。
まだ子供達は寝ているのだろう、院内は不気味なほど静かだった。廊下を歩いていると、食堂前でコレット院長と鉢合わせた。まだ早朝というのに眠たそうな素振りもなく身だしなみも完璧だ。
「おはようございます、コレット院長」
「おはようございます、レティシアさん。あれから、ノエルさんの調子はいかがですか?」
「おかげ様で、すっかり治りました。いつもと変わらないくらい体調が良いみたいです」
ノエルの様子を伝えるとコレット院長は驚いた顔をして、何か疑問を持ったように頬に手を添えた。
「それは随分とお酒にお強いのですね。“悪魔殺し”はこの街一番の銘酒ですが、あまりに強い酔いを伴うので飲めば三日酔いと言われるくらい酷い体調不良を引き起こすのです。エキドナにも頻繁に飲まないよう注意しておりまして」
なんだかすごい強いお酒を持ってきてくれたのね、あの双子の小悪魔達は。
内心呆れながら、コレット院長の話を聞く。
「あの酔い醒ましのお茶も気休め程度でしかないので……もしかして他に何か手当てなさったのですか?」
「あ、いいえ、体を拭いたり飲み水は用意していましたが特別なことは何も。あとは休むしかありませんでしたから、早く良くなるように祈ってました」
ノエルも首を傾げていたからお酒には強い方ではないと思うけれど……どうなのかしら。
「祈りを……そうですか。もしかすると、大精霊様に祈りが通じたのかもしれませんね」
「ふふ、そうですね。本当に良かったです」
私が笑っているのとは反対にコレット院長は神妙な顔つきで私を見ていた。さすがの私も刺さるようなその視線に耐えるのは難しい。
「……あの、どうかしましたか?」
「レティシアさん、貴方の魔法属性を教えていただけますか?」
私は思ってもみない質問にしどろもどろになる。
「えっ? えっと、あー……火、いや水とか風とか……」
「……」
コレット院長の目が怖い。珍妙な動物を見るような、それでいて嘘を許さない瞳に貫かれる。
「レティシアさん、知っていますか? 先代院長から聞いた発祥もわからない古い伝承、なんですが」
「古い伝承?」
「はい、伝承と言うにはあまりに核心がない曖昧なものですが。我々が大精霊様より賜った魔法属性の内、聖属性の魔法に纏わるものです。これらは王族のみが有する魔法となっていますが……その理由。今の王族は大精霊様に創造されたこの世界の始祖の末裔であり、故に唯一の力を与えられたのです」
世界の始まりは誰にもわからないから、お伽噺として色々な派生がある。しかし、コレット院長の語り口はお伽噺というには真実味を帯びた話のように聞こえた。
「その魔法は……その力は、癒しと創造である。全てを癒し、全てを創る。故に―――全てを屠る、と」
「癒しに、創造……屠るというのはつまり破壊、ですか?」
何だか不気味な話し……でも王族と言っても私には魔力がないから縁遠い話しだわ。間違ってもコレット院長には私に魔力がないことは言えない、怪しまれそうだもの。
「あくまで古い伝承ですから、詳しくはわかりません。ですが……恐らくはそうなのでしょう。レティシアさん、貴方を疑うわけではありませんが、私は貴方が―――」
コレット院長はその先を言い淀んだ。私も何となく彼女が言いたいことはわかったから何も言えなかった。
早くここを出発しなくちゃ。お世話になった皆に迷惑をかけたくないもの。
胸がきゅっと締め付けられた。もう少しだけこの孤児院の優しい空間で微睡んでいたいと思っていた自分に気が付いて、余計に胸が苦しくなる。
「コレット院長、私達は今日出発します」
私の言葉にコレット院長は綺麗な眉を下げて悲しげな顔をした。
「レティシアさん、そんなつもりではっ……ごめんなさい」
「私達も先を急ぐ身です。ここは居心地が良くて、つい長居をしてしまいました。代金は部屋に置いておくので、子供達の為にどうか役立ててください」
私は笑顔で一礼をしてから踵を返して部屋に向かう。その足取りが早くなってしまったのは、コレット院長の視線に耐えられなかったから。
私、何してるのかしら……笑い飛ばせないなら認めてるのと同じじゃない。私が王族だって―――
少し溜め息をついてから、私はノエルに無理をさせてしまうことを申し訳なく思いつつ彼が待つ部屋の扉を叩いた。
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