40食目 祭りの後で

 夜空から零れた月と星々の光は、自責の念に落ちた私を慰めるように室内を照らしてくれていた。開け放った窓からは祭りの熱い余韻を静めるように、涼しい風が入ってくる。


「具合はどう?」


 私はベッドに横たわるノエルの側に椅子を寄せて座り、彼の顔を覗き込んだ。


「私は大丈夫です……どうかレティシア様もお休みください」


 私達が孤児院に帰り着き、借りている自分達の部屋へ戻ってきた時のことだ。突然、ノエルが足元から崩れ落ち床に倒れてしまった。慌ててコレット院長やエキドナに助けを求め、至急手当てをしてもらった。

 原因は、強い酒による酔いだった。めまい、吐き気、頭痛、疲労感など、酒酔いは体へ様々な不調をもたらすそうだ。一歩間違えば死に至るとも。

 私は酒で体調が悪くなることなど知るよしもなく、能天気にも祭りを楽しみノエルに魔力を使わせた挙げ句、体調への気遣いも出来ていなかった。


「休まないわ。酔いに効くお茶をいただけて良かったけど……私に責任があるもの。側にいさせて」


 エキドナが酔いに効くお茶を常備してくれていて助かった。酒酔いを治すには水をしっかり飲み、休むしかないらしい。すぐに楽にさせてあげられないことがもどかしかった。


 私に出来るのは、側でお水を汲んであげることくらいね。悔しい、こんな時に魔法が役に立てばいいのに。


 魔法は人々の生活を豊かにしてきた。しかし、病気や怪我を治癒する魔法は存在しない。魔力にこれだけの利便性があるのに、癒しだけは与えられていないことに憤りを感じずにはいられない。勿論、それが利己的なのは承知している。

 大切な人が苦しんでいるのに助けられないのが辛くて、気持ちのやり場がないのだ。


「ノエル、私に何か出来ることはない?」


 ノエルの息は荒い、かなり苦しいのだろう。


「―――服、を……」


 ノエルは小さく呟いて、喉の辺りに手を伸ばした。彼が着ている服は市民の礼服、首回りがぴっしりとボタンで留められている。


「首が苦しいのね、すぐに外すわ」


 私は震えるノエルの手を退けて、三つのボタンを外した。息がしやすくなったのか、ノエルは深呼吸をした。


「ありがとう……ございます」

「どういたしまして」


 少しは役に立てたかしら、あとはゆっくり休めば―――


 私は近くのテーブルに用意していた濡れ布でノエルの額や首を出来るだけ優しく拭いた。汗で髪が張り付いていたのを直し、不快にならないようにしていると、濡れ布を持った手を突然掴まれた。濡れ布は床に落ちてしまい、ぺしゃりと音が鳴る。


「きゃっ! ど、どうしたの? どこか痛む?」


 彼の行動が思いもよらなかったので、驚いて声を上げてしまった。掴まれた手首は熱く、ノエルの体温が直に伝わってくる。


「レティシア、様……」


 明かりは窓から入り込む月明かりだけなのに、ノエルの赤く火照る顔がよく見えた。


「不甲斐ない私を、お許しください……」


 ノエルは苦しそうに息を漏らした。苦しんでいるのは私のせいなのに、いつも自分だけが悪いみたいに謝罪する。彼が執事だからと言って、謝るのは当然ではない。その思いが私の胸をきつく締め上げる。


「……許すわ。もう眠りなさい」


 私の許しの言葉を聞いても、彼は手を離さなかった。代わりにより強く握られる。


「私は……レティシア様の執事でいられることが至極の幸福です。私の全てを捨てても、貴方の全てをお守りします」

「……」


 私は彼の言葉を静かに聞くことにした。話しをすることで落ち着いて眠るかもしれないし、いつもとは違う雰囲気の彼の話を聞いてみたくなった。


 話しが終わるまで手を離してくれそうにないものね。


「……ですが、最近はそれが危ぶまれる事ばかり起きて……不安で仕方がないのです。もし、貴方に何かあったら―――もし、誰かに見初められたらと思うと……」


 見初められ……え?


 突拍子もないというか、有り得ないことを語られて目が点になってしまう。


「他のどこの馬の骨ともわからぬ男に譲りたくないのです。悪徳王族や傲慢貴族に政略結婚させられるくらいなら、いっそ―――」


 言葉に勢いはあるものの、段々と呂律が回らなくなってきている。何か不安があるなら話してくれればと思っていたが、不穏な感じになってきた。


「いっそ……何?」


 相手を始末するとか言い出しそうだけど。


「―――貴方を攫ってしまいたい」


 斜め上から切り込まれたように、ひどく衝撃的なことを聞いてしまった。酔っぱらいの虚言だといえばそこまでだ。しかし、いくら酔っているとはいえ思ってもないことを口にするだろうか。


「攫うって……そんな、急に変なことを言い出さないで。人攫いは罪よ、私は貴方にそんな人間になってほしくないわ」


 それにそんなことをしなくても、誰も私のことを娶りたいとは思わないもの。私のような豚姫なんて―――


 自暴自棄になりかけた時、掴まれた腕が勢いよく引かれる。


「きゃっ!?」


 驚く一瞬の内に、上から覆い被さる形で私の上半身をノエルに抱き締められていた。彼は酔っぱらいらしからぬ力強く素早い動きで私をその腕の中に捕まえてしまったのだ。


「レティシア様」


 体の芯まで響くような低く溜め息混じりの声で名を呼ばれ、心臓が跳ね上がってしまう。妖艶で耳の奥に絡み付くその声に私は戸惑いを隠せなかった。

 抜け出そうと身を捩るも、凄腕鬼執事と恐れられた彼の力には到底敵わない。


「ノ、ノエル……重いでしょう? 早く放して」

「―――ただお側にお仕え出来れば幸せだった。それなのに……貴方を想わずにいられない。守ると誓ったこの手で……あぁ―――私は、強欲です」


 何を言っているのか支離滅裂でわからないわ……。強欲どころか、ノエルは無欲無表情鉄仮面だと思うけど。


 いつか読んだ恋愛小説の台詞に似ているような気がして少し緊張していたが、ノエルは寂しいだけなのかもしれない。彼の私に向ける気持ちは主人に対するもの、そこに寂しさが混じっているだけ。お酒のせいで感情が不安定なのだろう。

 そう結論付けると、途端に落ち着きを取り戻した。


「レティシア様……」


 寂しそうに私の名前を呼ぶノエルに、私は宥めるように優しく答える。


「大丈夫。この旅もいつかは終わるけれど、私には貴方が必要だもの。いつまでも―――ん?」


 私はふとノエルの力が抜けたことに気が付いた。気絶でもしたのかと思うほど、彼は一瞬にして眠ってしまったようだ。


 眠ってくれて安心したけど……こんなに早く眠れるなんて。お酒の力かしら。


 私は静かに寝息をたてるノエルの腕からそっと抜け出し、側にある椅子に座った。体が冷えないように乱れた毛布を掛け直し、しばし彼の寝顔を見つめる。


 ノエルって本当に容姿端麗よね。外の世界に出ても、彼以上に美しい容姿の男性は見たことがないもの。まぁ、ディオンも綺麗な人だったけれど……ノエル程ではないわね。


 私は毛布から出ている彼の手を両手で包み込むように握り、目を閉じた。祈りの所作をし、静かに息を吸い込む。


 ―――どうか、一刻も早く、ノエルの体から酒の毒気が抜けますように。


 祈りを捧げたのはいつ以来だろう。母上を亡くし悲しみに暮れた時か―――いや、もっと昔のような気がする。

 ……誰か。小さな、あの子。虚無の暗闇に佇む小さな混沌のような、あの子が笑顔になりますようにと。渡したのは……大好きな菓子だったか。

 私は暖かいノエルの手をゆっくりと毛布の中へ戻した。


「私もそろそろ眠らなくちゃ」


 私は自分のベッドに潜り込む。柔らかい毛布を被ると、すぐに瞼がとろとろと重くなってくる。


 明日は出発の準備をして、きっと明後日にはノエルの体調が良くなるはずだから……も

う孤児院ともお別れしなくちゃ。


 ―――寂しい。


 沢山の明るく元気な子供達、優しいコレット院長、頼りになる姉御肌のエキドナ。会えなくなるわけじゃないけど、会える保証もない。別れはいつも、心に刺を刺したようにずくずくと痛む。

 私はその痛みから目を背け、眠りについた。

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