39食目 星降る精霊祭

「人がたくさん来てるわね! 賑やかでとっても素敵、わくわくちゃうわ!」

「そうですね。レティシア様の初めての祭事体験に立ち会うことが出来て光栄です」


 目の前の広場にはたくさんの人々が荒波のように行き交い、夜にも拘わらず照明が辺りを真昼のように明るく照らしている。そしてこの広大な広場には、私がこの世で最も大切にしていると言っても過言ではないものが幾多も存在していた。

 香ばしい香り、甘い香り、酸っぱい香り。食欲をそそる香りが溢れている空間に、とにかく鼻が忙しかった。


「あぁ、とってもいい香り!」

「小さな小屋のようなものがたくさんありますね。あれが屋台というものでしょう。食べ物を売っているようです」

「あんなに小さい場所でお料理しているなんて、すごく腕のいい料理人なのね」


 私は辺りを見渡しながら、未知の料理をどれから食べようかと心を踊らせ考えていた。はしゃぐ私とは違い、ノエルは緊張の面持ちで落ち着かない様子だった。


 きっと、イグドラシル兵やこの間の男性がいるかも知れないから警戒しているのね。


 あの男性……赤髪の男は恐らく神出鬼没。目の前で消えることが出来るなら、現れることも同様に造作もないだろう。確かに不安は拭えない。

 しかし、今はお祭りという楽しい時間だ。刹那的思想になったわけではないが、楽しめる時に楽しまないと損というもの。


「ノエル、大丈夫よ」

「しかし、レティシア様に危険が及ぶ可能性が―――」

「今日はお祭りよ。こんな人混みだもの、私のことなんて誰もわからないわ。それに、ほら。皆楽しんでるじゃない」


 酒に酔った大人達や走り回る子供達、皆自分が楽しむことに全力で、周りの人がどうだかなんて気にも留めていない。体に大きな私さえも、今はちっぽけな存在だ。

 ノエルも周りの様子を改めて観察してみて納得が出来たようだ。


「そうですね。少し考えすぎたかもしれません」


 緊張の糸が緩んだノエルは僅かに笑った。困ったような、安心したような、そんな顔をしている。


「大精霊様の御前とも言える今宵は、誰も悪事を働かないと良いですね」

「大丈夫よ、私が保証するわ」


 勿論、なんの根拠もない保証だが。


「ありがとうございます。……では、このまま立ち尽くす訳にもいかないですし、何か食べ物でもいただきましょうか」

「そうね、ノエルは何が食べたい?」

「私は食べられるものならなんでも。レティシア様が食べたいものは何ですか?」


 期待外れの回答に私は少し困った。ノエルは食事に関して無頓着らしい。


 まぁ、それは前から分かっていたことだけれど。折角美味しい物を食べられるのに。


「えーっと……よくわからないから歩きながら考えてもいいかしら?」

「わかりました、では参りましょう」


 そう言ってノエルは私の手を取り屋台の並ぶ道へ歩き出した。

 余りにも自然に手を繋いだので、了承のやり取りもなく、私はノエルの後を追う形で連れられて行く。

 予想だにしていなかったことに心臓が激しく鼓動してしまい内心は混乱状態だった。


 ノエルの手が暖かい……っ! 大きい……!


 ノエルの手の感触が気になりくらくらしてきた。何故か手のひらに汗もかいて、鼓動も早くて落ち着かない。


 病気にでもなったみたい……。


 ノエルはというと、そんな私のことには気が付いていないようだった。


「ノ、ノエル。ちょっと待って」


 耐えきれず声をかけると、ノエルはこちらを見て歩みを止めた。私達が止まったので後ろを歩いていた人達は避けるように追い越して行く。


「何か食べたいものがありましたか?」

「あ、いえ……その」


 屋台の方へ意識がいかなすぎてわからない、とは言えず私はとりあえず近くにあった屋台の店を指差した。


「あれが食べたい……かも」


 私が指差したのは串焼きの料理のようだった。とにかく、何でもいいからこの状態を脱したい。


「わかりました。では、買ってどこかで食べましょう」

「そうね」


 私は内心ほっとしながら、ノエルと屋台の料理を選び始めた。


 食事中ならちょっと距離を置けるわね。良かった。


「へいらっしゃい! どれにする?」


 威勢のいい中年男性が手際よく串焼きを焼きつつ、接客をしてくれた。近づくと、調理の熱気が当たって熱い。


 随分器用な料理人なのね。商売人も兼ねてるなんてすごいわ。


「レティシア様、どれになさいますか?」


 目の前に並んでいるのは、恐らくタレ漬けされた肉を串に刺して焼いたものだ。どれと言われても種類も味もよくわからない。ただ、どれも香ばしい匂いを放っているので間違いなく美味しいだろう。


「全種類ください!」

「あいよ! あんた見た目通りよく食うんだな! はははっ!」


 中年男性は笑いつつ串焼きを手際よく紙袋に入れていくと、近くにいた手伝いの女性に手渡した。ノエルが女性へ料理の代金を渡すと、女性がノエルに耳打ちをして串焼きに加え別の物も紙袋に入れて手渡したのが見えた。

 後ろで次の客が待っていたので、私達は早々に屋台から離れた。屋台から離れると熱気が和らいで涼しく、思わず深呼吸をする。



「レティシア様、お体は大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。でも、食事するのもなかなか大変ね」


 私がそう言うと、ノエルは辺りを見回して、遠くの屋台がなく人が少ない場所を指差した。


「あの辺りで食事にしましょう」


 ノエルが指差した場所は、飲食ができるようにテーブルや椅子がたくさん並んでいた。確かにあそこなら落ち着いて食べられそうだ。


「えぇ、そうしましょ」


 良かった。正直お腹が空いて力が出なかったもの。


 少し歩いてテーブルの並んだ場所へ行くと、丁度丸テーブルが空いたところだった。


「ここにしましょう。レティシア様、どうぞおかけください」


 串焼きの入った紙袋をテーブルに置くと、ノエルは椅子を引いてくれる。塔を出ても、彼が私の執事であることは変わらないのだなと改めて実感した。


「えぇ、ありがとう」


 ……それを寂しく思うのは何故かしら。


 私は促されるまま椅子に座ると、ノエルが紙袋を裂いて串焼きをその内側へ広げてくれる。


「そういえばさっき、買ったもの以外にも何かいただいていたわね」

「はい。二人で食べるようにと、これを。おまけ、と言っておりましたが……意図はわかりません。食べられるなら有難い限りです」


 肉の串焼きと、おまけで手渡されたものが並ぶ。どうやら野菜の丸焼きのようだ。見たことはないが、黄色くて小さな実が密集したものがこんがりと焼かれほのかに甘い香りを放っていた。


 どうやって食べるのかしら。実を一つ一つ外すのは大変そうだわ。


「レティシア様、お飲み物を用意致しますのでこちらで少々お待ちください」


 ノエルはそう言って近くの建物に向かってしまい、私は騒がしい人々の中に一人取り残されてしまった。

 経験したことのない騒がしさと人の波に、私は意識がぐるぐると渦に飲まれてしまうような感覚がした。そして自分が異質な存在のような、一人だけ膜を張った水の中にいるような気がしていた。

 不安の中で俯いていると、不意に肩を叩かれた。


 ノエルだわ!


「良かった! もう戻ってき―――」


 勢いよく振り向くとよく似た顔をした人間が二人、そこに立っていた。アレスとべレスだ。

 彼らは初めて出会った時と同じ、女性の格好をしている。胸元は大きく開いてすらりとした足が覗く、少し大人びた衣装で見た目だけは可愛らしい女の子に見える。

 しかし、男だ。


「誰かと間違えちゃった? ごめんね、お姉さん。でも間違えられるなんて悲しいなぁ。ねえ、アレス」

「そうだね、べレス。悲しくて泣けてきちゃうよ」


 言葉とは反対に悲しみの欠片さえ見せないのは彼ららしいと思えた。アレスとべレスは近くから椅子を引っ張ってくると当たり前のように同じテーブルに着席した。それぞれ手には飲み物が入った大きな取っ手付き容器を持ち、それをテーブルへ置くと重みのある音が響いた。


 そうよね、ノエルが振り向かせるのに私の肩を叩くなんて有り得ないもの。でも、一人は寂しかったから、来てくれて嬉しいわ。


「こんばんは、アレス、べレス。今日はお休みなの?」


 落胆しているのを隠して話をするが、彼らは私の顔を見て少し不機嫌そうにしている。心の中を読まれているようで居心地悪い。


「今夜はお祭りだからね、僕らだってたまには仕事を忘れて外で遊びたいよ」

「そうそう。だけど、稼ぎ時でもあるから、さっきまで頑張っちゃったんだ」


 懐から金属音のする袋を出して、彼らは不敵に笑った。どうやら仕事で稼いだお金が入っているようだ。


「偉いわね。もし良かったら、一緒に食事でもどうかしら?」

「うーん、折角のお誘いだけど今はいいよ。お姉さん食べなよ」

「そうだよ。お姉さんがご飯食べてる姿を見るほうが楽しいし」

「そ、そう?」


 私は食べるほうが専門だから、よくわからないけれど……楽しいなら良かったわ。何にせよ、この子達とちゃんとお話しが出来るのが嬉しい。


「……ところで、貴方達はどんな仕事をしているの? コレット院長も子供達も心配していたし、ちゃんと報告しなくちゃ駄目よ」

「お姉さん、僕達の仕事が気になるの?」


 アレスとべレスが頬杖をついてこちらを見つめる。彼らの宵闇色の瞳が真っ直ぐに私を射抜く。


「ええ」


 私が緊張気味に返事をすると、彼らは少し考えてから話し始めた。


「僕達は夜に寂しい思いをしている人を癒してるんだ。勿論、老若男女関係なくだからお姉さんもお客さんになれるよ」

「人の心を癒すの? すごいわね」


 怪我や病気も治療には知識が必要だし、心を癒せるようになるのも相当な努力が必要だろう。幼いながら仕事熱心な彼らに私は感服していた。

 

「でもね、お姉さん。僕達、こう見えて純粋無垢なんだ。純潔はちゃんと守ってるんだよ。偉い?」

「えぇ、偉いと思うわ」


 純潔って、清らかなことよね? よくわからないけれど汚れているよりは良いことだわ。


「私も少しだけ働いたことがあるけれど、お金を稼ぐのは大変なことだわ。貴方達はたくさん努力してるのね、偉いわ」


 そう言って私は彼らの頭を両手でそれぞれ撫でた。まだ幼いと言える彼らが必死に努力して仕事をする、そんな姿に庇護欲がくすぐられてしまった。


「……お姉さんに褒めて貰えるとなんか嬉しいな」

「僕もだよ、アレス」


 彼らは手に持った飲み物を一口飲むと、少し頬を赤らめた。様子がおかしいと思った私は少しだけ彼らの飲み物の匂いを嗅いでみて、ハッとした。


―――お酒の匂い!?


 アレスとべレスはお酒を飲んでいたのだ。飲酒は成人を迎えてからとノエルに教わっていた手前、彼らの未成年飲酒行為を見逃すことは出来ない。罰則こそ軽いものだが、彼らが真っ当に生きているのにこんなことで人生に汚点を作るのは勿体無い。


「アレス、べレス! 子供がお酒なんて飲んでは駄目よ!」


 私が注意すると、彼らは標的を得たと言わんばかりに私にぴったりと身を寄せてしたり顔を見せた。


「そうだよねぇ、子供がお酒なんて駄目だよねぇ? でもこれ美味しいからやめられないなぁ」

「どうしてもやめて欲しいなら、代わりにこれ飲んでよ。目の前にあると飲んじゃうし、捨てるのは作ってくれた人に申し訳ないじゃない?」


 彼らは二つのジョッキに並々と入った赤色の酒を私にずいずいと押し付けてくる。むせかえるような酒の匂いが肺いっぱいに詰まる。


「うっ……!」


 お酒臭い! 駄目と言ったからには、後には引けないけれど……私だってまだ未成年よ!


 飲めば罰則、しかし私が飲まねば彼らが罰則。葛藤をしている内に、いつの間にか二つの大きなジョッキを手にしていた。


 か、覚悟を決めるしかないわ!


 アレスとべレスから期待の眼差しという名の圧力を掛けられ、私はジョッキの縁に唇を付けた。脳を痺れさせるくらいの酒の匂いが間近に迫った時、それは私の手から上へと抜けていった。

 ハッとして上を見上げると、勢いよく酒を飲むノエルの姿があった。喉の膨らみが上下に動き、白い首筋を揺らす。


「ノエル! な、何してるの!?」


 一気に流し込んだ酒が口元から僅かに流れるのを手の甲で拭きながら、もう一つのジョッキも私から取り上げてしまう。


「これもですね」


 そう言ってノエルは二杯目の酒を喉へ流し込む。

 その光景を私も、アレスとべレスも、ただ唖然と見つめるだけだった。圧倒的な飲みっぷりに言葉が出てこない。

 私達に見守られながらノエルは大量の酒をすべて飲みきってしまった。


「お兄さんすっごいね、びっくりしちゃった」

「特技はお邪魔虫だけじゃないんだね、感心したよ」


 ノエルは冷たい眼差しでアレスとべレスを睨み付けると、空のジョッキをテーブルに叩きつけた。


「どうやら悪い虫がいるようですね。すぐに叩き潰さなくては―――」


 冷ややかなノエルの眼差しは悪戯が過ぎた彼らに突き刺さる。さすがに今回は彼らを擁護する気持ちになれない。


「……帰ろうべレス。興醒めしちゃった」

「そうだねアレス。面倒事は嫌いだしね」


 そう言って彼らはすぐに離席した。去ろうとする彼らに私はお節介な声をかける。


「あ! ちゃんとコレット院長に挨拶するのよ!」

「はーい。お姉さんも楽しんでね、またねー」

「あとそのお酒、街一番の強いやつだから気を付けてね。じゃーねー」


 後ろ手に手をひらひらさせながら彼らは人混みへと消えていった。

 残された私達は嵐が過ぎ去った空間で向かい合って座る。


「ノエル、お酒を飲んでくれて助かったわ。ありがとう。私はまだ成人していないしどうしようかと……体は大丈夫?」


 街一番の強いお酒と言っていたわね……顔色は平気そうだけど心配だわ。


「はい。全く問題ございません。こちら、レティシア様のお飲み物です。どうぞお食事も召し上がってください」


 そう言ってノエルは買って来てくれたお茶を差し出す。言われるがまま、木の器に入ったお茶を飲むと花の香りが口や鼻に広がった。

 脳裏にふと、塔でお茶会をしていたことを思い出す。二人しかいなかったけれど、穏やかに過ごしたあの時間が懐かしい。


「美味しいわ、花の香りがする。……では気を取り直して、食事にしましょう。ノエルもしっかり食べるのよ?」

「レティシア様がおっしゃるなら……いただきます」


 ようやく落ち着いて食事が出来るわ。あの子達が来ると、嵐が来たようで大変だけど……楽しい。それに、なんだか放っておけないのよね。


 私はいくつかある肉の串焼きの一つを手に取った。周りを見ると、どうやら串にかじりついて食べるものらしかった。


「レティシア様、あまりご無理をなされずに……」


 祭の中の不馴れな食事にノエルが心配してくれる。でも、これまでだってたくさん不馴れなことはあった。生活も食事も、塔にいた頃に比べると随分と民衆へ寄り添ったものになった。

 馴れないことの連続で大変な毎日、だけど私はそれが楽しかった。


「―――いただきます!」


 大きく口を開けて串の先端に食らい付くと、肉汁が甘辛いたれを包み込み、口の中へ広がっていく。ほんのりと苦味を感じるのは直火で焼いて焦げているから。しかしそれが見事に合わさり美味しさを引き立てている。


「んーっ! 美味しいー!」


 頬張りながらノエルを見ると、彼は穏やかに笑っている。私はそんな様子に安堵した。


 ノエルにとって少しは気が休まってる……ってことよね。きっと。


 ノエルも私が食べるのを見ると、串焼きを食べてくれた。綺麗に整った艶やかな唇が開かれる度に、私は胸の高鳴りを感じた。

 それがいけないことのように感じて、誤魔化すように串焼きを急いで口に放り込んでいると、ふとノエルから視線を感じて見上げる。


「……どうしたの?」

「レティシア様、口元が汚れております」


 彼は懐から持参した手布で私の口元を綺麗に拭ってくれた。真っ白な布地がタレや焦げで汚れてしまって、申し訳ない気持ちになる。


「ごめんなさい。綺麗な手布なのに」

「とんでもございません。これはレティシア様のために用意したのですから。布も本望でしょう」


 布に感情はないと思うけれど、ノエルがそう思うのかしら。


「ありがとう」


 私はまた串焼きを食べ始めた。今度は口元の汚れに気を付けながら、例の黄色い野菜と思われる丸焼きも噛ってみる。


「くぅ……っ美味しい! 甘くて香ばしいつぶつぶ食感が堪らないわ! ノエルも早く食べて!」


 ノエルも静かに丸焼きを噛る。やはり、容姿が整っていると何をしても美しい。


 私の食事風景はどんな風に見えるかしら。


 私は野菜と思われる丸焼きを噛り続けた。野菜は体に良いし、痩身にも効果的だと塔で読んだ本にも書いてあったので安心して食べられる。まだまだ痩せたとは言えないけれど、小さな積み重ねが大切だ。


 必ず、綺麗に痩せてみせる。


 私は胸の内で静かに誓う。

 すると、突然周りが暗闇に包まれ人々がざわつき始めた。


「な、何!?」

「レティシア様、私のお側へ!」


 私もノエルも立ち上がり急いで側に寄った。何か悪いことが起きるのではないかと不安が過り、気が付くとノエルの腕を強く抱き締めていた。


「大丈夫です、必ず私がお守りします」


 そう言ってノエルは私の頭を包むようにしながら強く抱き寄せてくれた。彼の腕の中は暖かく心地よい、不安が氷のように溶けて消えていく。

 周りを警戒していると、空に一筋の閃光が走った。それを皮切りに次々と光が空へ昇っていった。乳白色、薄黄色、空色、鮮やかな赤、新緑の色、様々な光が尾を引きながら天高く舞い上がり夜空へ吸い込まれるように消える。

 広場の方からは管楽器や鍵盤楽器のゆったりとした音楽の演奏が聞こえてきて、私達はようやくこれが祭事の催しだと気が付く。

 私は途端に恥ずかしくなり慌ててノエルから離れる。


 そうだわ、コレット院長が言っていた……これが魔力を大精霊様に捧げる催しなんだわ。


「ノエル、思い出したのだけど、これは魔力を大精霊様に捧げる星贈りという催しらしいの」


 そう言うとノエルは、警戒こそ解いたものの、無関心の極みといった表情を顔に張り付けていた。


「私はレティシア様にすべてを捧げております。大精霊に捧げるものなど持ち合わせておりません」


 あまりにも隠さず物を言うので、近くにいた見知らぬおじさんが空へ魔力を放ちながら怪訝な視線を向けている。


 うっ……異端者だと思われたら捕らえられてしまうかも!


「わぁ、魔力ってとっても綺麗なのね! 私もしてみたいわ!」


 誤魔化しつつノエルを誘導してみるものの、私には魔力がない。つまりは催しに参加出来ないということだが、端から見れば異端者が魔力を捧げていないようにも見えるだろう。これは非常に良くない事態になってしまった。


 冷や汗をかきながら私はノエルを見上げる。すると、意外にもノエルの表情は穏やかなものだった。


「かしこまりました。それでは、失礼いたします―――」


 ノエルは私の手を取ると指を絡ませた。しなやかで細い指が私の手袋のようなこんもりとした手を優しく握ると、私は驚きと混乱、そして心臓の激しい鼓動に見舞われた。

 そんな私にノエルは静かに耳打ちをした。


「私の魔力をレティシア様の体へ巡らせて、この手から放出します。よろしいですね?」


 私は小さく頷いた。


 あぁ、そうか。私が星贈りを……魔力放出をやりたいと言ったからノエルは……。私に魔力がないのを知っているから、こんな風に―――


 指が絡み合う手を強く握る。手のひら、腕、足、胴体……暖かいノエルの手から熱を伴う優しい流れが身体中を満たした。水ように滑らかで風のように軽やか、火のように暖かく雷鳴のようにはっきりと、優しい感覚が巡る。


 これが魔力……。


 初めての感覚に戸惑うが、不思議と恐ろしくはなかった。それはノエルの魔力だからだと思う。


「何だか、変な感じだわ」

「痛みはありませんか?」

「ええ、大丈夫。とても満たされるわ、心地いい」

「そうですか、安心しました。では、手を上に……」


 私達は握った手を空へ向けた。すると満ちていた魔力が一気に空へ放たれた。

 周りの誰の魔力よりも力強く速く、白い衣のような輝きを纏った薄紫の光は天高く昇っていく。


「わぁ、すごく綺麗……」


 やがて光は夜空へと吸い込まれ見えなくなってしまった。あの魔力が大精霊様に届くかどうかはわからないが、この美しく儚い光景は生涯忘れ難いだろう。


「……レティシア様、星贈りも終わりましたね。そろそろ帰りましょう」


 余韻もそこそこにノエルに促される。もう少しこの雰囲気を楽しみたいとも思ったが、遅くなっては孤児院にも迷惑だろう。


「そうね。ノエルのおかげでとても素敵な星贈りが出来たわ。ありがとう」


 思わず、嬉しさで口元が緩む。


「……とんでもございません」


 控えめな返事と共にノエルも僅かに笑う。その遠慮がちな笑顔を見ると嬉しさが更に込み上げてくる。


 今夜は気持ちが昂って眠れなさそうだわ。


 私達はテーブルの食事の片付けを済ませると、楽しむ人々と軽やかな音楽を背に帰路に就いた。

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