38食目 星降る精霊祭
教会での出来事から二日が経った夕刻。私は祭で賑わう街の音を聞きながら孤児院の一室で身支度をしている。
いや、身支度をされていると言うほうが正しいのかもしれない。
「おい、クソガキ! そっちのリボン取ってくれ!」
「誰がクソガキだ、筋肉山賊女!」
エキドナが私の髪を結い、フレデリクがその手伝いでリボンを鷲掴みにしてどれにしようかと慌てている。
私はそんな様子を微笑ましく見守りながら、どこかぼんやりしていた。
結局、教会で出会った男の言うとおり誰もアイリーンのことは知らなかったし、後で見せてもらった孤児院の名簿にもいなかった。彼女の名前を出したコレット院長とエキドナさえ何も覚えていないという状況に、私とノエルは困惑するしかなかった。
―――彼は記憶を操作したと言っていたけれど……にわかには信じ難い。でもこの状況ではそれを信じる他ないのよね。
ノエルと一緒にこのことを話し合ってみたが、実際にそれは魔法によって可能であるらしい。ただし、そんな奇妙なことは誰もが出来るわけではない。
魔法の属性は地、水、火、風、空の五つに加え聖と邪に分類され、その中でも邪の魔法は別格だ。禁忌の魔法として一切の行使が禁じられており、それは人間には行使出来ない。唯一、お伽噺に出てくる架空の存在である魔族と呼ばれる邪悪な者のみが使えると言われている。
つまり、彼は……あの男は人間ではない可能性がある。断定できないのは、誰もこの禁忌の魔法を見たことがないし使えないから。もしかすると、誰も知らないところで邪の魔法を使える人がいるのかもしれないが。
言い伝えだけで存在するこの禁忌の魔法というのは、それだけ不明瞭なものなのだ。
逆に聖の魔法は邪に相対する力、王族だけが持つ魔法属性だ。かつてこの世界が大精霊により創られた時に与えれたものらしい。これもまた謎に包まれているが、邪と違うところは間違いなく存在する魔法であるということ。ノエルから聞いた話しでは、私の母上も聖魔法が使えたようだが、みだりに他人に見せてはならないとされているらしく、聖王である父上のみがどのような魔法なのかを知っているとのことだ。
私は、塔へ幽閉される前の幼い頃の記憶はほとんどない。だから、ノエルから聞ける父上や母上の話しは寂しくもあり嬉しくもある。
普段、私の父上や母上のことはあまり話してくれないのよね。本当はもっと聞きたいんだけれど。
そんなことを考えていると、エキドナが私の両肩を軽く叩いて鏡越しににんまりと笑った。
「よっしゃ、完璧な乙女の出来上がりだ!」
考え事をしている間に、どうやら髪を結い終わったようだ。
「ありがとうございます、エキドナさん。わぁ……すごく可愛いです! でも、こんなに可愛い髪は……その、私に似合ってますか?」
私の金色の髪は右肩の方へ向かい一つに編み込まれ、髪の束との間を薄紫のリボンが流れるように絡む。最後に毛先を八重咲きで空色の花飾りで留めている。髪型は可愛らしさで溢れている分、太っている自分が似つかわしくないような気がして落ち着かない。
「大丈夫だって! 今のあんた、めちゃくちゃ可愛いよ。なんてったってあたしが結ったんだ! 可愛くないわけない!」
エキドナは自信たっぷりに言い胸をどんと突き出す。
「それにな、このリボンの色。そこのクソませガキが選んだんだ。あんたに似合うってさ」
にたりとエキドナが笑うと、側で手伝ってくれていたフレデリクが眉を吊り上げる。
「何だよ! 似合ってんだから別にいいだろ!」
フレデリクは声を荒げているが、怒っているというより照れているように見えて思わず笑ってしまう。
「ありがとう、フレデリクくん。エキドナさんも、忙しいのに本当にありがとうございます」
祭に合わせて、孤児院の庭でもささやかに宴をするらしい。孤児院の子供達皆で街に出るのは難しいので、こういった形になるらしい。子供達は外に出たいのではないかと思ったが、いつもより豪華な食事や玩具も貰えるので満足らしい。
そして今は孤児院の全員がその準備で忙しくする夕刻の時間帯だ。大切な日に時間を割いて私の身支度を手伝ってくれる二人に感謝だ。
「いいよいいよ。あんたも兄さんも孤児院のために寄付とか手伝いとか色々してくれたし、このくらいさせてくれよ。子供らもあんたらがいてくれて嬉しそうだし」
エキドナはそう言ってまた笑った。彼女は言葉遣いと豪快さが相まって少し粗暴そうに見えるが、料理も出来るし面倒見も良く、こうして女性の髪を美しく結うことも出来る本当に素敵な女性だ。
「エキドナさんって器用ですよね。家事だけじゃなくて、こんなに素敵に髪を結ったり。どこかで学んだんですか?」
私の問いに、彼女はばつが悪そうに頭を掻く。
「あー、まぁ……ちょっと王都で勉強したんだ。好きだからさ、こーゆーの」
落ち着きなく視線が揺らぎ、彼女はどこか自信が無さげだった。
「……似合わねぇだろ? あたしみたいな女がさ」
「いいえ、そんなことありません」
私の返答が思いもよらなかったのか、彼女は唖然とした表情を見せた。
「エキドナさんはとても器用で何でも出来るし、力もあって、皆が頼りにするくらい心が広くて……でも繊細なところもあって。私には、エキドナさんが輝いて見えます」
そう言って私はエキドナに自然と微笑んでいた。彼女のようになれたらと思わずにはいられない。
「……はぁー、調子狂うよなぁ。ほんと。あんたって見かけによらず人たらしだろ」
「え?」
貶されているのかしら。それとも褒めてる?
エキドナは一つ咳払いをしてその場を濁した。
「……ごほん、あんたはそろそろ行ってきな。待ってる奴がいるだろ?」
「あっ、そうでした! 急がなくちゃ!」
私はノエルと玄関口で待ち合わせる約束をしていたのだった。すっかり身支度に手間取ってしまったが、どのくらい待たせているだろう。
「あんたって人は……はぁ。あの兄ちゃんが不憫すぎる」
エキドナは頭を抱えて溜め息をつき、フレデリクを見る。
「ガキんちょ、男は待つことも大切だからな。よーく覚えておけ」
「……うっせぇ。余計なお世話だ」
小声でフレデリクは反論している。私はそれを背中で聞きつつ、扉を開けた。
「いってきます!」
「はいよ、楽しんできな!」
私は部屋から出ると玄関口で待つノエルの元へ急いだ。
頭の中は、ただただ待たせてしまったという焦りで埋め尽くされる。主従関係なのだから待たせても問題ないはずなのに、私は急がずにはいられなかった。
玄関口に着くと、見覚えのない服を着たノエルが背筋をピンと伸ばして待ってくれていた。
「レティシア様」
名前を呼ばれると、妙な気持ちが沸き上がってきた。刹那、不思議に思ったが私はすぐにこの感情を受け入れた。
―――嬉しい。
私は一呼吸して、乱れた息を整えた。
「ノエル、待たせたわよね。ごめんなさい」
「いいえ。私も先程準備が終わりました次第です。しかし、このような衣服で申し訳ありません。院長がこれを来ていくようにと仰るもので……」
そう言ってノエルは困ったように視線を泳がせた。彼が来ているのは民衆の礼服のように見えた。貴族ほど華美ではなく、控えめな印象の礼服だ。
「いいじゃない、似合ってるわ」
「ありがとうございます。民衆に紛れるには丁度いいとは思いますが……少々違和感を拭いきれません。レティシア様は―――」
私を見てノエルは暫し言葉を止めた。
「……よくお似合い、です」
「ぎこちない言い方ね」
エキドナさんとフレデリク君が頑張って綺麗にしてくれたんだもの。もっと褒めて欲しいわ。
「……まぁ、私は太っているから仕方ないわね」
ぽつりと出た言葉。勿論、嫌がらせをしたいわけではないがなんとなく拗ねてしまった。
しかし、本当のことなだけに自分へ言葉の刃が返ってきて痛い。
「ち、違います! レティシア様はお美しいです! ただ……余りにも可愛らしくて、戸惑ってしまいまして……」
「か、可愛い……? 本当?」
恥ずかしそうに首元を撫でるノエルを見上げる。
「とても、可愛らしいです」
その真っ直ぐな言葉に、心臓の鼓動が早くなる。
今まで幾度となく、彼は私を褒めてくれた。だから彼の言葉に私がこんなに鼓動を早めてしまうのが信じられなかった。
自分で聞いておいて、恥ずかしがるなんて変よね。
「あ、ありがとう」
これ以上言葉が出てこない。唾を飲み込んで、高鳴る鼓動に堪えることしかできない。
「も、もう行きましょう? 美味しい屋台?というものが出ているらしいの。私、お腹が空いたわ」
こんなに緊張している時でも空腹感を感じるなんて、我ながら感心する食欲ね。
「そうですね。今日はお祭りですから、楽しみましょう」
ノエルも話題が変わり安心したようだ。私達は孤児院を後にして街の中心へと歩き出した。
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