37食目 帰りは、いない
ジュモーの街は広い。遠くからでも見える大きな教会を中心とし、商店街、住宅街、下町が外へ向けてぐるりと層になっている。まるで大木の年輪だ。
私とノエルはそんな大木のような街で目立たないように動きながら、アイリーンを探していた。王都から来たイグドラシル兵にアイリーンが拐われたと考えるのが一番簡単だ。しかし、尋ね人として情報が流れているなら、報酬目当てにいつ誰が連れ去ったとしてもおかしな話ではない。
誘拐犯の目星はないが、最終的に行き着く先はイグドラシル兵の元だ。アイリーンを引き渡し、報酬を得るには情報元へ行く必要がある。
街の人から聞いた話しでは、イグドラシル兵は教会を一時的な駐屯地とし情報収集を行っているらしい。私達がジュモーへ来る時に出会った兵は分隊で、各地で情報の拡散と私の捜索活動をしているようだ。
「ノエル、ありがとう。だけど、貴方にばかり探らせてごめんなさい」
ノエルは動き回れない私に代わり、一通りの情報収集をしてくれた。おかげで、こうして教会を目視出来る建物の影で待機しながら、相手の動きを待つことができる。しかし私はただ一緒にいるだけで、何の役にも立てていない。その悔しさや苛立ちを、歯を食いしばってただ耐えるしか今の私には出来ない。
「いいえ、当然のことです。レティシア様のお役に立つことが私の生きる意味であり、幸福なのですから」
そう言ってノエルは穏やかに笑ってくれる。あまり大きな感情の変化のない彼の微笑みには、大きな優しさと気遣いが溢れている。
「ありがとう、少し気持ちが楽になるわ。……それにしても、いつ誘拐犯が来るかわからないのはちょっと難儀よね」
「そうですね……では、私が偵察に参ります」
「えっ!?」
あまりにも突拍子もない作戦変更に私は驚きの声をあげてしまう。
ノエルはローブを脱ぐと、衣服を整える。彼が今着ているのは、孤児院で借りた修道服だ。濡れた執事服の代わりだが、元々彼のために作られたかのように丁度良い大きさだ。
私は教会に向かおうとするノエルの腕を考えるより先に掴んでいた。
「ま、待って!」
「……? 何か、問題でも?」
ノエルは訝しげに私を見つめる。
「わ、私も行くわ!」
自分も突拍子のないことを言ったものだと思う。私が何か出来るとは思えない、むしろ足手まといになる以外に想像できない。それでも掴んだ腕を放す気にはなれなかった。
「いいえ。レティシア様を危険な目に合わせるわけには参りません。ここでお待ち下さい」
ノエルは私の手をそっと退かそうとするが、私は離されないようにより強く彼の腕を握りしめた。
「私が招いたことなのよ? 貴方一人に背負わせるわけにはいかないわ」
当たり前のように身を呈するノエルに対して、熱を伴った感情がふつふつと沸き上がる。
この気持ちは……何? 怒り?
「ノエル、貴方は頑張りすぎなのよ。昨日も今日も、全然元気がないじゃない……! 私が連れ回して、迷惑掛けて……だからきっと―――!」
怒りを覚えているはずなのに、私の声は震えていた。鼻先がじんじんと痺れ、目の周りに熱が集まっていく。
ノエルの顔を見上げることが出来ずに、腕を掴んだまま下を向いてしまう。
「私には貴方が何か悩んでるように見えて、ご飯を食べても休養しても、元気がなくて……。どうしたらノエルが元気になってくれるか、他の誰かに聞いたって、私が考えたって、ちっとも答えがわからないの。ノエルにはいつも笑っていて欲しいのに……!」
そう言ってノエルを見上げると、堪えきれなかった涙が頬を伝い筋を作っていった。どうしてこんなにぐちゃぐちゃと感情が沸いてくるのかわからない。感情の波は涙となって溢れてしまう。
見上げた彼の顔は驚いたように目を見開き、瞬きもしない。長くない沈黙が続くと、ノエルが小さく深呼吸をして私へ跪いた。掴んでいた手を優しくほどかれ、大きくて暖かい彼の両手で包み込まれる。ふっくらしたパンのような私の手さえすっぽりと。
「申し訳ありません。レティシア様に無用なご心配をお掛けしました。私は……自らの身勝手な感情を抑えることが出来ずにいるだけなのです」
そう自らを責めるように言うと、ノエルは静かに続けた。
「それに私は、迷惑などと思ったことは一度もございません。ただレティシア様が笑って、元気でいてくださるのならこの命さえ惜しくはないのです」
その言葉を聞いて、私とノエルは同じだったのだと思い知る。
私もノエルも、お互いのことを思うばかりに頑張りすぎていた。
塔を出てから本当の意味で休めたことなんてなかったかもしれない。いつも心のどこかで旅の先を不安に思い未来を嘆いて、起こりうる最悪の事態が思考を廻っていた。表面上は気にしていなくとも、それはいつも影のように付いて来ていたのだ。
「―――ノエル、この事が終わったら私と一緒に星降る精霊祭に行ってくれる?」
私は鼻をすすり、涙を拭ってノエルに問いかけた。そうだ、私達に必要なのは、エキドナが教えてくれた美味しいご飯や休暇であり、幼い少女が贈りたいと思うほど可愛らしい花であり、フレデリクの言うようにお互いの笑顔だ。そしてそれらを楽しく享受できるのは、星降る精霊祭かもしれない。アレスやべレスが教えてくれた通りに。
「……それは、この街の祭事ですね。勿論、ご要望であればレティシア様とご一緒させて頂きますが……」
ノエルは唐突な問いに戸惑っているようだ。向こうも突拍子もない案を出したのだから、これでお相子である。
「じゃあ決まりね。貴方の作戦も許可するわ。私も一緒だけど!」
そう言って私は建物の影から出ると、教会へ向かって歩を進めた。ノエルも慌てて私の後を付いてくる。
「お、お待ち下さい! レティシア様!」
「ほら、早く行くわよ!」
もうこうなれば強行突破だ。やって来るのを待つより乗り込む方が手っ取り早い。というより、作戦が思い付かないだけだったのだが。
そうして、教会の前へやって来るとノエルが耳打ちをしてきた。
「もし誰かと会っても、レティシア様は私に話を合わせて何も話さないで不安げな顔をしていてください」
「わかったわ。……こう?」
不安そうな表情を作ると、ノエルは目を反らしてしまった。
「そ、それでお願いします」
……ちょっと変だったかしら?
私はノエルの目が泳いでいるのが気になりつつ、教会の扉を開く彼の後ろで待機した。
重々しい音が響く。人の気配はなく、じんとする静けさだけが耳に残る。
聖なる場所のはずなのに、なんだか不気味だわ。
そう思いつつ中へ入ると、教会内部は想像以上の広さだった。両脇に長椅子がいくつも並び、奥にある中性的な髪の長い人物の石像が上部にある窓から差し込む月明かりで照らされていた。
「綺麗……」
思わず感嘆の声を漏らしてしまうほど、美しい姿だった。長い髪をしなやかになびかせ、憂いを帯びた瞳が遠くを見つめている姿はまるで月から舞い降りた妖精のようだ。
「これは、大精霊を模した石像です。人間が作ったものですから、姿形が正しいかどうかはわかりませんが」
ノエルは皮肉を交えながらそう説明してくれた。
「そうね、確かに見たことのないものを想像だけで作ってるんだもの。大精霊様が見たら修正をご希望されるかもしれないわね」
私はそんな友好的な大精霊を想像してクスッと笑う。
石像の前へ来ると、更に奥の部屋へ続くと思われる扉を見つけた。
「こちらに行きましょう」
ノエルに導かれるまま奥へと進んだ。廊下を歩きながらアイリーンがいそうな場所を探す。ノエルは周りへ警戒をしつつ、いくつかの部屋を確認していく。しかし教会関係者もイグドラシル兵も、誰一人として姿がなかった。
「ノエル、誰もいないなんて変だわ」
この教会はイグドラシル兵の拠点として提供されているはず。それなのに誰一人として出会っていないことにさすがの私も違和感を覚えずにはいられなかった。
「そうですね……まだ上層部がありますし、そこを確認したら一旦引き上げましょう」
「わかったわ」
私達は一階から二階、三階と隈無く捜索するが、静まり返った教会に虚しい足音が残るだけだった。
石像のある主祭壇の場所まで戻ってくると、私達はぎょっとした。先程まで誰一人として出会わなかったにも関わらず、主祭壇には若い男性が一人祈りを捧げるように佇んでいたからだ。
被服はノエルが着ているような修道士の服装とは違い、白い上物の装束に身を包み、首周りから流れるように純白のマントを羽織っている。鮮やかな深紅の髪を月光が照らし、白い首筋を浮かび上がらせる。
その姿は、天から舞い降りた月の妖精のように美しかった。正に、大精霊を模した石像のように。
「何か、お探しものですか?」
透き通るような声を静かに響かせながら、男性はゆっくりとこちらへ振り向いた。
深淵から覗かれているような、燃え盛る炎よりも濃い赤色の瞳が私達の姿をそこへ映し込む。
私とノエルは黙って相手の出方を待つ。
「今は、この教会には誰もいませんよ。前夜祭に忙しいですから。酒、女、金……本当に醜い人達です。堕落して、底の底まで落ちても、まだ落ちる……しかしそれが人間の美しさです。咎めるつもりはありませんよ」
そう言って男性は微笑する。教会の人間ではないのだろうか。だとすれば、わざわざこんな夜更けに祈りを捧げに来た熱心な信者か。それとも、イグドラシル兵か。
男性は独白のように語り続ける。
「美しさとは、本来その人の内面を意味するもの……外見だけでは到底わかりえないのです。―――正に、貴女は完璧です。醜い者達にはそれが理解できないようですが」
そう言って男性は、私に目線を合わせて来た。ノエルが私の前に庇うように立っているのに、明らかに私しか見えていないのを感じる。
私は凍りつくような緊張感に唾を飲み込んだ。そして男性に問う。
「貴方は……誰?」
私は、この男性を知っている。けれど、記憶に靄が掛かったように思い出せない。思い出せないのに知っていることを知っている。おかしなことだと自覚はある、それでも私にとってそれが事実だった。
私の問い掛けに男性は驚いた表情をした後、悲しげに目を細めた。
「……俺のこと忘れちゃった?」
先程とは違う。まるで幼い子供のようだった。母に忘れられたような寂しげな目をして、男性は小さく息を吸い込んだ。
「いえ、ゆっくり思い出してください。また会えるんですから」
男性は優しく微笑むと、教会の扉へ向き直った。どうやらここから去るつもりらしい。私は血生臭いことにならなくて良かったと胸を撫で下ろした。
男性は未だノエルを無視して私にだけ語り掛ける。
「俺のためにここまで来てくれて嬉しかったですよ。……あぁ、そうだ。アイリーンのことですが―――ただの記憶操作ですから、もう孤児院に帰りなさい」
―――記憶、操作?
わけのわからないことを言い出され、私は混乱した。しかし、男性は構う素振りもなく教会の外へと向かってしまう。
「また会いましょう―――レティシア」
その瞬間、私は一気に鳥肌が立った。
どうして、私の名前を、知っているの?
一連の出来事に理解が追い付かない中、ノエルだけは違った。彼は手綱の千切れた猛獣のように目の前の男性に向かって飛び掛かって行った。しかし、ノエルが男性を掴むより先に男性は瞬きする時間より早く、その姿を消してしまった。
―――転移魔法!?
陣の形成をすることなく、目の前の男性は恐らく転移魔法で姿を消した。そうでなければ本当に月の妖精か、幻か。とにかくすっかり姿形も気配もこの辺りにはいないようだ。
「レティシア様、ご無事ですか!?」
ノエルがすぐに駆け寄って来てくれる。
「えぇ、大丈夫よ。何だか不思議な人だったわね」
不思議な人。そう表現したものの、内心は脅威を感じずにいられなかった。彼は私のことを知っていた、でも私は覚えていないということが不気味さを感じる。
そもそも私は塔に住む使用人以外に人間を知らない。朧気な記憶にあるのは、幼い頃に見た母上と父上だけだ。塔を出てからもあの人に出会ったことはないはずだ。もし出会って名乗るような仲であるなら、印象的なあの燃えるような赤を忘れるはずがない。
でも、何故かしら……懐かしい気持ちになるのは。
「レティシア様、アイリーンのことですが……」
ノエルが言い淀む。彼もアイリーンのことが引っ掛かるようだ。
「えぇ。記憶操作……よくわからないけど、とにかく孤児院に戻りましょう」
「はい」
私達は教会を後にした。扉から出るとき、酒に酔った集団とすれ違った。教会関係者かイグドラシル兵か、彼らは私達を見向きもせず楽しげに教会の中へと消えていった。
醜い、けれど美しい、か。
欲望のまま酒を飲み明かす彼らは、あの赤髪の男に言わせれば醜くいがそれが美しいらしい。彼の基準はよくわからない。
私はもやもやとしたまま孤児院への道を辿った。孤児院に着くとコレット院長とエキドナが迎えてくれたが、想像していた通りに話が噛み合わなかった。
アイリーンという少女は、存在しなかったのだ。
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