35食目 小悪魔降臨

 コレット院長に、滞在許可と手伝いの件を話し終えた私は夕方に任された手伝いまで待機することになった。ノエルは相変わらず元気がなさそうなので、部屋で休むよう言いつけ、私は目下の悩みを解決すべくこの孤児院の人々に尋ねてみることにした。人生の経験不足故に、自分の大切な執事の悩みさえ検討が付かないのは主として恥ずかしいばかりだ。


 「どうしたらノエルが元気になってくれるかしら?」


 そう私が尋ねると、ある逞しい女性はこう言った。


「旨い酒、それに旨い飯! 休暇も忘れんなよ」


 また、幼い少女は無邪気にこう答えた。


「可愛いお花をあげるの!」


 極めつけに、悪戯好きの少年は生意気な口調でこう言う。


「は? すっげぇどうでもいい。……でも、あんたが笑うと俺は嬉しいと思うけど。あっ、やっぱ嬉しくねぇ! アホ!」


―――私の頭の中で巡るのは、この孤児院で尋ねた質問の答えだ。


「どうしよう……ノエルが元気になる方法がわからない……」


 私は幼い少女から貰った一輪の花を手に庭をうろうろと歩いていた。意外にも孤児院の敷地は広く、木々に囲まれていることから外部から見られることはなさそうだ。

 眉間に力を入れながら必死に考えているのは、気力の抜けたノエルを元気にする方法だが、そもそも何故急にノエルが覇気のない様子になったのかすらわからない私にとって、その答えを導き出すのは容易ではなかった。


「色んな人に聞いてみたけれど、結局どうすればいいのかしら。疲れというより、もっと違うもののような気がするのよね。魔力の枯渇か精神疲労……?」


 ぶつぶつ言いながら歩いていると孤児院の裏手まで来てしまい、私はとりあえず小さな木箱に腰を掛けた。


「ひゃあっ!」


 座った瞬間、小気味いい音を立てながら木片を辺りに散らし、木箱が砕ける。

 何も考えずに座った私の体重を木箱が耐えられるはずもなく、ほとんど砕けてしまった。辛うじて残った木箱の枠にすっぽりとお尻をはめ込まれている。


「ぬ、抜けない……!」


 私の決して小さくないお尻は、すっかり木箱に収まってしまって一人ではどうしようもなくなった。立つことも出来ず、出来るのは四つん這いの体制だけ。その体制からなんとか木箱を取ろうとするが、木片が引っ掛かって抜けず、無理に引っ張れば怪我をしそうだ。


 こんな情けない姿、ノエルには見せられないわ! 孤児院の子供達じゃ木片で怪我をするかもしれないし、コレット院長かエキドナさんを探して……いや駄目だわ、ノエルに見つかってしまうかも。それに四つん這いで移動なんてしたら、フレデリク君に馬鹿にされそうだわ。あぁ、どうしよう……。


 混乱しつつ木枠を取る方法を考えていると、突然、私の頭上から人影が落ちた。


「お姉さん、大丈夫?」

「恥ずかしい格好だね、お姉さん」


 聞いたことのある声に見上げると、いつの間にか昨晩出会った双子が荷物を手に不甲斐ない姿の私を見下ろしていた。今日は女性的な可愛らしい服ではなく、黒い上着に深い赤と青の色違いの胴着を羽織り、短めの黒いズボンを履いている。髪の毛も後頭部で結っているのが印象的だ。


「アレス君、べレス君!」


 二人は四つん這いの私を見下ろしながら笑いを堪えているようだ。ものすごく面白いものを見つけたと語らずとも伝わる。


「ねぇねぇ、助けて欲しい?」

「こぉんな恥ずかしい格好、相方に見せられないよねぇ?」


 私の目の前に回り込んでしゃがむ彼らは実に楽しそうだった。純粋で意地悪なその視線に舐め回されるように見られると、私の羞恥心はぞわぞわと大きくなっていく。


 悔しいけど、一人じゃどうしようもないのは事実だわ。


「……助けてくれる?」

「ダメダメ。もっとちゃんとお願いして」

「僕達が助けたくなるように、心からね」


 なんという子達だろう。見た目の可愛らしさとは裏腹に、意地悪の化身だ。


「……お願いします。木箱を取ってください。ノエルには見られたくないの」


 どう言えばいいのかわからないがとにかくお願いしてみる。


「うーん、あんまり心に響かないかなぁ?」

「でもべレス。あの男に見られたくないって、ちょっとゾクゾクしない?」

「あぁ、確かに。お姉さんの健気さが現れてていいね。じゃあ助けてあげようか」


 どうやら助けてもらえるようで一安心だ。彼らは木箱を少し乱暴に私から引き抜くと、大仕事でもしたかのように清々しい顔をしていた。


「ありがとう、助かったわ」


 私は衣服を軽く叩いて木屑を払う。自業自得ではあるが、なんだかやるせない気持ちになる。


「ところで、貴方達はどうしてここへ?」


 彼らが孤児院からいなくなった話は院長から聞いていた。突然いなくなった彼らが戻って来たのには理由があるはずだ。それに、こんな裏手から現れたということは院長達には見つかりたくないからだろう。

 私の言葉に彼らはぎくりと表情を強張らせた。とても些細な変化だったが、日頃、ノエルの無表情から感情を読み込んできた私だ。そういうのには心得があるつもりだ。


「こんな裏手から来るなんて怪しいわ。誰か人を呼ぶわ」

「わ、わわっ! ちょっと待って!」


 私は少しわざとらしく息を吸うと、アレスとべレスが慌てて手荷物を差し出した。


「これを届けに来ただけだから! 本当だよ、だから誰にも言わないで」


 そう言って手荷物の口を広げると、私に見せてくる。中を覗いてみると食べ物や本等が雑に詰め込まれていた。


「お願い、お姉さん。僕達が来たことは内緒にして?」


 先程の意地悪な態度から一変し、彼らは甘えた声で懇願してくる。


 か、可愛い……―――じゃなくて! 折角だから、自分達がしたことをわかってもらおうかしら。


 私は一つ咳払いをして先程の記憶を頼りに言葉を選ぶ。


「えーっ……もっとこう、ちゃんとお願いしなさい。私が内緒にしたくなるように、可愛く!」


 ……こうだったかしら。あまりの恥ずかしさにちょっと記憶が曖昧だわ。


 すると、アレスとべレスはお互いに驚いたように顔を見合わせてから荷物を置いた。私はどんな言葉が来るのか少し緊張していた。


「お姉さん……意地悪だね」


 彼らは、一歩近づく。


「だけど、そんな意地悪なところがゾクゾクしちゃう。だから……言うとおりにしてあげるね」


 彼らは息の合った歩幅で素早く私に詰め寄ると、両腕をしっかりと抱き締め、耳元で囁いた。


「お願い、何でも言うこと聞くから内緒にしてて?」

「内緒に出来ないなら……可愛いお姉さんの唇を塞いで、誰も呼べなくしちゃうよ?」


 異様な空気に私の思考は岩のよう固まり、時間は鳥の羽を落とすようにゆっくりと感じた。心臓はうるさく脈打ち、それは例えば獲物が狩人に撃ち取られる寸前に、必死に思考を巡らせて生存を図るかのようだった。


「わかったわ。内緒にする」


 冷や汗を感じながら私は答えた。すると、彼らは私を解放し、ぱっと可愛らしい笑みを浮かべた。


「ありがとうお姉さん!」

「優しいお姉さん、ついでに荷物も運んでね!」


 ついでにと荷物運びまで押し付けてくるちゃっかりさに、私はただ受け身になるしかなかった。


 この子達、悪魔かしら。……幼いから、小悪魔?


「あ、荷物運びのお礼をしなくちゃね、アレス」

「そうだねべレス。じゃあ、お姉さんのお悩み解決方法! 二日後にある星降る精霊祭に、あの冷血そうなお兄さんと二人で行くといいよ」

「えっ? 私の悩みって、どうして……」


 いつからか観察されていたのかもしれない。私が悩んでいることを彼らに知られていたようだ。


「お姉さんわかりやすいんだもん」

「二日後だよ、教会の広場でやるから。ちゃあんと行かなきゃお仕置きだよ」

「お仕置きかぁ、それもすごく楽しそうだね! 邪魔しちゃう?」

「ダメだよべレス。邪魔は禁止! ……やっぱりしようかな」


 アレスとべレスは好き勝手に言いながら、じゃあねーっと手を降り去ってしまった。

 私は小悪魔達が消えるのを待ってから大きく溜め息をついた。あまりにも緊張していたので、吐き出した空気が鉛のように思えた。


「な、何もなくて良かったわ……」


 ほっと胸を撫で下ろすと、私は荷物を運ぶことにした。中身はどう考えても孤児院に必要な物資だ。アレスとべレスは孤児院からいなくなり、彼らはここへ食料等を持ち込んでいる。

 無断でいなくなるのはよくないことだが、きっとどこかで働き口を見つけて孤児院の支援をしているんだろう。そう考えると、彼らの優しさに心が暖かくなる。


「いい子達だったわね。またゆっくり話す機会があったら、一緒にお菓子でも食べようかしら」


 そういえば、星降る精霊祭に行くといいって言ってたわね。お祭り? 誰かに聞いてみなくちゃ。

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