34食目 貴方に元気を
朝食を終えて、私はお手洗いに来ていた。用を済ませた私は鏡の前でまじまじと自分の顔を見つめて唸る。
「少し、痩せてきたような気がする……」
私は頬や顎回りを触りながら考える。塔を出てからかなり痩身には気を付けてきたつもりだ。食事も運動も大幅に改善されているし、このまま続ければ、城に辿り着くまでに普通の女の子のような体型になれるはず。しかしそんな思いとは裏腹に、見た目はあまり変わっていないのが現実だ。
「顎もすっきりした気がするし、服もゆとりが出来た気がする……」
動いても少しくらいなら息も上がらないくらいに体力も付いている。しかし、どうにも痩せた感覚が得られないのはどうしてか。何かが邪魔をしているような気がしてならない。
長年蓄積された脂肪はしぶとい、ということかしら?
「ノエルに痩せたかどうか聞いても参考にならないでしょうし……うーん、まぁとにかく続けることが大事ね。止めたらそこでおしまいだわ」
私は鏡を見るのを止めてお手洗いから出る。すると、何人もの子供達が困った顔を並べて待ち構えていた。
え? 何か用かしら……それともお手洗いが長かった?
子供達に囲まれて困惑していると、一人の女の子が涙ながらに訴えてきた。
「お願いします。フレデリクを助けてあげてください……」
「え? フレデリク君を?」
「お兄ちゃんに酷いことされてるの……!」
別の子供達が口々にフレデリクを助けてと懇願し、現状を伝えようとしてくるが、皆がやいやいと一斉に話すものだから聞き取りにくい。
お兄ちゃん、というのはもしかしてノエルのことかしら。ノエルに限って子供に酷いことなんてするはず―――
そう思いふと視線をあげてみると、近くの窓から男性の姿が見えた。綺麗に整った庭の芝生の上で何か話しているようだ。よく見てみると足元には子供が正座していた。恐らく、ノエルとフレデリクだろう。
私は子供達とその場所に行ってみることにした。何人かの子供達に案内されて庭に出ると、何をしているのか大体検討がついた。
……お説教してる。
会話の聞き取れる距離まで近づくと、ノエルはこちらに気が付き笑顔を向けてくれる。
「レティシア様!」
ノエルはずぶ濡れの服の代わりに、白を基調とした修道士の服を着ていた。 いつもの黒い執事服とは違う佇まいだがよく似合っている。きっと彼は何を着ても着こなしてしまうんだろう。
「ノエル、フレデリク君と何してるの?」
わかっているが一応聞いてみる。
「粗暴な性格を根本的に叩き直しております」
「そうなの、説教―――あ、いえ、お話しだけ?」
「左様でございます」
「では、私もその貴重で有難いお話しを聞かせて貰おうかしら」
私はフレデリクの隣に同じように正座をする。すると、驚いたのかフレデリクが目を丸くして私を見つめる。
「な、なにやってんだよ……?」
「レティシア様、お止めください!」
ノエルも戸惑いながら私を立たせようとするが、私はそれには応じなかった。
コレット院長が言ったことが本当なら、フレデリク君は悪い子ではないはずだわ。説教もほどほどにしてもらわなくちゃ。
「さぁノエル、久しぶりのお勉強よ」
そう言うと、ノエルは溜め息を付いて諦めてしまったようだ。
「レティシア様には敵いませんね……仕方がありません。フレデリクとやら、今回はレティシア様に免じて許してやりましょう」
ノエルは上からフレデリクを見下ろし、冷たい視線を向ける。
「……」
フレデリクは無言だった。悔しそうに口を結んで、何かに堪えているようだった。それはノエルの冷たい恐ろしい視線や威圧にではなく、何か心の底から沸き上がるもののように見えた。
この子は、アレスとべレスがいない寂しさを埋めたかったのよね。私も、ノエルがいなくなったら悲しくて寂しいもの。
私はフレデリクに優しく、しかしきっぱりと諭す。
「フレデリク君、私はいくら罵られても悪戯されても構わないわ。でも、これからは誰かを傷付けるような言動は慎みなさい。それは貴方自身を傷付けることになるわ」
返事はなかった。しかし、ちらりと視線が交差した。その目は何かを求めるような寂しげで幼い目をしていた。
「貴方が傷付くのは、皆悲しいわ」
私が周りの子供達を見ると、フレデリクもその視線の先を追い同じように周りを見渡した。
それに答えるように、皆が一斉にフレデリクを囲った。
「フレデリク……ずっと心配してたよ」
「皆で仲良く遊びたいよ。痛いのはもうやめようよ」
幼い子供達が口々に自分の気持ちを彼にぶつけていく。フレデリクは驚きの表情から次第に優しい顔付きに変わっていった。
「……わかったよ。お前らの言うことも聞いてやんなきゃな。俺は兄貴分だから」
そう言って立ち上がると、彼は照れたような笑顔を見せた。きっとこれが彼の本当の姿なんだろう。
さて……お話しは終わったし、私も立ちましょう。
「……っ!!」
手を芝生に付き立ち上がろうとした瞬間、足に突き抜けるような痺れと痛みが走り立ち上がれず、そのまま体が固まってしまう。
「レティシア様! どうなさいました!?」
「あ、足が……しび、痺れっ……」
こんな短時間で痺れるものなの? この体重のせいかしら……くぅっ!
私は変な呻き声が出そうになるのを耐えながらゆっくりと足を伸ばす。すると、すかさずフレデリクがその足をぎゅっと掴んだ。
「きぃゃー! な、何するのよ!」
「へっ! あんたには悪戯しても構わないって、さっき自分で言っただろ?」
その言葉に後悔はない。前言撤回は格好悪いと思うのもあるが、フレデリクの楽しそうな笑顔には代えられない。
しかし、その悪戯を許さない男が隣にいるのを忘れてはならない。
「フレデリク少年……」
ノエルが地の底から沸き上がるような声で凄むと、子供達はわいわいしながら蜘蛛の子を散らすように走って行ってしまった。
だが、ノエルは意外にも彼らを追いかけたりせずに私の隣に静かに座った。
私のこととなると躍起になるのに。珍しい。
「追い掛けないの?」
「私はレティシア様のお側にいたいのです。足の具合が良くなるまで休みましょう」
「ありがとう、そうするわ」
ここは木陰になる芝生の上だ、のんびりするにはちょうどいい。私は痺れが治まるのを待ちながら暫し穏やかに流れる時間を感じた。子供達の声が遠くから風に乗って聞こえてくる。
「小さな子とは初めて接したけれど、可愛いわね。ノエルは、子供は好きなの?」
「いえ、私はどちらでもありません」
ノエルは無表情で答えた。
「そう。私は好きだわ。いつか私も自分の子を育てるのかしら」
「そ、そうですね……レ、レティシア様もそろそろ婚姻しても良い歳ですし。良き伴侶と出会ったならばそういったことも考えてもよろしいかもしれません」
「……? ノエル、どうしたの? 何か変よ?」
彼の顔は何となく青ざめているように見える。体調でも悪いのだろうかと考えた瞬間、私はその理由がはっきりと頭の中に浮かび上がった。
「あ、わかったわ!」
「な、何でしょう」
「ノエル、貴方……朝食を食べていないわ! だからそんなに汗をかいて顔色も悪いのよ。すぐに食べてきなさい!」
私はうっかりしていた。ノエルは湯をいただいたりしていたから朝食を食べ損ねているのだ。
「コレット院長も、ノエルに食べて欲しいって言っていたから、きっと食堂にまだあるはずよ。早く行ってきなさい、私はしばらくここにいるわ」
「……はい……」
ノエルは覇気の無い返事をすると、立ち上がってふらふらと孤児院に向かって歩き始めた。孤児院内に入って行くのを見届けていると、私の足も段々と痺れが引いてきたようだ。足首を動かしてみると随分楽になっているのがわかった。
「ふぅ、足は大丈夫そうね。……それにしても、ノエル随分元気がなかったわね。気を付けてあげなくちゃ」
体調が悪いのにあまり動き回らせてはよくないわよね。孤児院には少し滞在させて貰って、ノエルが休めるようにして―――その間は孤児院のお手伝いをしましょう!
「―――いい考えだわ! 情報収集もしたいけれど、一人で出掛けるのは危険だものね」
本当は早く情報収集をして城を目指すべきなのはわかっている。しかし、ノエルに元気がないことの方が一大事だ。
今、私がすべきことはただ一つ。
「ノエルに元気になってもらう! 頑張るわよ!」
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