33食目 孤児と豚

「―――ぐぇっ!」


 静かな夜が明け、鳥のさえずりと共に穏やかな朝が訪れた―――はずだった。私は自分でもどこから出たのかわからないくらい下品な声を上げて目覚めていた。


「豚が起きたぞー!」


 いつの間にか私の腹の上に跨がっていた見知らぬ少年は大きな声で叫ぶと、窓から外へ逃げて行ってしまった。


「レティシア様!」


 まだ眠気の残る目を擦りながら起き上がると、ノエルが隣の寝台から慌てて飛んで来た。


「ノエル……おはよう」

「おはようございます、それよりもお体は大丈夫ですか!?」


 ノエルが肩や頭や頬を確認するのをぼんやりと受け入れる。心配性だと思いながらも、そのくすぐったい感覚が嬉しかった。


「大丈夫よ、少し乗っかられただけみたい。ふぁ……それにしても、すごく元気な子がいるのね」


 あくびをしながら洗面台に行き顔を洗い、髪の毛に櫛を通す。ノエルは窓から逃げた子供を探すように身を乗り出していた。


「あの子供……ただでは済まさない」


 髪の毛に寝癖が付いているところで櫛が引っ掛かるのを梳かしながら、物騒な言葉を吐くノエルを鎮める。


「ちょっとした悪戯よ。怪我はしてないのだから咎めなくてもいいわ」


 ……まぁ、豚と言われたのは癇に障るけど。


「ノエル、準備が出来たら情報収集に出掛けましょ。少し変装したほうがいいかしら……」


 髪を梳かすのに手間取っていると、ノエルが私の櫛を手に取り、優しい手つきで髪を整えてくれる。


「ローブで体と顔を隠していれば大丈夫でしょう。しかし、レティシア様の美しさは到底隠しきれるものではありません……念のため髪の毛は纏めて見えにくいようにしておきますね」

「あ、ありがとう」


 やっぱりノエルの目は節穴というかどこかずれているような気がする。


 髪を後ろで一つに纏め終わり、衣服等の身辺を整え私達は部屋から出た。

 すると、昨晩の静かな夜とは打って変わり賑やかすぎる子供達の声が建物内に響いていた。廊下を歩いていると、数人にぶつかりそうになりながらすれ違う。


「小さい子が多いのね、何歳くらいかしら?」

「そうですね、五歳くらいでしょうか」


 子供達の間をすり抜けながら、玄関口に着くと、昨晩の女性が現れた。


「おはようございます、旅の方。ゆっくり過ごせましたでしょうか?」


 まだふっくらと丸い赤子を抱えながら、にこやかに挨拶をしてくれた。改めて女性の姿を目にすると、穏やかで優しげな母のような姿が昨晩の印象と違い戸惑ってしまう。


「はい、とても過ごしやすかったです」


 私が笑顔で返事をしたのとは対照的に、ノエルが無表情で質問を投げる。


「先程、少年が一人、部屋に侵入したのですが心当たりはありませんか? 目付きの悪い子供です」

「ノエル……もうそのことはいいじゃない」


 私はノエルの背を押して孤児院から出るよう促したが、ピクリとも動かせない。まるで大岩のようだ。


「少年ですか。もしかすると―――」


 女性が言い掛けた瞬間、頭上から何かの気配を感じると同時にノエルが私を庇うように抱き締めた。


「きゃあ!」


 驚いて小さく悲鳴をあげる。ぽたぽたと雫が肩を僅かに濡らす感覚に、私はようやく上から水を掛けられたのだと気が付いた。位置的に私を狙ったはずの水は、ノエルが身代わりとなって被ってしまっていた。


「ご無事ですか、レティシア様」


 桶一杯分くらいの水溜まりが足元に広がり、見上げたノエルの顔や体から水が滴り落ちていく。


「ノエル! ごめんなさい、私のせいでこんな……」


 私はローブを脱いでノエルに掛ける。すると、子供を抱えた女性が階段の上の方を見ながら叫んだ。


「フレデリク! 旅の方に謝りなさい!」

「へっ! 豚に謝るかよ!」


 フレデリクと呼ばれた少年は捨て台詞を残しすぐに階段を登って走って行ってしまった。私はあまりの騒々しさに言葉が出なかった。


 少年を叱るべきだったかしら……いいえ、そんなことより今はノエルを助けてあげなくちゃ。


「旅の方、ごめんなさい……すぐに暖かい湯と代わりの服を用意します。エキドナ! エキドナ、来て下さい!」


 女性が呼ぶと修道服を着た別の女性が現れた。彼女は大きな鍋を抱え、体格もよく逞しい印象だ。つい、私もこんなふうに逞しくなれたらと想像してしまう。


「何です? 院長。あらら、こりゃまた随分散らかしてるなー」

「エキドナ、すみませんが湯船の準備をお願いします。それとこの男性に合う衣服を用意して差し上げて」

「了解です。じゃああんたは鍋を食堂へ持って行ってくれ」


 エキドナと呼ばれた女性に鍋を手渡されると、鍋の見た目以上の重量にふらふらしてしまう。


「わっ、重い……!」

「 レティシア様!」

「兄ちゃんはこっち来な、ずぶ濡れで歩き回られちゃ困るんだよ。仕事を増やさないでくれ」


 ノエルが私を支えようとするが、エキドナに腕を掴まれてあっという間に引き摺られるように連れて行かれてしまった。私はその光景を呆然として見つめるだけだった。


 男性を女の腕で……なんて力なの、なんて筋肉!


「すごい……」

「旅の方、申し訳ございません。エキドナが失礼なことを……」

「あ、いいえ! 大丈夫です。あ、このお鍋は食堂に運んでおきますね」

「申し訳ございません……本当にありがとうございます。食堂はあの扉の向こうです」


 院長が目線を送った先は両開きの扉があった。私はそこまで中身を溢さないよう慎重に運んで行く。食堂への扉を院長が開けるとそこには十人以上の性別も年齢もばらばらな子供達が走り回ったり、或いはお行儀よく椅子に座ってお話しをしている光景が広がっていた。

 部屋の中央に長いテーブルと椅子が並び、お皿等の食器が既に準備されている。私は走り回る子供を避けつつ、テーブルに鈍い音を立てて鍋を置いた。鍋の取手を掴んでいた手がじんじんと痛む。

 院長も部屋に入ると、大きな声で号令を掛ける。


「皆さん、席についてください。朝食の時間ですよ!」


 すると、賑やかだった子供達はすぐに椅子に着席し静かになった。


 すごい、さっきまでの喧騒が嘘みたい。


 院長は近くにある小さな寝台に抱いていた赤子を優しく寝かせると、テーブルの上に置いた鍋に入っていたスープを器に流し入れていく。すると、それを近くに座る子供が隣の子供へ渡し、渡された子供は更に隣へ……と手順よく渡して全員へスープが行き渡った。


「レティシアさんも、宜しければご一緒にどうぞ」

「あ、いえ私は……子供達に食べさせてあげてください」


 そう言う私の前の空いている席に、スープが注がれた器が置かれる。


「ご迷惑をお掛けしたお詫びです。それにほら、子供達も一緒に食べたいそうですよ」

「え?」


 周りを見やると、子供達の視線が私に注視されていることに気が付いた。大人の好奇な視線とは違う、純粋さと期待に満ちた目だった。


 うっ……断るにも断れない雰囲気。


「で、ではお言葉に甘えていただきます」


 私が着席すると、院長もにこやかな笑顔で着席する。


「それでは皆さん、祈りましょう」


 院長の声と同時に子供達は祈るように両手を胸の位置で握ると、目を閉じた。私も慌ててそれを真似する。


「大精霊様、我らに愛と素晴らしい糧を与えてくださり感謝致します。いただきます」


 院長の後を追って、皆がいただきますと復唱すると一斉に食事が始まった。テーブルの真ん中には二ヶ所ほどパンが置かれていて、それを食べたい子が取る方式のようだ。


「いただきます」


 私も食事の挨拶を小声で言ってからスープを口に運ぶ。乳のまろやかな甘さと野菜が絡み合って、優しくて暖かい一皿だ。


 美味しい、体に染みる……。


「レティシアさん、でしたね。申し遅れました、私はこの孤児院の院長をしておりますコレットと申します。お連れ様には、うちの子が大変ご無礼をしまして大変申し訳ありません」

「いいえ、ノエルは頑丈ですし怪我もしていませんのでお気になさらず。こちらこそ食事とお風呂までいただいてしまってごめんなさい」

「そう言っていただけると、助かります。あの子はやんちゃが過ぎるというか……困った子です」

「フレデリク君ですよね、そんなに困ったことを?」


 私はスープの野菜を口に運び、味わいながら会話を続けた。他の子供達の様子を見る限り、彼は特別悪戯好きなのかもしれないと思った。


「はい、他の子達にもですが旅の方にもこんなことを繰り返しておりまして……以前は活発ながらも面倒見が良くて、良い子だったのに……。すべてはあの子達がいなくなってからです」

「あの子達?」


 コレット院長は溜め息を付きながら悩ましく頬に手を当てた。院長と呼ばれるがまだ若い彼女のその仕草に、私は一瞬気を取られてしまう。


「えぇ、フレデリクが大変慕っていた子でして。名は、アレスとべレス。双子の兄弟です」

「双子の、兄弟……?」


 アレスとべレスという名を私は聞いたことがあった。頭の中は酷く混乱しつつ、昨晩出会った女の子達のことが脳裏を過る。彼女達は互いにその名前を呼び合っていたのだ。しかし、出会ったのは女の子であって男の子ではなかったはず。


 可愛らしい女の子……と思っていた子は、実は男の子だったなんて。そんなこともあるのね。


 コレット院長には彼女ら―――いや彼らに出会ったことは言い出せず、なんとなくモヤモヤした気持ちは胸の内で留めることにしたのだった。

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