31食目 宵闇に出会う

 街灯もなく目立たない道から街へ入った私達は、建ち並ぶ石造りの家屋から僅かに漏れる光と月明かりに助けられながら歩いている。

 古い建物が並ぶ路地裏は、埃と酒の臭いが混じり合い、淀んだ空気をそこに留めていた。


 何だか、平和で賑やかって雰囲気じゃないわね……。


 商人のアーダンが言っていたような場所には到底思えない景色が視界に映る。道は酒樽が転がり、布きれなどの塵があちこちを汚していた。


「宿屋、どこにあるのかしらね」


 私は道に落ちる塵を踏んで転ばないように避けながら歩く。人の気配が殆どない道だが、もしかすると昼間はもっと人がいるのかもしれない。


「そうですね……この辺りは民家が多いようですのでもっと街の中心へ―――」


 ふと、ノエルの足が止まる。視線の先には、グラスの絵が描かれた看板と他より賑やかな声が聞こえる建物があった。


「酒場がありますね。ここで尋ねてみましょう」

「良かった! じゃあ中に―――」


 酒場に駆け寄り扉を開けようと手を掛けると、ノエルが私の手を制止し小さく首を振った。


「酒場は危険です。私が行きますので、ここで待機していてください」

「え、でも……」

「ほんの少しだけです」


 離れるな、と言ったのはノエルなのに。置いて行かないでほしい。でも、危険なら仕方ないのかも……。


「……わかったわ。早く戻ってきてね」

「えぇ、承知しております。待っていてくださいね」


 渋々了承すると、ノエルは少し微笑んでから足早に中へ入っていった。


「なんだか……ずるいわ」


 ノエルに上手く丸め込まれているような気がする。彼の笑みがあるだけで、何か不満があっても許してしまう。私はノエルとの距離を近づけ過ぎたのかもしれない。


 こんなんじゃ主人としては落第点ね。


 大きく溜め息をついて下を向く。砂利を足で蹴りあげると乾いた砂埃が舞い上がって風に流されていった。

 すると、その不明瞭な視界に二組の小さな足がひょっこりと現れた。


「お姉さん、何してるの?」

「可愛いお姉さんに溜め息なんて似合わないよ」


 驚いて前を見ると、私よりも年下と思われる少女が二人、目の前に立っていた。同じ人間が二人いるのかと思うほど、彼女達の顔付きはそっくりだ。歳は十三くらいだろうか。外見の幼さに似合わない大人びた衣服を身に纏い、彼女達の視線は私を下から見上げている。より一層くりくりとした可愛らしい瞳に思わず庇護欲を擽られる。


「えっと……」


 何か用かしら、こんなに見つめられると緊張しちゃうわ。


 宵闇色の艶のある長い髪の毛を揺らしながら、笑顔で小首を傾げる少女達。私は濃紺の四つの瞳に囲まれて視線を泳がせるしかない。


「ね、暇なら一緒に遊ばない?」

「寂しいんでしょ? ねぇ一緒に来てよ、退屈させないから」


 少女達は私の返事を待つことなく、お構い無しに私の両脇を素早く挟み込み固めてしまう。二人のぴったりと密着した肌に、私は驚きと緊張を隠せず鼓動が早くなる。

 可憐な姿からは想像も出来ない腕力で両腕をそれぞれに捕まれると、既に身動きは出来なくなっていた。

 慌てて離れようと抵抗するが、捕まれた腕に痛みが走り更に気が動転してしまう。


「や、やめて! 痛い……!」


 少女達の強い力で引き摺られそうになった瞬間、捕まれていた腕が突然ぱっと解放される。


「きゃっ!」


 私は踏ん張っていた弾みで後ろに勢い良く倒れそうになったが、幸運なことに誰かが背中を支えてくれたおかげで無様に倒れるのを避けられた。

 こんな私の巨体を支えられるのは、私の知りうる限り世界で一人しかいない。


「ノエル!」


 良かった。戻ってきてくれたのね!


「レティシア様、ご無事ですか?」

「えぇ、大丈夫……」


 本当は少し腕が痛むけれど、言わないでおこう。


「……貴女方は、レティシア様にどんな用件が?」


 ノエルは私を自分の背後に隠すと少女達を睨み付ける。彼の声色は低く、大の男ですら怯みそうなほどの威嚇だが、少女達は怖がる素振りもなくあっけらかんとしている。


「別に、ちょっと遊ぼうと思っただけだよ。はぁ、少し面倒な人が来たかなぁと思ったけど、やっぱり面倒な人だね。アレス」

「そうだね、べレス。また今度にしよう」

「折角面白そうな玩具だったのに、残念だよ。またね、お姉さん」

「今度は一緒に遊ぼうね、お姉さん」


 少女達はそれぞれに名前を呼び合い、一方的な会話をすると早々に私達に背を向けて去っていった。一方的な会話というのもおかしいが、しかし彼女達の中でそれは完成されたものになっているようだった。

 路地の向こうへ彼女達の姿が消えた頃、ようやく緊張した空気から解放された。


「ノエル、ありがとう。助かったわ」


 あの子達……急に現れたと思ったらすぐに行ってしまうし……何だったのかしら。


 彼女達が去った先を見つめていると、ノエルは振り向いて深々と頭を下げた。


「レティシア様、申し訳ありません……判断を見誤りました。酒場には荒くれ者も多く危険だと判断したのですが、逆に貴方を危険な目に合わせてしまいました」

「いいのよ、私もちゃんと貴方の傍にいなくちゃいけなかったわ。ごめんなさい。それにね、大丈夫! 全然怖くなかったわ!」


 私は努めて元気に振る舞った。私が怯えていてはノエルも心配してしまう。


「レティシア様……ありがとうございます。これからは悪い虫が付かぬよう、片時も離れません」


 ノエルは今も痛みの残る私の両腕を優しく撫でてくれた。布越しでもわかるくらい暖かい彼の手、それだけで痛みは全部吹き飛んでしまう気がした。


「そうね、離れないようになくちゃ―――悪い虫って?」


 私は虫に襲われていたわけではないのだけど。服のどこかに付いているのかしら。


 服のあちこちを見てみるが、どこにも虫は付いていない。不安になりノエルを見上げると、ノエルは優しげな一笑を浮かべる。


「大丈夫です、私がすべて払って差し上げます」


 うーん、虫はもう付いてないってことでいいのかしら?


 頭の中で疑問符が浮かんでいるが、一先ずそれは置いておく。私達が酒場に寄ったのは他でもない、宿屋を探すためだ。


「あ、そうだわ。宿屋はどこかわかった?」

「はい、ここからだと反対の地区のようです。少し時間が掛かると思われます」

「そうなのね、じゃあ遅くならないうちに行きましょう」

「あ、お待ち下さい!」


 早速歩き出した私の手を掴み、ノエルが引き留めた。


「先ほど聞いた話しでは、この近くに教会管轄の施設があるようです。今日はそこで宿を借りましょう」

「教会の施設? そんな大切なところ泊めて貰えるの?」

「はい。本来は児童施設らしいのですが、頼めば空き部屋を貸してくれるそうです」


 児童施設と聞いて、私は躊躇いを覚えた。子供達のために造られているなら、私達が利用すべきではない。


「でも、私達はちゃんとお金も持ってるし、宿に泊まれるわ。それに、その施設を他に利用したい人がいるかもしれないじゃない」

「レティシア様はお優しいですね。ただ、お尋ね者となっているレティシア様が宿に泊まるのは危険が伴います。どうやら思った以上に、この酒場にもその情報が回っているようですし、いつ誰に知られるともわかりません」


 確かに、ノエルの話しにも一理ある。それに教会の管轄下にある施設なら宿よりも多少は人目を避けられるだろう。


「わかったわ。そこにお願いしてみましょう。借りられなければ、野宿よ!」

「……仕方ありませんね」


 そう言うノエルがちょっと嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。野宿よりも屋根のある寝床のほうがいいと思うけど。


「その施設に行きましょう。えーっと……」


 何と言えばいいのだろう。その施設にも名前があるはず。


「ジュモー・エスポワール孤児院、そう聞いております」

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