30食目 芽生え、新しい街へ
私達が荷馬車に揺られて半日以上が経った。早いうちに出立したが、もう太陽も傾いてしまい段々と肌寒さを感じてくる頃だ。
ノエルは眠りから目覚めると、体力も随分回復したようだった。主人に膝枕をさせてしまい、申し訳なさそうにするノエルが少し可愛いと思ったのは内緒のことだ。
道中は二人で他愛ない会話をしながら時間を過ごしていた。途中で昼食もとり、荷馬車の手綱を握る商人とも少しだけ打ち解け、特に何も問題なく旅路を進む。
商人はノエルがしていたという夜の仕事の雇い人で、好意的に接してくれた。
彼の名前はアーダン。中年の男性で、細身で少し髭を生やした紳士のような風貌をしていて、あまり商人らしくない人だった。商人らしい、というのは私の想像ではふくよかな体型に小さな帽子を被り、大きな荷物を背負っているものだった。
「旦那! ちょっと止まりますよ!」
アーダンは突然声を張って私達に警告した。ぐらぐらと揺れながらゆっくりと荷馬車が止まる。
「どうしました?」
ノエルが前方の彼に向かって尋ねる。
「前から兵が来ますから、そこにいてください! 対応しますので!」
兵? ということは……国の兵よね?
こんな辺境に何故、兵がいるのだろう。そんな私の不安を感じ取ったのか、ノエルが優しく声を掛けてくれる。
「レティシア様、大丈夫です。身を隠して静かにしていれば見つかりません」
「……そうね」
幸い、荷馬車の後方は布で隠されていて外からは中が見えない。気が付くと、私はノエルの腕に小さくしがみついていた。
怖い……兵の目的が私だったら? もしかすると捕らえられて違う場所へ幽閉されてしまうかもしれない。
そうなれば、ノエルと離れ離れになってしまうかもしれないし下手をすれば処刑も有り得ない話ではない。
絶対にそんな事態にさせない為にも、私は何がなんでも父上に直談判しなくてはならない。私の申し立てを聞いてもらえないかもしれないが、それでもそれが最善策だ。
しかし、恐怖に私の手は震え、息は荒く小刻みになり心臓が身体中を鼓動させた。
ノエルも、出会った人達も、私の人生も……失いたくない……!
恐怖に押し潰されそうになった時、私の体は暖かい腕に抱かれてその震えを止める。
「……たとえ、一万の軍勢が来ようとも―――いいえ、世界中が敵になろうとも私が貴方をお守りします」
ノエルの優しく、力強い言葉に私は安堵し徐々に落ち着きを取り戻した。暖かい腕に抱かれ、胸板に顔を埋めながら、私も少しだけ彼を抱き締め返した。
ノエルの鼓動が聞こえる。どくんどくんと、それはより早くなる。私よりも緊張しているかもしれない。
ノエルも怖いんだわ……それでも私を励ましてくれて―――主人である私が情けない姿を晒してどうするの!
「ありがとうノエル、もう平気よ」
そう言ってノエルから離れると、寂しい気持ちになる。人肌は暖かいから、きっとそのせいだ。
外で話し声が聞こえ、しばらくするとまた荷馬車は走り始めた。ノエルが荷馬車の後方から外を確認する。
「……もう大丈夫です。やはり、イグドラシル兵団のようですね」
イグドラシル兵団。
国の平和と安全を守る兵団で、イグドラシル聖王国が建国されて以降続く歴史の古い兵団だ。戦争とは無縁の国家ではあるが、魔法や武術の戦闘力は他国の力を圧倒的に凌駕する。その圧倒的な武力故に、他国への牽制になり近隣の国々でも戦争は起こっていない。
「どうしてこんなところに……」
私達の声が聞こえたのか、アーダンが手綱を操りながら此方に声を投げてきた。
「尋ね人らしいですよ。何でも、聖王様直々の」
「その尋ね人は?」
ノエルが鋭い視線で前を見つめる。
「女の子ですよ、金髪で青い瞳の。見つければ報酬も貰えるらしいですが、そんな子は知りませんからねぇ」
そう言ってアーダンは笑う。彼は私達を庇い、兵に突き出さないでいてくれたのだろう。私がほっと胸を撫で下ろすと、アーダンが続けた。
「その尋ね人の子、すっごい可愛いくて美人らしいです。聖王の隠し子ですかねぇ? ま、そんな女の子、見たらすぐにわかりますよ! はっはっは!」
「……ははっ」
大きな声で笑うアーダンに、私も苦笑いをする。
気付いてないだけだったー!
自分のことをすっごい美人で可愛い、とは思っていないがあからさまに否定されるのはもやもやする。
ふと、ノエルを見ると恐ろしい殺気を込めた目をしていた。本心はどんな風に思っているかわからないが、主人を侮辱されたと思っているのかもしれない。彼の忠義は有難いが、攻撃的なことはしないで欲しい。
「ノエル」
「はい、承知しております」
……大丈夫かしら。
まるで猛獣を細い手綱で繋いでいるような気持ちになる。ノエルは塔にいる頃に比べて感情が表に出やすくなったと思う。喜び、悲しみ……特に怒りの感情については他より明らかだ。しかし、短気で怒りっぽいことが彼の本来の性格とは思えない。きっと何かが影響しているに違いない。
もしかすると、心労のせい……? この旅で精神的不可が掛かりすぎて彼の精神が乱れているのかもしれないわ。
肉体的にも精神的にも、彼に降りかかる負担は計り知れない。私の知らないところでたくさんの苦労をかけているだろう。
何か私に出来ることがあれば……。
考えてみるも何も思い付かない自分に苛立ちを感じる。とにかく、彼には気を揉むようなことをさせたくない。
「レティシア様、もうすぐ次の街です。ご準備を」
そう言われて荷馬車の隙間から前を確認してみると、まだ遠いが道の向こうに地平線を覆うような大きな街が見えてきた。
「すごい、こんなに大きい街なのね!」
街の中央辺りに大きな建物が見え、勾配があるのかその姿がよく見えるようになっている。ソレイユの街よりも何倍も大きく、私は思わず感嘆の声をあげてしまう。
「お嬢ちゃん、精霊の街は初めてかい?」
アーダンがこちらに視線を向けながら問うと、私は頷いた。
「あそこは精霊の街、ジュモーだ。大精霊様を崇める教会もあるし、平和で賑やかな街だよ」
「へぇ、そうなんですねぇ」
私が隙間から顔を出して近づく街を眺めているとローブと髪の毛がぱたぱたと風ではためく。
「レティシア様、そんなに顔を出されては危ないですよ」
ノエルに注意を受け、私は渋々荷馬車の中に戻る。
精霊の街なんて素敵。遠目に見ただけでも綺麗な街並みってわかるくらいだったわ。たくさん美味しいものもあるに違いないわ!
私はこれから訪れる街の雰囲気を想像して心踊った。しかし、ノエルの表情は固かった。
「……ノエル? 大丈夫?」
「えぇ」
難しい表情のまま、小さく返事をしたあと、ノエルが神妙な面持ちで口を開く。
「レティシア様。これからあの街で情報を集めますが、長居はできません。それから、私から決して離れないように気を付けてください」
「わ、わかったわ。私を探している兵のこともあるし、気を付けるわ。ノエルから離れない」
そう言うと安心したのかいつもの柔和な笑顔を見せてくれる。
「ありがとうございます。私も、レティシア様のお側に……」
狭い荷馬車の中、手をそっと握り締められる。荷馬車はぐらぐらと揺れるので思わず私も体を支えるため握り返すと、ノエルは驚いたのか急に手を離してしまう。
「きゃっ……! 急に離したら―――」
危ない、そう続けるつもりが顔面を思いきり正面のノエルにぶつけてしまう。彼の胸板が鉄板じゃなくて良かったと心から思う。
「いたたっ……ごめんなさい。大丈夫?」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
ノエルを見上げると、透き通るような紫の瞳と目が合う。引き込まれるような感覚に私はそのまま息をすることさえ忘れてしまう。
「綺麗……―――」
思わず口にした言葉に私は慌ててノエルから離れる。何故か心臓がばくばくとうるさい。
自分の執事に何を言っているの……綺麗なのは違いないけど。何だか変な気持ち……。
この奇妙な高揚感と緊張感に私の心臓ははち切れそうだった。今まで感じたことのない感覚に戸惑っていると、荷馬車が止まった。どうやら街の近くに着いたようだ。
助かった……。
何が助かったのかわからないが、とにかく逃れられたような気持ちになると私は荷物を手にした。
「ノエル、行くわよ」
「はい、レティシア様」
ノエルも私に続いて荷馬車から出てくる。外は夕陽が眩しく思わず目を細めてしまう。
「旦那、お嬢ちゃん。どうか気を付けて」
アーダンの別れの言葉に私は一礼した。アーダンとはここでお別れだ。一緒にいるところを誰かに見られるのは、彼にとって良いことではないからだ。もし万が一、私が王女だと知れたら、連れ立っていた彼の身にも危険が及ぶだろう。
「ここまでありがとうございます。感謝します。貴方もお気を付けて」
「大変助かりました。感謝申し上げます」
私に合わせてノエルも一礼すると、私達は荷馬車から離れて彼の姿が見えなくなるまで見送った。それから、私達は荷馬車が入った道とは別の道から街へ入ることにした。念には念を入れて。
「―――さぁ、日が暮れる前に宿を見つけなくてはね」
私は視界を確保しつつ深くローブを被る。
「はい。出来れば美味しい料理もあると嬉しいですね」
ノエルが私を見て微笑むと、私は穏やかな気持ちに包まれて笑みが溢れた。彼はいつも一番に私のことを考えてくれる。美味しい料理はこの旅に於いて重要ではないのに、こんな風に優しい言葉をかけてくれる。
「たくさん食べて、元気をつけるわよ! いざ、ジュモーの街!」
夕陽に当てられたのかしら、顔中がぽかぽかしてるわ。
―――夜風が足早にやって来たのに、寒くないと思うのは何故だろう。隣にいる執事をいつもより綺麗だと思うのは……何故?
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