27食目 君に捧ぐ歌

 夜の帳が降りる頃、記念祝賀会は開かれた。名目は捨て置き、ソフィの腕に縒りをかけた料理の数々が競い合うようにテーブルに並ぶ。言葉にならないほど素晴らしい光景に私ははしたないとは思いながらも唾を飲み込んだ。

 魚介と野菜にほんのり酸味の効いた手作り調味料をかけた前菜、じっくりと低温調理し染み込んだ香辛料の香りが食欲をそそる肉料理等々まさにご馳走と呼ぶに相応しい面々がずらりと並んでいる。

 私達はその美味しそうな料理を円形のテーブルを立ったまま囲う。立食といい、立ちながら食べ親交を深めるらしいが、立って食べるのは初めてなのでどうにも落ち着かない。


「それでは皆様、今宵良き日を祝して乾杯です!」


 ソフィが音頭を取ると、ディオンとカイはお酒を、私とソフィは果実水を手にした。


「その前に、ディオン様から一言いただきたいと思います。ディオン様、お気持ちをどうぞ」

「いや……これは何だ? 皆で食事をするとは聞いていたが、わけがわからん」


 ディオンは怪訝な顔をして私を見るが、苦笑だけを返した。

 豪華な食事に絢爛な飾り付け、まるで婚姻の儀式か何かのような状況に、ディオンは困惑するしかなかったようだ。準備を手伝った当の私もこの空気に戸惑いを覚えていた。


「何をおっしゃるんですか、ディオン様! 昨晩はレティシアさんと一緒に過ごされたと聞いてますよ。こんなに嬉しいことがあったのだから、お祝いをしなくてはいけません!」


 気持ちが高ぶり興奮気味のソフィはカイにも同意を求めるように目配せをしている。

 カイは特に言葉もなく静かに頷くだけだった。


「……余計わからん。カイ、説明しろ」


 ディオンが説明を促すと、カイは彼の耳元で何かを話す。私には聞こえないが、晩酌のことを話しているのだろう。

 しばらくの間を置いて、ディオンが大きく、それはそれはとても大きく溜め息をついた。おまけに頭を抱えて。


「お前達……こっちに来なさい」


 ディオンはソフィとカイを手招く。


「はい?」

「……」


 私だけがテーブルに取り残され、三人はテーブルから少し距離をとって部屋の壁際で話しをしている。


 どうしたのかしら、早くお料理を食べたいのにな。


 私がそわそわと果実水の入ったグラスを持ち替えたりテーブルの料理に視線を落としていると、三人はこちらに戻ってきた。

 一人は顔を真っ赤なトムトのようにして俯き、一人は真っ黒な影を纏い落ち込んでいた。


 え!? な、何があったの……?


「だ、大丈夫ですか? ソフィさん、カイさん……」


 恐る恐る声を掛けるが、二人は先程の高揚をすっかり無くし項垂れている。


「全く、お節介にも程がある。私が初心な男に見えると言うのか……!」


 ディオンは怒りと呆れを含ませ不機嫌そうにぶつくさと呟いている。


「ディオン、どうしたの?」

「どうしたもこうしたもない。この嫌になるくらいお節介な部下達が昨晩のことを勘違いして―――」


 私がディオンを見上げていると、ディオンは言葉を止めてしまった。


「あ……いや、その、なんだ……」


 彼らしくない歯切れが悪い物言いだ。何か不都合があったのだろうか、私が何かしてしまったのだろうか。私のせいで折角のお祝いを台無しにしてしまったのかと不安になり、彼の目をじっと見る。


「つ、つまり……私と君が、男女の関係になったと……」

「男女の関係?」


 男女の関係とは何だ、と一瞬考える。経験はないが様々な本を読み、その中で得た唯一の情報へピンと糸が張ったように繋がる。それと同時に頬や耳が熱くなっていくのを感じた。


「私とディオンが恋人!?」


 まるで岩に押し潰されたような衝撃だった。岩に押し潰された経験はないし寧ろ私が岩のようだけれど。目眩を覚えてテーブルに果実水を置いて、こめかみの辺りを支える。


「恋人って、男女の関係って……キキ……キスしたってこと!?」


 以前読んだ大衆小説に、愛し合う男女が物語の最後にキスをするという描写があったのを思い出した私は、思わず叫んでしまった。その本はその後、ノエルによって何故か書庫から抹消されてしまったのだが。


「…………は?」


 長い沈黙の後、ディオンが素っ頓狂な声を出す。ソフィとカイも、見やればぽかんとしていた。


 あれ? まだ誤解されてるのかしら……どうにか誤解を解かなくちゃ!


「わ、私とディオンはそんなことしてません! ソフィさんもカイさんも、勘違いしてます! 昨日はただお酒を持って行っただけで―――」


 混乱しつつも慌てて釈明すると、ディオンが私の肩を軽く叩いた。


「もういい……寝る前、私の部屋に来なさい。話しがある」


 それだけ言うと、ディオンは出て行ってしまった。取り残された私達がこの空気をどうするべきか更に困惑したのは言うまでもない。





 ―――食事会の間中、勘違いしたことをソフィに謝り倒されカイも申し訳なさそうに謝ってくれた。


 確かに誤解はあったけれど、そこまで必死に謝ることでもないと思うのだけど……何か噛み合わない。


 腑に落ちないまま私は食事と入浴を済ませ、自室の寝台に寝転がる。因みに、片付けはソフィとカイがお詫びにと全てやってくれた。当然私も片付けようとしたが、二人が頑なだったので私は退くしかなかった。ソフィの帰りはカイが送って行くらしいので安心だ。


 食事、美味しかったなぁ……食後の甘いぷりんぷりんでトロトロのデザート……プリンって言うのよね。確かに、名前の通りぷりんぷりんしてて、また食べたいわ……。


 寝台で食べた料理を思い出しながらうとうととしていると、ハッとして勢いよく起き上がった。


「いけない! ディオンに呼ばれていたの忘れてたわ!」


 私は寝巻きのまま慌てて部屋を飛び出すと、廊下と階段を爆走しディオンの部屋へ向かった。

 部屋の前に着くと、息を整えて軽く扉を叩いてみる。


「ディオン? 遅くなってごめんなさい」


 返事はない。静寂と暗闇に包まれた長い廊下に恐怖を覚えた私は、静かに扉を開けた。

室内には誰もおらず、明かりもついていない。しかし正面に見える窓からは明るい月光が差し込み、満月がその存在を主張している。


「いないのかしら……」


 彼の姿を探して部屋を見回してみる。窓際には長椅子とテーブル、壁には絵画や装飾、使われていない暖炉、そして廊下との扉の他にもう一つ扉があるのに気が付いた。


 もしかしたらこっちの部屋にいるかも……。


 私は両開きの扉を恐る恐る開けた。


「ディオン、遅くなってごめんなさい。話しって何かしら?」


 広い室内には黒い天蓋の付いた大きな寝台があり、こちらにも椅子などの家具が一人分揃っている。どうやら寝室のようだ。


「……呼んでおいていないなんて」


 私がぽつりと呟き、数歩進むと背後から声がした。


「勝手に異性の寝室に入るのは如何なものかな、お嬢さん」


 その声に少し驚きながら振り向くとディオンが腕組をして壁にもたれ掛かっている。軽装のようだが、これが彼の寝巻きなのだろうか。いつもの貴族を思わせる服とは違う乱雑な着衣で首回りが大きく開いている。その姿は月明かりが僅かに照らし妖艶さを増す。


「私は不意を突かれるのは苦手だが、自分から仕掛けるのは得意なのだよ。……こんな風に待ち構えて獲物を狩る、上手は取らせない」


 暗闇でほくそ笑む姿は、昼間の彼とは別人のように思えた。


「か、勝手に入ったのは謝るわ。ごめんなさい。それにこんなに遅れてしまって……」


 本当に獲物を見るような鋭い視線を向けられて緊張してしまう。


「遅くなった理由を聞いてやろう」

「……うとうとしていて」


 誤魔化しても見破られると思い、素直に自白する。


「はぁ……君という人は……」


 ディオンは呆れたように少し溜め息を漏らした。静かな室内にはその吐息が間近に感じるほど響いていた。


「ごめんなさい、昨日眠れていないからつい……」


 原因は彼のことだとしても、眠れなかったのは私のせいだ。彼を責めるつもりはない。しかし眠いことには変わりがないので今日は早めに眠りたい。


「もしや、私のことを考えていてくれたのか? ならば悪いことをしてしまった」


 言葉とは裏腹に、悪びれる様子もなくディオンは私に近寄ると肩に手を置いた。その手に驚いてビクッと体が跳ねてしまう。


「―――では、今日は私が子守唄でも歌ってやろう」


 一瞬だった。視界が背後の天蓋の中に入ったと思うと、柔らかい寝台の上に倒されていた。倒れる衝撃に声が出そうになるが喉を絞って堪える。


「―――っ」

「大丈夫、私に全てを委ねろ。身も心も……それとも、あの時のように気丈に振る舞ってみせるか?」


 ディオンが私の上に覆い被さり、喉の奥で笑う。


 あぁ、あの時に似ている。


「貴方が塔を襲ったこと、責めたりしないわ」


 圧倒的に不利なこの状況でも、私は落ち着いていた。

 彼が自らの正体を私に悟らせてくれていたお陰で、彼の発言にも驚くことはなかった。


「貴方が外の世界への扉を開いてくれた。だから、感謝こそすれ憎んだりしないわ。旅は楽じゃないけど、この生活も幸せなの」


 午後の穏やかで暖かい時間、平穏で幸せに満ちたあの時間はあの場所でなくとも得られる。私はノエルと一緒に外の世界に触れてそれがわかった。


 ディオンには私がどんな風に見えているかしら。


「―――強がりを」


 そう小さく呟いたディオンは悲しみを湛えた瞳で私を見下ろす。それは触れれば壊れてしまう硝子玉のようだった。


「君の強さは、私を惑わす。……こんな私でも、受け入れられるのではないかと勘違いしてしまうほどに」


 言葉を言い終わらないうちに、月明かりが照す美しい白銀の髪が、闇に溶けるように漆黒に変わっていき長く伸びる。それは流れるように私の鼻筋や頬を擽り心地よさを与えた。

 ふわふわと黒い綿雪が降ったと思うと、彼の背後には深淵のような黒が艶やかに広がっていた。


 翼……漆黒の翼。


 彼の変貌に驚きはなかった。こうして徐々に変わっていくのだなと、その様子をただ観察していた。彼が彼のまま、形を変えただけ。彼を知ってしまえば、以前のような畏怖に似た感情はもう沸き起こらない。

 子供っぽくて意地悪だけど、優しい。威厳を見せてもどこか哀愁を感じさせる。そんな彼を知っているから。


「……驚かないのか?」


 目の前で変身を遂げた彼は、無言の私にしびれを切らして感想を求める。その瞳には憂愁を映し出す。


「―――綺麗ね」


 闇のような黒い翼、女性よりも滑らかで艶のある髪、不快感などあるはずもなかった。


「まったく……君という人は、どこまで―――」


 吐息混じりに呟くと、大きな翼で私を覆う。その夜のような闇を纏う翼は、暖かくて陽だまりの匂いがした。


 あぁ、気持ちが安らぐ。このまま眠ってしまいたい。


「子守唄、歌ってくれるんじゃなかったの?」

「そうしたら、ここで眠ってくれるのかな? お姫様」

「いいわね、朝までぐっすり眠れそう」


 どうしてだろう……ノエルに覆い被された時は心臓がはち切れるくらい胸が高鳴っていたのに。今は一つも緊張しない、眠気のせいかしら。


「はぁ……もっと危機感を持ってくれ……私の男としての魅力を疑ってしまう」


 ディオンは私の上から退くと、窓辺の椅子に腰かけ空を見上げた。怠そうに足をテーブルに乗せ肘掛けで頬杖をついているのに、その優美さは失われなかった。

 私はというと、既にうとうとしてそれを寝転びながら見つめていた。

 そして彼はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。戸惑いと期待を半分ずつ溶かして。


「私はかけられた呪いを……大精霊の力さえはね除けるもの、それだけを探し求めた。どんなに美しい女も、金も、私には無意味で無価値だ。しかし何の力もない君に、私は何故か惹かれてしまった。初めて会ったあの時から……。もし君が望むなら、何でもやろう。その代わり、私が望むものをくれないか?」


 静かに独白をした彼の低くて優しくて怠惰な声色が眠りの扉を叩く。引き込まれる感覚を感じながら、私は望むものを考える。


「……子守唄……」

「ふっ……君らしいな」


 一笑しディオンは静かに息を吸い込むと、穏やかでゆっくりとした曲を鼻歌で奏でる。空を揺蕩うような歌に私は目を閉じた。


「おやすみなさい……ディオン」


 心地良い旋律に心身を委ね、私は深い眠りの底へ落ちていった。

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