26食目 美しい花には刺がある
太陽が真上を通り過ぎた頃、私は甘露亭から屋敷に戻ってきた。悲哀に満ちたノエルを置いていくのは正直心が痛んだが、すべてはお給金のためだ。王都への旅路はまだ長く、どうしてもお金がいる。
またノエルと平穏に過ごすためだもの、頑張らなくちゃね。
こんな風に未来に希望を持てるのは塔から出られたからだ。自分の僅かながらの変化を喜ばしく思った。
そしてすっかり忘れていたが今日は記念祝賀会を開くのだ。ソフィによると、ディオンが初めて女性と晩酌をした記念らしいが果たして本当なのか少し疑っている。その女性というのが私なのだが、そうなると益々懐疑的に成らざるを得ない。私が調理場に向かうと、ソフィが食材の整理をしているところだった。
「レティシアさん、おかえりなさい」
「ソフィさん! ごめんなさい、買い出しを任せてしまって……!」
私が頭を下げて謝ると、ソフィは気にする素振りもなく微笑んでくれた。
「大丈夫ですよ。カイ先輩が荷物を全部持ってくれましたから私は楽でしたよ」
「そうでしたか、それなら良かっ―――」
台の上を見ると、肉や魚介類など市場全部の食材を集めたようにそれらが山積みになっている。
これ全部カイさんが持ったのかしら? いくら体格が良くても大変だったんじゃ……?
「……えっと、私は何をしましょう? お料理ですか?」
「いいえ、ここは私に任せてください! レティシアさんは会場の飾り付けや準備をお願いしますね。カイ先輩がお庭で飾りのお花を選んでくれてると思いますから、一緒に選んであげてください。野菜を飾られても困りますから」
そう言ってソフィはころころと鈴の音のように笑う。
野菜を飾る斬新な感性……私も見習った方がいいかしら?
「わかりました。では、よろしくお願いします」
「はい、お任せあれ!」
ソフィは目にも止まらぬ早さで野菜の下処理を始め、私の出番は全く無さそうだ。早々にカイのいる所に向かうことにした。
調理場にある裏口から出て屋敷の庭を見回すが、見える所にはいないようだ。差し当たって、庭を歩いてみることにした。
赤石の小道を歩いて行くと、木々に囲まれた乳白色の東屋が見えてきた。木漏れ日の中でその建造物は自然と調和し、荘厳な雰囲気を漂わせている。
「あっ、あんな所にカイさんが……カイさん!」
東屋の中にカイを見つけ、声を掛けながら駆け寄ると、カイが胸の辺りで何かを指に乗せているのが見えた。
私が駆け寄ってきたことに驚いたのか、指に乗っていた何かが慌ててパタパタと近くの木の上まで羽ばたいていった。
「あ……ごめんなさい。お邪魔をしてしまいましたよね」
上を見上げると小さく黒い小鳥がこちらを観察するように見下ろしている。
「気にするな、あれは臆病な鳥だ」
「見たことのない小鳥ですね。何ていう鳥ですか?」
艶やかな黒い羽毛に黒い目、小さく丸い体が愛らしい。
「知らない。でも、俺達と同じだ」
カイは小鳥を見つめて静かにそう言った。
「そうですね……私達は皆、同じ空の下で生きる命ですから。名前なんて些細なことですね」
カイはそう言う私をじっと見て、その鋭い目を少し丸くさせていた。
そんなやり取りを尻目に、小鳥は何処かに飛び立ってしまった。小さな黒い翼を目一杯広げて青い空の向こうへ飛んで行く姿は凛としていた。
「ところでカイさん、お花を摘んでいると聞いてお手伝いに来たんですがどんなお花にしますか?」
「……ディオンは、赤い花が好きだ」
かなりざっくりとしているが、相変わらず口数の少ない彼から得た貴重な情報を活用しなくてはならない。
「じゃあ、赤い花を摘んでいきましょう! 赤ばかりではなくて、他にも白とか緑も混ぜて赤を引き立たせるというのはどうでしょうか?」
「あぁ」
無表情だが声色はどこか嬉しそうな気がするのは私の思い込みだろうか。
私達は庭を歩いて、目的の花を集めることにした。私はカイが持っていた予備の鋏を借りての作業だ。
無言で集めるのは気まずい……何か話しをしなくちゃ。
私は質問から話題を広げてみることにした。対話は苦手だが、質問なら投げ掛けやすい。
「カイさんって、ディオンの護衛をしているんですよね。いつから護衛されてるんですか?」
「ずっと昔から。俺は……ディオンに救われた」
カイは近くにある多弁の白い花を小気味いい音を立てて鋏で切り取り、手持ちの籠に入れる。私も見よう見真似で花を摘んでいく。茎に棘が生えているものもあるようなので、指に刺さらないよう慎重に作業をする。
「そうなんですね、ディオンはいい人なんですね」
「あぁ。だから、ディオンの為なら何でもする。命は惜しくない」
いつもより言葉数も多く呟いた彼からは静かだが強い意志と気迫を感じた。きっと、彼が護衛をしている限り何者もディオンを傷付けることはできないだろう。
ディオンがこれほどまでに慕われている理由は私にもわかる気がした。
「私も救われたんですよ。だから、すごく感謝してます」
人々の悪意に埋もれてしまった私の気持ちを押し上げてくれた彼に、私も少しだけ敬意を表する。色々気になることはあるし懐疑的になってしまうけれど、それでも私は感謝している。
例え、彼が黒影鷲であったとしても。
「そうか……」
横を歩くカイは穏やかに笑っていた。ほとんど動くことのない彼の表情が綻ぶのを見て、私は少し驚くと同時に自然と優しく微笑んでいた。
しばらくの沈黙の後、カイが不意に口を開いた。
「……ソフィから聞いた。ディオンと一緒に夜を過ごしたと」
「えぇ、昨夜誘われて……お陰で眠くて仕方なかったんですよ。でも、カイさんからいただいた薬草をお茶にして飲んでからは元気です!」
神妙な面持ちでカイは大輪の赤い花を摘んでいく。いつの間にか、籠の中には花がたくさん入っていた。
ソフィもカイも、ディオンの女性不振っぷりが相当深刻なことだと捉えているのだろう、夜に私と晩酌をしただけでこの様子だ。ただ飲んでいるところを見ていただけなのに。
「それにしても、ディオンは街ではあんなに好かれているのに本人はあまり得意じゃないんですね」
「……だから、驚いた。こんなことは初めてだ」
「さすがにそんなことはないと思いますけど……あの容姿ですし。あ、もうお花はこれくらいで良さそうですね!」
カイは小さく頷いた。
これから屋敷に戻り、摘んだ花を会場に飾り付けて、ソフィのことも手伝いに行きたい。やることが山積みで大変だが、とても充実している。
「では、私はお花を飾りに行きますね。カイさんも一緒に行きますか?」
カイから花の入った籠を貰い受けると、私は借りていた鋏を返した。彼はそれを大きな手で受け取ると腰の布嚢に仕舞う。
「俺はいい」
「わかりました。では、私は失礼します」
「あぁ」
一礼すると、カイも私に一礼してくれた。仏頂面で寡黙なところが一見すると怖いが、その実、丁寧で草花のような優しさと繊細さがある人だと思う。
私はカイに背を向けて足早に歩き出す。
「―――あの方を救ってくれ」
カイの低く重厚感のある声が投げ掛けられ、振り向くともうそこにはカイの姿はなかった。一瞬、強く吹く風に木の枝がざわつき、木葉がちらちらと舞っている。
「……カイさん? もういない……足が速いのね」
救ってくれって言われても、何か困ってることがあるのかしら?
ディオンが困るようなことがあるとすれば、女性の黄色い悲鳴くらいね。私にはどうしようもない気がするわ。
苦笑いを浮かべながら、私は屋敷への道を辿る。
籠の中に溢れんばかりに集まった強い香りを放つ美しい花々は、街の女性達の歓喜の声に似ている気がした。
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