24食目 懐疑と疑惑
本日はディオンの晩酌記念日ということで大忙しだ。恒常の掃除で私は屋敷の廊下の拭き掃除と窓拭き、ソフィは洗濯と浴室や応接室等個室の掃除だ。
私は二階の廊下で汗を滲ませながら、柄の付いた床拭きを必死に擦りながら廊下を磨く。
換気の為に開け放った窓から、朝の新鮮な空気が入って気持ちいい。昨日までのもやもやした気持ちが綺麗に浄化されていくようだ。
「ふぅ、お掃除って重労働だわ……でも心がすっきりするし気持ちがいいわね。何より痩身に効果的だわ!」
歩くのとは違う筋肉も使える、痩身は全身の動きが大切だ。
「まだ半分残ってる、頑張るわよ!」
気合いを入れ直して床を拭き始めると、窓の外から私を呼ぶ声が聞こえた。
「レティシアさーん、買い物に行きますよー!」
「ソフィ? え、もう掃除終わったのかしら!?」
仕事が早い、早すぎるわ。さすがこの屋敷を一人で管理と給仕しているだけある……。
「ごめんなさい! 掃除がまだ終わってないんです!」
私は窓から身を乗り出して叫んだ。
「終わったら行きますー!」
「はーい、私達は商店街のほうに行ってますから後で来て下さいね!」
私達、と言われてようやく隣に立つカイの姿が目に入る。いくつも手提げの鞄を持っているところが優しい彼らしい。
「はーい! いってらっしゃい!」
私は彼女達に手を振ると向こうも手を振り返して門の方へ歩いて行った。
私は振った右手をじっと見つめた。今まで、こんな風に誰かを見送ったことがあっただろうか。
まるで、友達みたいに。
「……掃除、早く終わらせなくちゃ」
私は胸に漠然とした痛みのようなものを感じたが、それを振り払いたくて黙々と掃除をした。
二階廊下、階段、踊場の床と窓拭き、一階窓、一階廊下―――着実に終わりに近づき、そして。
「お、終わった……」
息を切らして玄関口に座りこむ。疲労で体はずっしりと重く、汗は衣服に染み込んで気持ち悪い。休憩を入れないと干からびて死んでしまいそうだ。
「冷たい飲み物をどうぞ、お嬢さん」
「あっ、ありがとう……」
背後からにょっきりと現れた、水の入った透明な硝子コップを無意識に受けとる。
「ディオン!?」
「疲れているようだな、風呂にでも入ってくるといい」
突然現れた彼に私は驚きを隠せなかった。労いに冷たい水を持ってきてくれたようだが、彼の優しさには裏がある気がしてつい身構えてしまう。
「お風呂、ですか……?」
「敬語」
「お、お風呂に行かせてもらえるならそうするわ。遠慮なく……」
不機嫌そうに指摘され、私は慌てて訂正する。昨日の夜に敬語を止めるよう言われていたのをすっかり忘れていた。
私はそそくさとその場を後にして、入浴を済ませることにした。こんなに汗をかいていては気持ちが悪いし、少し臭う気がする。
こんなに不衛生な状態でノエルに会いたくないわね。いや、一緒に野宿していたから今更かもしれないけど……。
近くの台所へ行き硝子コップを洗うと、自室にある肌着と服と体を拭く布を手に取り、使用人専用の風呂場へ向かった。
脱衣室で衣服を脱いで扉を開けると、真っ白な壁面と床は水垢一つなく清潔だった。内部は大人が十人以上は入れるほど広く、しかしその広さ故に不気味ささえ感じる静かすぎる浴室内に、私は大きな体を小さく縮こまらせた。
「えっと、確か塔にあったお風呂と同じ使い方だったわね。こっちとこっちの栓を捻って……」
近くの腰掛けに座り、赤と青の石が付いた栓をそれぞれ捻ると暖かいお湯が止めどなく出てきた。赤色の蛇口から熱湯、青色の蛇口からは水が出てくるのだがこれを二つとも捻っておくことによって混合されたお湯が出てくるという仕組みだ。水は熱を発する魔石を通過することで熱せられるが、昨今の目覚ましい魔石加工技術により火事などは起こらず安全にお湯を作ることができる。
ノエルに仕組みを教えて貰ったことがあるけれど、魔石は皆が持っているわけじゃない。こんなの贅沢品だわ。
私は髪や体を石鹸で洗いながら考える。お風呂も鉄製の筒に木炭など熱源を入れて温めるとか他にも方法はたくさんある。魔力に頼らなくても、人は生活することができるのだ。
私には魔力がないから、そう思うのかしら。
屁理屈なのかもしれないと思うと、途端に自分が嫌になる。私は桶に溜めたお湯を一気に頭から被り、頭や体を数回流した。泡が床を流れて排水口へ消えていく。
排水施設も、魔石が欠かせない。一部は技術的な部品も使われているが、大抵は魔石による水の浄化能力で綺麗な水へと変わっていく。
「……魔法って、何なの……? 魔法は、人が楽になるためのものなの?」
誰もいないこの空間で、その答えは返ってこない。きっとノエルに聞いても、私を気遣う優しい彼の答えは曖昧なものになるだろう。
「……ノエル……」
私は急ぎ足で浴室を出た。乱雑に身体中の水分を拭き取り、衣服を着ると濡れた髪の毛を近くの洗面所に備え付けてある櫛で乾かす。手のひらほどの大きさのこの櫛にも、小さな魔石が付いていてこれで髪の毛を撫で付けると瞬時に乾いてしまう。
「塔にいる頃は疑問にも思わなかったわね……村や宿には魔石道具がなくて初めて知った。魔法も使えないくせに、魔法に、魔力に頼る―――」
愚かしい。
「……もう出なくちゃ」
櫛を洗面台に戻し、私は部屋を後にする。扉を開けて廊下に出てぎょっとした。壁面にもたれかかっている一輪の花のような男がいたからだ。
「……ディオン、まさか待っていたの」
呆れたように言うとディオンは悪びれる様子もなくあっけらかんとしている。
「思っていたよりは早いな、しかしその身なりはなんだ。まるで使用人じゃないか」
「そうですけど?」
彼の余りにもずけずけとした口振りに、私は苦笑いをした。
女性が入浴しているのに待ち伏せするなんて、非常識で非紳士的だわ。
「今は、そうだったな。ではレティシア、街に行くぞ」
「ディオンは街に行くの嫌いなのでは……」
女性から歓喜の声を叫ばれながら追い掛けられるのは苦手なはず。わざわざ出向くのに何か理由があるのだろうか。
「奴らが先に買い出しに出掛けただろう? どうやら君も呼ばれていたらしいじゃないか。一人で行くなんて意地悪なことをしないでくれ」
そう言ってディオンは私の右腕を掴むと引っ張って歩き始めた。
「あ!」
引っ張る勢いに転けそうになり、私も付いて行くしかなかった。
何が意地悪よ、自分が一番意地悪なくせに。
彼は少し振り向くとまるで私の心を読んだかのように、一笑を浮かべた。
華麗な横顔、人を魅了する笑み、誰もが美しい太陽のように思うだろう彼の中に、私は暗い闇が見える気がしてならなかった。
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