23食目 半分、熟した

 翌朝、私は屋敷の玄関口で箒を握り締めながらようやく昇り始めた朝日を睨んでいた。


 朝は冷えるわね……。


 身震いをする私の目の下には寝不足の証がくっきりと刻まれ、眠気で意識がぼんやりとしている。

 昨晩はディオンの部屋を何事もなかったかのように出た後、自室へ戻ったのだが気持ちがざわついて殆ど眠れないまま朝を迎えたのだった。


 ディオンのあの瞳……塔を襲ったあの男とよく似ていた。でも、ディオンには黒い羽だって生えていないし髪の毛も綺麗な白銀で……顔つきは何となく似ているような気がするけれど記憶が曖昧だわ。


「偶然かしら……でも、もしあの羽が黒影鷲のなら何か繋がりが……あぁ! 全然わからない!」


 もう考えるのはやめましょう、体に悪いわ。


 私はぼんやりとしながらせっせと箒を動かした。土埃や木葉が舞う視界の隅で黒い影がちらりと動いた。


「な、なに……?」


 こんな早朝に、自分以外の誰かがいることに一抹の不安を覚えて身構える。すると木の影から大きな体格をした男が現れた。


「カイさん……おはようございます」


 現れたのはカイだった。私が軽くお辞儀をして挨拶をすると彼は少しだけ頷いた。


「随分早いんですね」


 カイは無言で私を見つめている。彼はあまり言葉数が多くないので心情を読み取りにくい。


「あの、何か?」


 恐る恐る訪ねると、カイはようやく口を開いた。


「具合、悪いのか?」


 思いもよらない一言に私はきょとんとしてしまう。


「顔色が悪い」

「あ……大丈夫です、少し眠いだけですから!」


 これ以上心配をかけないように明るく装う。すると、カイは私に背を向けて歩き始めた。


「ついて来い」

「え? あ、はい!」


 私は箒を近くの木に立て掛けて、カイの背中を追う。


 急に言われて思わず返事をしてしまったわ。どこにいくのかしら?


 カイが屋敷の裏へ回り込むと、広い屋敷の裏庭の一画に畑が姿を現した。野菜や果物がもうすぐ収穫を迎えるのだろうか、ほんのりと色味を帯びる実はまるで化粧をしているようだった。


「ここ……畑、ですか? すごく綺麗に育てていらっしゃるんですね」


 庭仕事は彼の役目だと聞いている。この野菜や果物はきっと彼が育てているのだろう、大切に管理されているのが素人目にもわかるほど豊かで美しい畑だ。


 そういえば、村でも同じような光景を見たわね。


 私は村で見た野菜や動物達のことを思い出した。美しい実りと穏やかな時間、生きるための糧を得る人々の姿は力強く、心打たれた。


 ジルさん、元気にしているかしら。


 私が物思いに耽っている間、カイは屈んで地面から生える葉を採っている。その後ろ姿は童話に出てくる森の熊さんのようで可愛い。


「……やる」

「えっ? あ、ありがとうございます」


 そう言ってカイが差し出した草の束を両手で丁寧に受け取る。新鮮で瑞々しい緑色をした葉は清涼感のある香りの中にほんのりと甘さがあった。薬草とも違う爽やかさだ。


「……いい香り」

「眠気と疲労に効く。お湯に入れて煮出したものを飲め」


 なるほど、お茶のようにして飲むのね。


 相変わらず仏頂面で言葉もぶっきらぼうな彼だが、私のことを心配してくれたらしい。思わず笑みが溢れる。


 会ってすぐに酷いことを言う人もいるけど、こんなに親切な人もいるのね。


「カイさん……優しいんですね。大切なものを譲っていただいてありがとうございます。とっても嬉しいです」


 私は一礼すると、無言で屋敷の中へ向かう彼の背中を見送った。


「さて、早速お茶にしていただきましょう。採れたて新鮮、美味しくないはずがないわ! 折角だし、パンと卵とお野菜も準備して……」


 朝食のことを考えると途端に元気が出てきた。とはいえ、空元気なのは違いない。

 私が足取りも軽く調理場へ着くと、せっせと料理をするソフィの姿があった。ちょうど野菜を切り鍋に入れるところだった。


「ソフィさん! おはようございます」

「おはようございます、レティシアさん。もう朝ご飯は食べましたか?」


 私が声をかけるとソフィは振り返って明るい笑顔で挨拶をしてくれ、清々しい気持ちになる。


 随分早い時間から働いているのね。


「いえ、これからです。はぁ……すごくいい匂い……」


 私は室内に広がる香ばしい匂いを大きく吸い込むと、ぼんやりした意識や体が覚醒を始めたのか途端に空腹を強く感じ始めた。


「今、ディオン様と私達の食事を作っているところですよ。と言っても、私達のは簡単なものですが……あ、お湯を沸かしているのでお茶を用意してもらえますか?」

「わかりました。ちょうど今、カイさんからお茶に出来る葉を貰ったところです」


 私は棚からお茶のポットやカップを取り出し、お皿等もテーブルに並べて準備をする。


「あら、それは楽しみですね」


 ソフィは鉄製のフライパンから卵と薄い干し肉を焼いたものを手早く皿に乗せて、野菜を盛り付けた。じゅわじゅわと余熱で焼ける音が食欲を全開にしていく。

 私が葉を入れたポットにお湯を注ぐと、紅茶とは違うほんのりと甘く清涼感のある香りが漂ってくる。


 何だか、気持ちがすっきりしてきたわ。香りを嗅ぐだけで目覚めていく感じ。


「うーん、いい香り」


 テーブルには焼いたパンもやって来て、魅力的な朝食の行進が出来上がりだ。ソフィは既にディオンの朝食も作り終えたようだ、本当に器用で効率のいい仕事ぶりだ。


「カイ先輩のお茶の葉、いい香りですね。さぁ、食べましょう。レティシアさん」

「はい! いただきます!」


 私とソフィは向かい合って座り、朝食を食べ始めた。殆どソフィが作ってしまったのは申し訳ないので、明日は私が挽回することにしよう。

 私はさっそく卵を口に頬張ると、半熟に焼けてとろとろとした濃厚な黄身が美味しい。


 あぁ、幸せの味がする。


「レティシアさん、昨晩は大丈夫でしたか? 夜は給仕がないので私はいつも帰っているんですけど……余り眠れませんでしたか?」


 ソフィもパンを手に取り千切ると、その小さな花のような口へ持っていく。まるで小動物の食事のようで可愛い。


「実は、ほとんど眠れなくて……」


 私がポットから二人のカップにお茶を注ぐとソフィはカップを大切そうに両手で持った。


「ありがとうございます。慣れない環境ですし、無理はしないでくださいね」


 彼女は一口お茶を飲むと、息をついて目を細めた。


「いえ、眠れなかったのはディオン様のせいで―――」


 苦笑いをしつつ、昨日の晩酌の話をしようとするとソフィは目を真ん丸にしてひどく驚いていた。


「ディオン様ですか?」

「えぇ……お酒を持っていった後、色々ありまして寝不足というか全く眠れなくて」


 昨日はディオンが黒影鷲と関係あるのか気になって仕方がなかったけど、今日は眠るようにしなくちゃ。


 私は焼いた干し肉を平たいパンの上に乗せて一気に噛った。干し肉独特の肉汁とこんがりと焼き直したパンが絶妙に絡み合って何枚でも食べられそうだ。

 食事に夢中になっていると、ソフィが静かになったことに気が付いた。


「ソフィさん、どうしました?」


 ソフィは目を泳がせながら野菜をフォークでつついていた。彼女の柔らかいパンのような耳が真っ赤に染まっている。


「ディオン様が……女性を……その、お誘いするなんて初めて聞きました」


 消えてしまいそうな声でそう言うと、今度は私を上目遣いでちらちらと見上げてくる。


 急にどうしたのかしら。


「レティシアさん、どう……でしたか? いやだ、私ってば立ち入ったことを聞いてしまいました」

「どうって……」


 晩酌の様子は静かで特に変わったことはなかった。妙に芝居臭かったというか、彼には何か思惑があったのだろうとは思う。私にはわからないことばかりだが。


 黒影鷲のことは言えないけど、どんな風に晩酌したかくらいなら話せるわね。


「窓際の長椅子でしました」


 ソフィは震える手で持っていたフォークを皿に落としてしまい、高い音を立てる。


「レティシアさん……今日はお祝いにしましょう!」

「え? 何のお祝いですか?」

「ディオン様が初めて夜を女性と共にした記念日です!」

「そうですか、まぁあの様子ではそうなんだと思いますけど……」


 街では女性に大声で追いかけられ、逃げ回って嫌な思いをしているのだから女性と過ごすこともないのだろう。


 初めての晩酌記念日、微笑ましいわ。


「レティシアさんってすごく大人ですね、私はからっきしでして……いつかは愛する人と結ばれてそんな夜を過ごしたいとは思っていますけど……」


 頬に手を当てて落ち着きなくフォークを動かしながら野菜をつつく。もう野菜は原型を留めていないほど穴だらけだ。


 ソフィさん何だかすごく気持ちが高ぶってるみたい、このお茶のせいかしら?


 私はまだ熱いくらいのお茶に息を吹き掛けてから口に含む。香りほどの甘さはなく、さっぱりとした飲み口で朝にはうってつけのお茶だ。


「ディオン様にも今日はお祝いだとお伝えしておかなくてはなりませんね! 街に買い物に行って、カイ先輩にお庭のお花を分けて貰って、それから―――」


 指折り数えて、今日の仕事に思考を巡らせる彼女はとても楽しそうだ。


「私も頑張りますね、ソフィさん」


 街に行くのなら、もしかしたらノエルと会えるかも。……少し、楽しみだわ。


 ただ自分の執事の様子を見られるかもしれないというだけなのに、私は一笑を浮かべていた。あの心配性の執事に会ったら、ちゃんと安心させてあげなければ。

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