20食目 お姫様は使用人
室内に整然と並ぶ衣類に私はいよいよ緊張してきた。
私は使用人の女性に案内されて、屋敷内にある使用人倉庫へやって来た。使用人に必要な衣類や道具類がきっちりと棚に並べられていて気持ちがいいほど整理整頓されている。どうやらここで私の使用人服を貸与されるらしい。
問題は私の着られる大きさの服があるのかということだろうが、案の定彼女を困らせているのは言うまでもない。
「うーん、これ以上大きいのはないかもしれませんねぇ……」
あれでもないこれでもないと服を捲る彼女はこの屋敷の使用人、ソフィ。ここに来るまでにお互いに自己紹介をして知ったのだが、屋敷に勤めて十年以上経つらしい。彼女は私よりも少し年上の十九歳、華奢な体型と丁度いい具合に焼けたパンのような茶色の髪を後頭部で丸く一つに纏め、優しげな目元が特徴的な女性だ。
私の自己紹介はと言うと、王女であることは当然話せるはずもなく村娘ということにしてある。
「ご迷惑をお掛けしてすみません……」
私はため息をついて可愛らしく装飾された使用人服を眺めた。丈がやや短いものから長いものまで多様だが全体的に黒や茶色と言ったものが多く見られ、どれも細やかな刺繍や縁布で上品かつ可愛くまとめられていた。
痩せていたらこんな可愛い服が着られるのになぁ。
「あの、私はこのままでも仕事をしますからお気になさらず……働くのも数日のことでしょうし」
「しかし、ディオン様より配慮を欠かさぬよう申し付けられておりますので……そういうわけにも参りません」
ディオン。
あの男が雇い主となったのは先程のことだった。
「使用人として働く?」
私は応接間の椅子にディオンと机を挟んで対座し、人生初の仕事について話を聞いていた。室内には私と彼だけ、緊張だろうか妙に心臓が跳ねているのが落ち着かない。正体も不明瞭な彼への疑念が警戒心を生んでいるのかもしれない。
「そうだ。簡単だろう? 掃除や洗濯、食事の支度、この屋敷の管理全般だ。来客があればその対応も含まれる」
「屋敷のことすべてと解釈していいですか?」
「そうだな。詳しい内容は使用人に聞くといい。基本的に私が屋敷にいることは少ないのだが……特別に、君のいる期間は多目に在宅しようと思う」
どういう意図なのかしら。この人がいても仕事が増えるだけのような気がするわ。
塔にいる頃は使用人が身近にいたので仕事内容は大体想像出来るが、実際にしてみないとわからないことも多いだろう。ただ知っていることと出来ることではまったく次元が違う。
「就労時間はどうなっていますか? 帰りが遅くなるとノエルも心配しますし……」
「ノエル?」
「私の……えっと、旅の仲間です」
うっかり執事だと口が滑りそうだったわ……危ない危ない。
「なるほど、彼は心配性なのか。基本的には夕刻まで働いてくれればいい。ただ……」
ディオンはふと窓の方を見て意味深に言葉を止めてしまう。憂いを帯びた横顔がわざとらしい。
ふと、ディオンの言葉に違和感を覚えた。
今、この人彼はと言ったわね。会ったこともないのに……ノエルの名前も中性的だし男性だとはわからないはずだけど―――
「泊まり込みで仕事をしてくれたら、君の宿代も浮くんだろうなぁ……」
「よろしくお願いします!」
疑問は捨て置き、私は二つ返事で泊まり込みを受けたのだった。
私は服を探すソフィを横目にどうやってノエルに説明しようか悩んだが、主人権限で有無を言わさないことにした。彼が納得するにはそれしかない。
でも、二つ返事で決めてしまったことはきちんと謝らなくちゃね……。
荷物は後で取りに行くことを許可されている。説明するならその時だろう。
「あ! これならちょうど良さそうです! 形は少し古いですが、清潔ですよ」
ソフィが見つけた服は、黒を基調とした装飾がなく簡素なものだ。小さな白い襟が着いて、同じく白い前掛けを腰の辺りに付ける物のようだ。
「ありがとうございます。助かります」
「では、早速着てみましょう! レティシアさんは可愛らしいですから、きっとこういう簡素で落ち着いた服も似合いますよ」
そう言って彼女は近くにある着替え用の間仕切りへ促してくれた。
早速着替えてみると、使用人服も案外悪くはなかった。伸縮性に優れ、機能的で汚れも目立ちにくい色をしていて着丈は足首の辺りまである。
素敵。これなら、毎日着てもいいかも。
王女らしからぬ感想に私は頬を叩いて自分に喝を入れた。脱いだ衣類を抱えて間仕切りから出ると、ソフィは笑顔で私を観察した。
「まぁ! とってもお似合いです! 後は、髪を纏めれば―――」
そう言ってソフィは私の髪の毛を手櫛で簡単に撫で付けると、あっという間に紐で一つに結んだ。伸縮性のある紐は量の多い私の髪の毛もしっかりと留めてくれている。
「完成です!」
「あ、ありがとうございます。でも、なんだかこういうの慣れていなくて恥ずかしいです……」
「大丈夫ですよ、とっても可愛らしくて抱き締めてしまいたいくらいです」
ソフィは微笑んで褒めてくれた。私は照れ臭くなり、俯いたまま何も言えなかった。
「さて、準備もそろそろ仕事のお話しです。歩きながら話しましょう」
「は、はい。お願いします!」
そう言って私達は部屋から出ると長い廊下を歩き出した。外観からも察していたが、この屋敷は入ってみると想像よりもとても広い。廊下の両端で声を掛け合っても聞こえないくらいには長く、部屋数もいくつあるのかわからないほど扉がずらりと並んでいる。どの扉も美しい流線形の金装飾が打ち込まれ、廊下の窓も同じように隙のないほど華美だ。華美と言っても、私の塔と比較しての話なのでこれくらいが一般的な貴族の屋敷なのかもしれない。
それにしても広い……庭も建物もこんな規模だと使用人もたくさん必要ね。
私が内心そんな感想を抱いているとソフィが仕事内容を説明してくれる。
「既にご存知かと思いますが、レティシアさんには屋敷の家事全般をしてもらいますね。基本的には私の補助となりますし来客も殆どありませんので、難しいことはありませんよ」
「はい、わかりました。あの……魔法は、使うことがありますか? 私、魔法は……」
私は村での出来事を思い出していた。ジルさんに竈へ火をつけるよう言われた時、魔法が一切使えない私は足手まといにしかならなかった。出来ないことは悲しかったけど、ジルさんは気にしないよう励ましてくれた。
とてもぶっきらぼうではあったけれど。
「魔法は使わなくてもいいですよ。使った方が捗ることもありますけど、私は魔力が弱いので扱えるものが少ないですし……人の手で出来ることばかりなので普段は使いません」
苦笑いをしながらソフィは一つの扉に手をかける。
私は魔法を使わなくても仕事が出来ることにとても安心した。
「さて、着きました。ここが調理場です」
ソフィが両開きの扉を開くと、人が五人ほど同時に調理ができそうな大きな調理場があった。調理台は石造りで重厚感のある作業机や大きな竈もあるところを見ると、やはり貴族らしい。清潔に保たれた炊事場はとても気持ちがよかった。
「とても素敵な調理場ですね。掃除もしっかりされてて綺麗です」
「いえいえ、これくらい朝飯前ですよ! あっ……すみません、私ってば朝飯だなんて野蛮です!」
ソフィは何やら一人で照れたり恥ずかしがったり、ころころと表情が忙しそうに変わって可愛らしい。
「ところで、この屋敷には何人の使用人がいらっしゃるんですか?」
私は何となく部屋を歩き見学しながら尋ねた。
「使用人は私だけですよ、後は使用人ではなく庭師の方が一人です」
「えっ!? この広い屋敷を全部ソフィさんが?」
私は驚きを隠せなかった。いくらなんでもこんな広い屋敷を使用人が一人で管理するなんて無茶苦茶だ。
しかし、ソフィはまったくあっけらかんとしていて心配するこちらが変なのかと思うくらいだ。
「さすがに庭のお手入れは力仕事ですから私だけでは……あ、ちょうどあそこに見えるのがその庭師です」
問題はそこじゃないと思いつつ、私はソフィの視線の先を見た。窓から庭が見えるが、そこを大きな草刈り鎌を手にして歩いている男性がいた。
男性は手を振るソフィに気が付いてこちらに歩いてくる。服の上からでもわかる筋骨隆々の逞しい肉体に黒々とした短髪、近づいてくるにつれ私は見覚えのある風貌に記憶が甦った。
この人……街で出会ったあの無口な人だわ。
「レティシアさん、この方はカイ・ダールさん。私よりもずっと前からディオン様にお仕えしていらっしゃる大先輩です」
「は、初めまして。レティシアと申します」
実際に会うのは二回目だが話すのは始めてだ。これを初めましてと言うべきか悩むところだが、話すのは初めてなのだから間違いではない。
しかし、カイは仏頂面で私を見下ろして低い声で呟く。
「……違う」
見た目通りの太く迫力のある声色で私は否定された。
一体何を否定されたのかしら?
「街で会った。覚えている」
「あら、レティシアさん。カイ先輩とお会いになられたことが?」
意外にも彼は私のことを覚えていたらしい。他の人より印象に残る容姿だと自負しているが、それは彼も同じだろう。そして彼は初めましての部分について否定したのだった。
「あ、街ですれ違っただけですが……あの時はお邪魔してごめんなさい」
私はカイに頭を下げた。カイは仏頂面を崩すことなく少し頷いた。
和解したのかしら? よくわからないけれど悔恨はなさそうだわ。
「カイ先輩はディオン様の護衛も兼任されてて、時々私のお手伝いもしてくれる優しい方なんですよ。困ったことがあったら頼ってくださいね」
ソフィが自分のことのように誇らしげに言うと、カイは無言で頷いた。
「カイさん、よろしくお願いします」
ソフィさんもカイさんも優しくて良かった。初めての仕事で緊張してたけど、安心したわ。ここでなら頑張れそう。
私を蔑む者もいないこの環境はとても恵まれている。まだ出会って間もない彼らと一緒にいると、私は塔にいた頃のような居心地のよさを感じる。
「さぁ、レティシアさんさっそくお仕事ですよ。これからディオン様の夕食の準備です。……と、その前に、私達も昼食にしましょう」
そういえばもうお昼は過ぎた頃なのに何も食べていない。
私は昼食と言う言葉に俄然やる気が上がった。なんて単純。
「はい! 頑張ります!」
私の溢れるやる気とは裏腹に、生まれて初めての家事が上手くいくはずもなく、後の私達の昼食作りは困難を極めたのだった。
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