19食目 働かざる者食うべからず

「ここで働きたいんです!」


 とある飲食店の裏口で、私は店主の中年男性に懇願していた。

 今朝はノエルと話し合い、しばらくは今後の資金を稼ごうということになった。宿に泊まるのも食事をするのも決して安くはない。働かなければお金は減る一方、私達は早急に資金を稼がなければならなかった。

 そして、今はそれぞれの働く場所を見つけるために別行動を取っている。もちろんノエルは一緒に行動したがったが、私は自分の力で働き先を見つけたくて別行動を取ることにしたのだ。彼が一緒だと本当の意味で私が見つけたことにならなさそうだからだ。


「いやでも、あんた……働いたことあるの?」

「いいえ! でも頑張ります!」

「あーダメダメ、未経験はお断り。うちは新人に指導するほど暇じゃないんだ。悪いけど帰ってくれ」


 目の前で扉は無情にも閉じられてしまったが、私には肩を落としている暇はない。

 働き口を探して何件目だろうか、就労経験がないことを理由に何度も何度も断られている。おまけに短期労働ともなれば尚更だった。

 しかし、この程度でへこたれるほど私は柔ではない。まったく精神的苦痛がないと言えば嘘になる、それでも前を向くことが今の私に出来ることだ。


「近くにある表通りのお店は大体断られたから、後は裏手のお店か少し離れたところかしら……」


 食い扶持を確保するのがこんなに大変だなんて思わなかったわ。今後の宿泊費もあるし、なんとかしなくちゃ。


「……とにかく頭も足も動かさなくちゃ! 何件も当たればいつかは雇って貰えるわ!」


 何件も当たってこの現状だということなんだけれど、それは一旦忘れましょう。


 私は裏手の店へ回ることにした。表通りほどではないが、店の数も多い。表通りとの違いはお酒の提供があることと夜に開くお店ばかりなことだ。

 この情報は宿屋の主人から聞いたものだから間違いない。


 こっちの方はあまりおすすめはされなかったし、ノエルも大反対だったから候補ではないけれど……背に腹は代えられないわ。


 私は手始めに近くの店の扉を叩いた。木製の扉に黄色の硝子玉等が埋め込まれていて綺麗だ。


「はぁーい……」


 重たい男性の声と共に現れたのは髭や髪が乱雑に伸びた若い男性だった。眠そうな瞳が私をゆっくりと瞬きしながら見下ろす。


「……何か用?」

「ここで働きたいんです!」


 私がそう言うと男性は眉を潜めて私を睨み付けた。明らかに嫌悪のある視線に私は少しだけたじろいだ。


 でも、ここで引くわけにはいかな―――


「―――失せろ、醜い豚め」


 私の想いなど知ったことかと踏みにじる言葉。いやこれは言葉ではない、暴力だ。

 ただ一言を言い放つと男性は勢い良く扉を閉めた。


「醜い、豚……」


 私は投げられた暴言をぽつりと呟く。

 ただそれだけの言葉なのに、心に大岩が乗ってしまったように重くのし掛かった。

 私は目眩を覚えながら裏手の道を歩いた。先程のように他店の扉を叩く気になれず、いくつもある華やかな店の前をただ通りすぎていく。

 ふと立ち止まり、足元を見ると舗装されていない砂利道に水滴が落ちていく。そして滲んだ視界には女性とは思えない太い足。


「醜い、豚……」


 声が震えているのを自覚すると余計に涙が出てきて、必死に目を瞑り押さえ込もうとしても瞼の隙間から溢れてくる。

 太っているからと父上に見放され、城からも追い出された。周りからはでかい体とか豚姫だとか罵られて、嫌悪の視線や無用な暴言で傷つけられる。

 気付かない振りをして、我慢して、傷は癒えないまま積み重なってしまった。


 私が何か悪いことをしたの? 太っていることで、誰かを傷付けたりした?


 唯一、私を慕って美しいと言ってくれる人が脳裏を過った。その瞬間私は堪えていたものが一気に溢れ出した。


「……っ……ふぐっ……ぇっ……」


 目尻から目頭から、栓を閉め忘れた蛇口のように涙が溢れて止まらない。息をするのも自分の意思では出来ずに苦しい。

 握り拳を作っても、歯を食い縛っても、涙はぼろぼろと頬を伝って最後には地面に吸われていく。


 私はただ、ノエルに迷惑ばかりかけたくなくて、何か役に立ちたかっただけなのに……こんな私でもちゃんと一人で出来るんだって証明したかっただけなのに。

 父上にも、ノエルにも、認めてもらいたくて。

 何も出来ない豚姫なんかじゃないって証明したかったのに。


 さっきの暴言だけじゃなく、心に溜まった叫びが涙になって溢れてくる。悲しくて辛くて悔しくて堪らない自分と、それを見る客観的な自分がいた。

 私は自分の存在を認めて欲しかった。働くのも全部ノエルに任せてしまえば楽なのにそうしないのは彼にばかり負担をかけたくない責任感―――我が儘のせい。

 私はノエルに喜んで欲しい。少しでも早くお金が集まれば、それだけ王城へも早く辿り着ける。そうすれば、ノエルとまた笑って過ごせる日々が戻ってくると信じている。


「……っ……ここでっ……負けるわけにはいかない!」


 私は下を向く愚かな顔を上に向けた。嗚咽を堪え涙を服の袖で乱暴に拭う。


「おやおや、こんなところで会えるとは。何かお困りかな? 旅のお嬢さん」


 背後から声が掛かって振り向くと、あの男が涼やかな笑顔で立っていた。


「ディオンさん!? どうしてこんなところに……」


 昼間でも人気のない暗い雰囲気を纏う道に何故、こんな太陽のような人がいるのか不思議でならなかった。正直、今は会いたくない人だった。


「私にも色々と用事があってね、日の当たる場所だけが縄張りではないのだよ」


 子供が秘密の話をするように、人差し指を唇に当てながら笑う。

 美しさの中にも悪戯好きそうな一面が見えるそんな彼に惹かれる人も多いだろう。

 しかし、今の私にはそんなことは心底どうでもよかった。さっき、彼は困っているのか尋ねてきたのだ。


「私、困ってます!」


 もはや、手段を選んでいる場合ではない。働き口を見つけるためなら頼れるものは頼る、意固地になって無一文では立つ瀬がない。


「ふむ……私に出来ることならば手を貸してやらないこともないが。どうしたんだ?」


 言葉とは裏腹に彼は私が何に困っているのか知りたくて仕方がないらしい。性格が悪いのか世話焼きなのか、悔しいが恐らく前者だろう。憎たらしいが憎めないのがこの男の厄介なところだ。


「働きたいんです!」


 私の言葉に意表を突かれたのか、ディオンはしばし目を瞬たたかせていた。


「お金が欲しいんです! 恥を忍んでお願いします、どこか働けるところを斡旋してください!」


 私は深く頭を下げて懇願した。もしかすると、有名人の彼ならばいい仕事を紹介してもらえるかもしれない。


「なるほど、働き口か……旅をするのも金がかかるからな。私が紹介してもいいが……」


 私が不安になり少しだけ視線を上げると彼と目が合う。

 ディオンは悩む素振りをしているが、ただ意地悪することを楽しんでいるだけだろう。

 根拠はないが彼は常に楽しいことを探しているようなそんな目をしている。端的に言えば、彼は退屈なのだ。そんな彼からすれば、仕事も見つからず泣き腫らしている私のような求職者は格好の玩具だ。


「あぁそうだ、それなら割りのいい仕事がある。数日あればそこらの商店で働く何倍もの賃金を稼げる」

「ほ、本当ですか!」


 私は思いの外高額な仕事があることに驚きを隠せなかった。食い付きも激しく、ディオンに一歩迫った。


「あぁ、身の危険も……ないだろうし、難しい仕事内容でもない。ただ精神的な強さは必要かもしれないが、君なら大丈夫だろう。この間のローブの借りもあることだし、恩は返しておかなければな」

「お願いします!」


 私は気分が高揚していくのを感じた。身の危険のくだりが気になるが、今はとにかく稼ぎたい。


「では、付いて来るといい」


 私は歩き出す彼の背中を追った。


 良かった! これでノエルにも顔向けできるわ。よし、いっぱい稼ぐわよ!


 しばらく付いていくと、民家が何十軒も入りそうな敷地に辿り着いた。街外れなのか辺りには誰もいない。

 人の背丈よりも高い鉄製の柵が敷地を取り囲み、木々が生い茂る奥に、落ち着いた雰囲気の建物が見える。看板等もなく、教会や商店の類いではなさそうなところを鑑みると人の住まいだろう。


「すごく大きなところですね……どなたのお屋敷ですか?」


 ここに仕事を斡旋してくれる人がいるのだとしたら、貴族くらいの地位がある人よね。どんな人なのかしら。


 周りを見渡して観察しながら考えていると、ふと目の前にいる男が街の人と比べて随分清潔で煌びやかな服装なことに気が付いた。


 ……まさか―――


「ここは私の屋敷だ。ようこそ、旅のお嬢さん。君の働きには、雇い主として大いに期待をしているよ」


 ディオンは相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、わざとらしく胸に手を当てて丁寧にお辞儀をしてみせた。

 私は遥か昔の人の言葉でこんな言葉があったのを思い出す。


 働かざる者、食うべからず!

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