16食目 魔法
朝食には、村で分けて貰ったパンに野菜と焼いた肉を挟んだものとジルの作ったケーキを食べた。
パンも美味しかったがこのケーキは堪らなく美味しく、しばらく夢心地を味わった。食べると口の中で柔らかくとろけ、乳のまろやかな甘味と酸味が見事に調和し、ケーキの土台部分は砕かれた香ばしい焼き菓子が敷き詰められ、底に散りばめられた甘い乾燥果実が合わさり楽しい食感を生み出す。
これは私が今まで味わったことのない種類のケーキだ。素朴な素材の中に深い美味しさが秘められた、病みつきになるまさに魔性の甘味である。
ノエルは毒味しても尚、不信そうにしていたが味には文句のつけようがないのか無言で完食していたのだから美味しいと認めたようなものだろう。
私達は朝食を終えると、旅の身支度をした。背負える大きな鞄と肩から下げる鞄に物資をそれぞれ詰め込んですぐに準備は整った。
村の入り口で村長達や幾人かの村人の見送りを受けることとなった。時間にして午前も中頃である。
いよいよこの村ともお別れだというところだが、一つ気掛かりなことがあった。
それは、ジルから貰った籠だ。
「ノエル、ジルさんにこの籠を返さなくちゃ……」
私は籠を返すため一度ジルの家を訪ねたが留守だったのだ。村長と共に来てくれた見送りの人々の中にもその姿はなくどうしようか考え倦ねていた。魔法が付与されていて特殊な籠なことは間違いない、このまま返さないわけにはいかなかった。
「では、代わりに村長に返して貰いましょう。いないものは仕方がありません」
ノエルは冷静に言い放ち、私から籠を取って村長へ渡してしまう。まるで籠が目障りな邪魔者のように私の手から取り上げられる。
「あっ……」
直接会いたかった。美味しかったって、一言で良いから言いたかったな。
「お嬢さん、心配しなくてもちゃんと返しておくからの。街への道中は気を付けて行きなさい」
村長は柔らかそうな白い髭を撫でながら微笑んだ。村長の隣にはほっそりとして、しゃんと背筋が伸びた姿勢のいい老婦人が同じように優しげに微笑んでいる。
「あ、ありがとうございます。あの、隣にいらっしゃるのは奥様、ですよね?」
私が今着ている服は、ノエルの話では村長の奥様が若い頃に着ていたらしい。しかし、ほっそりとした外見からは昔とはいえ私のように太っていたようにはとても感じられない。
「えぇ、そうですよ」
「あ、あの……こんな素敵で可愛い服をいただいて……その、ありがとうございます」
私はあまりにも上品で奥ゆかしい雰囲気を纏うこの老婦人に、緊張してしまってお礼を言うのもやっとだった。
「いいえ、こちらこそ。こんなに可愛らしいお嬢さんに着てもらえるなんて嬉しいわ。思い出がたくさん詰まった服だから、捨てるのも勿体なくてどうしようか考えていたのよ」
老婦人は頬に手を当てて、昔を懐かしむように目を閉じた。
「私も昔は体が大きくて、困ったことも多かったけれど……この人がいつも支えてくれてね。私ももっと成長しなくちゃ、頑張らなくちゃって思って。必死で綺麗になる努力をしたの」
隣の村長は咳払いをして照れ臭そうにしている。ちょっと可愛いと思うのは失礼だろうか。
「そうなんですね。奥様、とてもお綺麗です。私も、痩せて綺麗になるのが目標なんです」
何とか会話になっているのは、自分と重なるところがあるからだろうか。彼女と話していると不思議と緊張も解れて言葉がすんなり出てくる。
「頑張る私を支えてくれたように、私もこの人を支えたい……そう思うようになるまで時間は掛からなかったわ。お嬢さんは、綺麗になるために重要なことは何だと思う?」
「綺麗になるために、ですか?運動と健康な食事、でしょうか……」
「そうね、それもとっても大切よ。でも、一番重要なことはね―――」
そう言って老婦人は私に耳を寄せるように手招きをして、私も耳を傾けるように近づいた。小さな声で、他の誰にも聞こえないように私に囁いた。
「―――恋よ」
「こっ―――!?」
私は驚いて大きな声を出しそうになったが寸前で言い止まった。
恋? それが、綺麗になるために重要なこと?
私は、恋という単語が頭の中で飛んだり跳ねたりしているような錯覚を感じた。わけのわからない物体が、我が物顔でそこらじゅうをぐるぐる駆け回っていると思考がすっかり止まってしまう。
呆けた顔をしているだろう私を見て、老婦人は人差し指を口元に添えて柔らかに笑う。
「恋は、世界で一番素晴らしい魔法よ」
「魔法……」
魔法―――それは私には扱えない代物だ。魔力のない私は魔法とは無縁だが、この恋というのは別物だ。人は誰しも恋をして、愛することができる。誰にも奪うことの出来ない美しい感情だ。
でも私は恋なんてしたこともないし好みの男性像すら浮かばない……恋って、どうしたら出来るのかしら?
老婦人は私の肩を叩いてノエルの方へ行くよう促した。
「さぁ、話しが長くなってしまったわね。お連れの方もごめんなさい、もう行かなくては
ね」
「貴重なお話、ありがとうございました。お、お世話になりました!」
私はノエルと共に村長や見送りの人達へ向かって深々とお辞儀をした。
「気を付けてね」
「大精霊様の御導きがあらんことを」
皆がそれぞれ別れの言葉をくれて、家族でも友人でもない私達に笑顔を向け旅の安全を祈ってくれる。
―――優しい人達。
自然と笑顔になって彼らにもう一度深々と礼をすると村を背に歩きだした。村から出ると、左右には草原と所々に林が広がっていた。
後ろを向いて軽く会釈をすると後方の村の奥が見え、鬱蒼とした森が地平線に果てしなく続いていた。まるで世界がそこを境に終わっているかのように見える。
舗装されていない砂利道を踏み締めると小石が擦れてじゃりじゃりと音を立て、しっかりとこの世界を歩いている実感を与えてくれる。
しばらく歩いて村の方を何気なく振り向くと、小さくなった村人達が手を振ってくれていた。まさかまだこちらを見ているとは思わず、暖かな気持ちになって私からも手を振り返した。
「いい人達ね」
「えぇ、そうですね」
旅立つのは名残惜しいが旅は始まったばかりだ。きっとこれからも離れがたい出会いがあるだろう、それでも前を向いて進まなければならない。自分があるべき場所へ向かって歩みを止めてはならない。
「―――行きましょう」
「はい」
私達は再び歩きだした。街まではまだ距離がある、急いでも明日の到着になるだろうがのんびりしている時間はない。
「次の街まではどのくらいかかるの?」
「道は平坦ですから、順調なら明日の夕刻までには到着する予定です」
「なるほど、頑張りましょう! 歩くのは大変だけど、いい運動になるわ」
私は意気揚々、足取りも軽く歩いた。しかし、二人の砂を蹴る足音だけで会話がないのは居心地の悪さを感じる。
何か話題はないかしら……。
「そういえば、昨日私が寝ている間にノエルは何処へ行っていたの?」
ノエルは隣を歩きながらも息を乱すことなく淡々と答える。
「村で仕事をしていました。村人の家々を回って物資を分けて貰う代わりに畑を耕したり雑用をしていました。街までの資金を節約したかったので労働を対価としました」
「っ!?」
ノエルがせっせと仕事をしている間に私は寝ていただけとは、何という有り様だ。これでは主人の面目がない。
「次の街で私も働くわ!」
「駄目です」
「いいえ! 主人として、貴方だけに負担をかけるわけにはいかないわ! 絶対に資金を稼ぐから!」
働く、駄目です、とお互い一歩も譲らぬ押し問答の末にノエルが小さく溜め息をついて渋々了承をする形で決着がついた。どうにも、彼は搭を出てから私に過保護が過ぎる気がしてならない。
では私は搭を出て変わったのか、という疑問が浮かぶところだが、以前よりも自我が芽生えているというか、自分の意思で考え感情を抱き行動意欲が湧いているのを感じている。
それは、彼……ノエルにとって良いことばかりではないだろうというのは想像に難くない。端的に言えば、我儘になっているということなのだから執事としてやりにくいはず。
でも私は、自分の足で歩きたい。文字通り今は歩いているのだが、自分の人生は自分で切り開きたい。
まだ始まってもいなかった私の人生、搭に閉じ込められていた人生を―――
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