13食目 遠い記憶のような夢

 揺蕩う意識の中、暗くぼやけた視界の先に両手に収まるほどの小さな箱があった。


 いや、珠だ。

 違う、小瓶だ。


 どれでもない、何でもない、何かわからないもの。

 何色なのかもわからない、認識があやふやであるにも関わらず確かに存在する何かは漂うことなく、そこに形も色もわからぬままそこにあった。


 これは、いったい何?


 それが何かを考える内に、それは白い小瓶の形に定着していった。それも朧気で幻のようにも感じる。ただ、私がそうであって欲しいことを感じたそれが自ら色と形を定めたようだった。あるいは私が決めてしまったのだろうか。


 触れたい。確かめたい。


 愛しさに似た感情に駆り立てられ、私はそれに触れた。得体の知れないものなのに、不思議と不快感は無かった。ただ、その感触は小瓶のような無機質な物ではないような気がした。

 自分自身に触れるように、流れる水に触れるように、自然にそれを両手で包み込む。


 あぁ、もう大丈夫。大丈夫。


 何が大丈夫かはわからないが、妙に安心感を覚えた。周囲は何も見えない暗闇だが、目を瞑ると更に深い闇が視界を遮った。目を開けると、眼前には灰色の石畳の道が伸び、両側に同じような石造りの建造物が立ち並んでいる。


 ここはどこ? 見たことがある気がするけどわからない。


 明るい道の脇に光の当たらない暗い道が続いている。先の見えないその道から異質で危険な気配を感じながら、私はその先へ進む。視界の端に、小さな細い足で懸命に地面を蹴る自分がちらちらと見える。

 一本道で辺りには何もないが、しばらく歩き続けると道の先に見えてくるものがあった。

 暗い道の端により濃く影を落とすもの、小さな黒い影に向かって歩くとそれが人だとわかった。


 そこで何をしているの?


 私は誰も寄せ付けない鋭い雰囲気に怖じ気付くことなく、膝を抱えて小さく蹲る人影に話しかけた。少し驚いたのは、自分から発せられた声が、随分と幼かったこと。話しかけた人物は顔も容姿もすべてがぼんやりとしてわからないが、まだ幼い少年だということだけが認識できる。

 少年からの返答はなかったが、睨み付けられているような気がした。そう思うと、目元が見えてきた。まるで絶望の最中、悪魔に語りかけられたような憎しみが込められた鋭い視線だった。少年の真っ赤に血塗られた瞳が私を映し出す。


 怖くないよ、大丈夫。もしかしてお腹が空いているの?


 話しかけるも返答はない。私は自分の鞄から小さな焼き菓子を差し出した。


 これはね、甘くておいしいの。私も大好きなのよ。食べてみて?


 本当は自分で食べてしまいたい、だって大好きなんだから。それでも私は少年にお菓子を与えた。見返りが欲しいわけでもなく、称賛や感謝が欲しいわけでもなく、ただ少年が幸せになれたらとそう思ったからだ。

 少年は何も答えず、私が差し出したお菓子を奪い取った。そしてお菓子が包まれた紙袋を乱暴に破るとあっという間に食べてしまった。


 お腹が空くと、元気が出なくて寂しくなるよね。でももう大丈夫。


 私は笑顔で話しかけたが、少年は無言のままその深紅の瞳に私を映し出すだけだ。しかし不快感はなかった。彼がもう腹ぺこの少年ではなくなったと思うとそれだけで嬉しかった。


 私は少年に背を向けて、また元の道へ歩き始めた。振り返ると、少年は立ち上がってこちらを見ているようだった。そこから何も感情は読み取れなかったが、憎まれているような視線は感じなかった。


 足取りも軽く、私は帰り道を辿る。何処へ向かっているのかわからない、でもこの道の先には暖かくて心が踊り出しそうなくらい大好きな場所が待っている。明るい光に向かって歩き続け、光はどんどん大きくなっていく。


 帰ったらお父様とお母様に美味しい焼き菓子をいっぱい食べてもらおう! 私もいっぱい食べよう!


 だって、皆で食べるともっともっと美味しくて幸せだもの。

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