12食目 作戦会議
食事を終えた私達は、早々に食器を片付け今後についての作戦会議を開いた。
甘いお菓子とお茶があればもっと素敵な会議になりそう。
そう思いつつ、机に広げられた地図を覗き込む。大きな大陸と流れる河川等が大まかに描かれている。
「レティシア様、これが我がイグドラシル聖王国です。この村で入手できるのは簡易地図だけでしたので、また大きな街で買い換えるとしましょう」
「教本で見たのと形が大体一緒ね。地形までは覚えていないし、地図があると助かるわ」
ノエルが大陸の右端を指差して説明を始めた。
「ここが、レティシア様の住まわれていた場所です。地名は、虚無の草原。何もないことで有名です」
「えっ……そんな地名だったの? 初耳だわ……何だか悔しいわね」
自分が住んでいた土地が世間の認識では何もない場所として有名なのは寂しい。しかし言い換えると何もないのが取り柄ということだ。そういった無個性というのは何にも染まり、また伸び代があるもの。
「そうですね。それが幸いし、誰も寄り付かないので住むには最適です。動物や植物も自由に生き、自然に囲まれて平和です。しかし、人が寄り付かない理由はもう一つあります」
そう言って虚無の草原を囲う森の図をぐるりと指でなぞる。
「これが、私達の抜けた森です。村人達の言う、境界の森です」
「禁忌とされているのよね。森を越えると精霊の呪いが―――」
言い掛けて言葉を飲み込んだ。
そうだ、私達は森を越えてしまった。それはつまり精霊の呪いを受ける対象になったという事。
「も、もしかして私達呪われるの!?」
「いいえ、ご心配には及びません。そもそも、精霊の存在はこの森においては未確認ですし呪いというのも言い伝えです。国民は大概が善良で素直ですので鵜呑みにしているのでしょう。中には、それを信じぬ不届き者もいますが」
確かに、もしこの森に呪いなんてものがあるならば私達の食料や衣服等の生活用品はどこから調達されていたのかということになる。
搭に住んでいた頃、使用人が荷馬車で出掛けるのを見たことがあるが、どこかに隠し通路でも作っていたのだろうか。今となってはそれも不要な疑問だ。
「何にせよ、私達は誰も寄り付かない、寄ろうとも思わない場所にいたのね。……閉じ込めるには都合が良いわね」
「はい……。今後についてですが、村からこの町を目指すことになります」
ノエルは森を抜けた村の目印から町へ指を滑らせる。そして地図の中央の城を指差した。
「町からは再び王都を目指すことになりますが、少々日数が掛かります。最短距離を予定しておりますが、状況に応じて道順を変更しましょう。移動手段は徒歩になります」
「と、徒歩!? 馬は買えないの?」
私は愕然とした。搭から村までの距離は地図上では指一本分もないのに、相当歩いていた。それがこの地図の真ん中まであるとなると、何日かかることになるか。
「もちろん、馬を購入するというのも良い方法です。安全を考慮するなら、荷馬車で移動するのが最善です。ですが、この村には余分な数の馬は保有しておりませんでした。次の町で購入するとしても馬は安くはありません」
「そうなのね。じゃあ私が王女だと明かして、お城に帰ってから支払いできないかしら?」
「残念ながら、それを信用するような人間はいないでしょうね。現在レティシア様の存在を知る者は皆無ですし、身分を明かしたところで、王族不敬罪と身分詐称罪で死刑は免れません」
「うっ……!」
こ、怖すぎる!
私達は身分を明かして旅をすることは許されない上、お金もない。徒歩で頑張るしか無さそうだ。
「でもそれも好都合ね。徒歩で行くならいい運動になるし、私も痩せて綺麗になって父上にも認めてもらえるかもしれないわ!」
「それ以上お綺麗になられても困りますが、レティシア様のお望みのままに」
ノエルは胸に片手を当てて礼をした。顔をあげた彼は無表情だがどこか満足気だった。
「問題は日銭ですね。旅路で手に入れたものがあれば売りますが、町で働いて稼ぐ他ないでしょう」
確かに、私達には先立つものが必要だ。長旅になることが予想されるため資金調達は不可欠だ。
「なら、私の着ていた衣服を売りましょう」
私が搭で着ていた服は繊維も飾りも繊細に出来ているから、きっと高値がつくはずだ。
しかし、ノエルは私の提案に難色を示す。
「ですがあちらはレティシア様の―――」
王女なのだから身綺麗にしなくてはいけない、私の持ち物を売るなんてとんでもないと言いたげだが私はむしろそれを売ってしまいたいという気持ちでいた。一欠片も惜しくはない。
「いいのよ、今着ているこの服が好きなの。可愛いし着心地もいいし、移動するにはこの服がぴったりだわ。荷物も減って、お金も入る。売れるなら丁度良いわ!」
違う。確かにそれも売りたい理由だけど、私が服を売りたい本当の理由は―――
この囚人服を早く手放したい。搭へ閉じ込められていた時に着ていた、囚人に等しい私の服。いくら綺麗に細工されていても、私にはそう見えた。この服を着ている限り私は搭へ縛り付けられたままだ。
私は、もう今までの私じゃない。
「……レティシア様がそう仰られるのであれば、私から申し上げることはありません」
ノエルは小さくため息を付くと話の続きを始めた。少々、私は意固地だったかもしれない。
「出立は明日にしましょう。身分が割れる恐れがありますし、あまりこの村に長居は出来ません」
「そうね……さっきのジルさんの事もあるし」
私は先程の出来事を思い出した。仕方のない事とはいえ、嘘をついたのは胸が痛む。それに、最初こそ殺されるかと思ったが彼はとても親切にしてくれた。
「幸い、王族だということは勘付かれていませんが油断は出来ません」
そう言ってノエルは地図を片付けて鞄に入れた。
「まだお昼過ぎですが、どうぞ寝室で体を休めてください。私は少し用事がありますので、外出しますが……くれぐれも、来客対応などされませんように」
「は、はい……」
彼の言葉と視線は痛烈に私に突き刺さった。また人と関わって変な事にならない為だろう。
釘を刺されたわね……いや、さっきのことを思えばごもっともですが。そもそも一触即発だったのはノエルの勘違いからなんだけど。
「それから、これからはもう少し一般国民に近い言葉遣いを心掛けましょう」
「つまり、村の人みたいな……うーん、親しみの持てる話し方かしら?」
「そうですね。語尾も気を付けましょう、村人はもう少し砕けた言い回しをしていたと思います。……が、それも徐々に頑張りましょう。染み付いた習慣というのは中々抜けないものですから。私も頑張ります」
ノエルは微笑むと扉に手を掛けた。こうして指導を受けていると、本当に先生と生徒のようで私は少し嬉しくなる。それは、ノエルとの距離が近くなった気がするからだ。
主と執事という壁が少しだけ小さくなった気になる。決して壊れる事のない、越える事もできない、搭の塀よりも高く頑強な身分の違い。
「はい、先生!」
「……それもやめましょうね」
彼は苦笑いをして扉を開けた。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
私は彼の背中を見送りながら手を振った。
扉が閉じると、物寂しくなった私は寝室で体を休めることにした。
「素敵な香りのお風呂に入って、おいしいものを食べて、お布団で寝る……こんな自堕落でいいのかしら。いえ、今はいいのよ。疲れたもの……」
備え付けの寝具に体を横たえると、軋んだ音を立てて木製の寝台が悲鳴をあげた。
寝室には、寝台と小さな机が一つずつ置かれているだけで簡素な室内だった。小さな窓はあるが硝子ではなく蔦が網状に編まれたものが掛けられ、板を横に滑らせると完全に閉じることが出来るようだった。
私は窓から滑り込む風を吸い込んで大きく深呼吸した。外から鳥や家畜達の鳴き声が聞こえてくる。
「気持ちいい……」
疲労感に包まれると共に瞼が重くなってきた。もう目を開けていられない。
今は何も考えずに、休もう―――
そう思うと同時に私の意識は遠退き柔らかな眠りの底へ落ちていった。
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