11食目 揺れる君の睫毛と心

 私達はジルと別れた後、殆ど無用な会話をせずに歩いた。私が呑気に村を探索し野菜を頬張っている間に、ノエルが村長との取引で一晩家を借りる事が出来たらしく、そこへ向かっていた。

 彼に案内されて向かった先は村の一角にある家だった。

 一見すると村民が住む家と同じような、木で出来た簡素な家だ。

 ノエルに案内されるまま中に入ると、明るい日差しが入り込んでいて綺麗に掃除も行き届き、清潔そうだ。広い居間と同じ空間に調理場があり寝泊まりできるように個室がいくつかあるのが見える。


「ここは村の集会所として利用されている場所ですが、一泊くらいなら利用してもいいそうです」

「そうなのね、ありがとう。ちゃんと寝台もあるし快適そうだわ」

「……私は、今宵もレティシア様があのような家畜小屋で過ごされることを想像すると、魂が引き裂かれる思いでした。あぁ、一安心です」

「か、家畜小屋……」


 私がいたら、ただの物置小屋も家畜小屋になるわね……。いや、ノエルは意図して言っているわけじゃないのだろうけど後ろ向きに考えてしまう……。


 彼の言葉に悪気はない、けれど私の傷ついた精神にはつらいものがあった。家畜や豚といった単語に敏感に反応してしまう。もちろん、彼はそのことを知る由もない。私は不自然に苦笑いをするしかなかった。


「ところで、他に取引した物は何?」

「はい。こちらの寝床の他に、食料と地図、衣類や傷薬などです。特にレティシア様の傷の手当てをしなければなりませんので、傷薬は多目に手に入れました」


 ノエルは中央の机に置かれた皮製の鞄から取引をした物資を取り出していく。干し肉などの携帯食料が一番多いが、その次に多いのは傷薬。小さな木製の筒がいくつも机に並んでいる。まさに、彼の心配性な性格を具現化したようだった。


「あー……傷薬だけ異様に多いわね。でも、傷のことなんて忘れてたくらいよ。大したことないわ、放っておけばそのうち治るわよ」


 黒影鷲コクヨウシュウの襲撃の際に怪我をした箇所に加えて、この村に来るまでに転んで擦り傷も出来ていた。些細な怪我だからすっかり忘れていたのだが。


「いけません! レティシア様の美しい肌を傷物にしておくなどあってはならぬことです!」


 ノエルに圧倒する勢いで否定され、そのいつになく強気な姿勢に私は言葉を詰まらせた。ここまで言われて治療をしないわけにはいかないだろう。


「わ、わかったわ……治療しましょう」

「かしこまりました。その前に、少し湯船で汚れを落とされてはいかがでしょう? 湯は準備してありますから、どうぞあちらへ」


 ノエルの表情が安心した顔つきに変わり、どうやら治療を容認されたことで落ち着いたようだ。奥へ促されて浴室を見ると、既に準備万端の様子だ。

 取引を終えてすぐに準備したのだろう。綺麗に畳まれた新しい衣服や体を拭く布が用意されていた。


「ありがとう、助かるわ」

「では、私は夕食の準備を致します。少々窮屈な湯船ではありますが、ゆっくりと体を暖めてください」


 そう言って彼は外へ向かってしまった。私は汚れた衣類や肌着、靴を脱ぐと浴室へ入った。

 木で出来た湯船と風呂桶、最低限の入浴設備だが不潔さは微塵も感じない。空中に湯煙がゆっくりと舞い、その中に仄かに香りがあることに気が付く。


「いい香り……これは何かしら? 湯に何か入ってるわ」


 私は湯に小さく束にされた草がいくつか浮かんでいるのを見つける。手に取りよく匂いを嗅いでみると、薬とよく似た香りだ。察するに薬草の類いと思われる。ノエルが気遣って入れたのだろう。爽やかさの中にも安らぎを感じる香りは私の肺を満たし脳に安息を与えてくれる。


「ノエルは本当に優しいのね。大事なお金を使ってこんなものまで……」


 私には薬草がいくらで取引されているのかわからない。でも、少なからず資金を削って用意してくれたことくらいはわかる。そして、彼が私を何よりも大切に気遣ってくれている事も痛いほど伝わる。

 私は体を洗い流すと湯船に浸かった。自然と息が漏れ、知らぬ間に心身に張り巡らされていた緊張の糸が緩んでいった。


「少し、傷に滲みるわね。あ、ここにも傷が……」


 私は湯船に浸かりながら今までのことを思い出す。


「色々、ありすぎたわね――」


 この短期間で初めて経験することがたくさん起こった。それは搭に閉じ籠っていては決して経験することのなかったものだ。

 搭の中での閉鎖的で平和な暮らしから一変、黒影鷲から突然の襲撃を受け、搭から追い出され、まだ肌寒い中で野宿をし、道なき道を歩き飢えと疲労に耐える。


 どれもこれも、思いもしなかったことばかり。いつまでも搭での暮らしが続いて、平和に、おいしいものに囲まれて一生過ごしていくものだと思ってた。

 ―――でも、もう戻れない。これから王都……城へ向かってそこで保護してもらうことになる。どういう扱いを受けるのか……私にはわからないけれど、いい待遇ではないでしょう。


「先行き不安だわ……。でも、今は進むしかない! そうよ、私にはノエルが一緒なのよ! 何にも怖くない!」


 それに、私は美しくなるって決めた。自分を変えたい、痩せて綺麗になって、周りを見返して、もっと美味しいものを思う存分食べたい!


 私は湯船から勢いよく立ち上がり、胸の前で握り拳を作って小窓から空を見上げた。

 綺麗な青空が見える小窓へ一羽の青い小鳥がやって来た。そのつぶらな瞳は決意の全裸を見下ろしチチチッと小さく鳴いた。





 お風呂から上がり準備してもらった新しい衣類を着て居間へ戻るとノエルが待っていた。私は先程の一人決意表明を聞かれたかもしれないと思うと恥ずかしくなってしまった。


「待たせたわね。ノエルも入ってきなさい、汚れも疲れも溜まっているでしょう?」

「お気遣い感謝致します。後程いただきます。お召し物の具合はいかがでしょう」

「えぇ、とてもいいわ。柔らかくて着心地もいいし、素朴な装いで素敵だわ」


 私は新しい服の裾を少しだけ上げて、揺らして見せた。薄青色に染められた衣がゆっくりと空気に踊る。


「新しい靴もいいわね、ぴったりの大きさよ。伸縮性にも優れていて丈夫そう。森を歩くには、今までの服と靴では大変だったから嬉しいわ」


 それにしても、この大きさの服と靴がこの村にあったことが驚きだわ。今までの私の服も特注だったはず、私と同じ体型の女性がいたとしか思えない。


「こちらの衣類は村長の奥方が昔、着ていらっしゃったものだそうです。今は必要ないとのことで譲っていただきました」


 私が疑問に思ったことを察したのかすぐに経緯を話してくれた。彼は私が言葉にしてしまったのかと思うほど察することに長けている。


「そうなのね、とても可愛いわ。今まで私が着ていたものとは趣向も違うし、新鮮な気分よ」

「それは良い事ですね。さぁレティシア様、傷の手当てを致しましょう。薬湯も効いているかもしれませんが、念のため傷薬も塗っておきましょう。どうぞ、こちらへ」


 ノエルに指示されるまま長椅子に腰をかける。木で出来た椅子の上に柔らかい藁を詰めたであろう布袋があったので快適だ。意外にチクチクしない。

 ノエルは荷物袋から傷薬の入った木製の入れ物を出し、中から粘性のある液体を手の平に広げた。


「あ、ノエル。これくらい私、自分です―――」


 言い掛けて、彼と目が合う。無表情の彼の視線から有無を言わさぬ圧力を感じ、私は大人しくすることにした。いや、それ以外選択肢はなかった。


「では、まず頬の傷から――」


 まだ癒えていない頬の傷。黒影鷲に付けられた傷だ。そこへ薬がついたノエルの指先が触れるとくすぐったい感覚と同時に痺れるような痛みが走った。


「いっ―――」

「申し訳ありません。しばし、我慢を……」


 薬を塗る遠慮がちな彼の指の動きは繊細で、まるで壊れそうな硝子玉に触れるようだった。


「……では、転んだ時の傷を見せてください。我慢なさって見せてくださらなかったので心配です」

「え、えぇ」


 怪我をしたことなんて言っていないのに、よく見てるわね。心配をかけないようにと思ったけれど、逆効果だったかしら。


 正直、転んだ傷なんて恥ずかしくて見せられるものではないが、何より恥ずかしいと思うのは怪我をした箇所だった。

 私は少しスカートを捲りあげた。膝とその少し上の太ももに切り傷が数ヵ所ある。木の幹かと思う程に太いこの足をノエルに見られるのが恥ずかしい。いや、彼でなくても誰であっても恥ずかしい。


 こんな醜い足、見られたくない……!


 ノエルがどう思うのか怖くて手当てから目を逸らす。……逸らす、が、手当てをする気配がない。


 ……どうしたのかしら?


 恐る恐るノエルの顔を見ると、無表情のまま石像の如く静止している。指先についた傷薬が床に一滴落ちた。


「ノエル? どうしたの、何か、その……問題が?」


 太い足だと思われているのか、あまりに醜悪で触れられないのか、私は不安に駆られたまま姿勢を維持するしかない。ノエルは足を見つめたまま動かない。


「―――申し訳ありません。すぐに薬を塗りますので……」


 彼の手は小刻みに震えていた。少しずつ傷口に塗られていくと少し膿んでいたのだろうか、脈打つように痛む。


「いたっ……」

「申し訳ありません! 痛くないように優しく致します!」


 彼は上擦った声で謝った。どうやら緊張しているようだ。彼らしくない。


「大丈夫よ、気にしないで」


 笑いかけるとノエルは安堵の表情を浮かべ、手際よく傷口に薬を塗り込んでいく。痛い、でも、くすぐったくて心地いい。


「……これで塗り終わりました。明日には随分よくなるはずです。今日は静かにお過ごしください」

「え? でも病気でもないし少しくらい外に出ても―――」

「駄目です」

「うっ……」


 厳しく言い切られ、私は黙るしかなかった。これではどちらが主人かわからない。

 もう少し村の様子を見てみたかったが、彼を怒らせるとどうなるかわからない。もちろん、彼が怒るのは私の為だと言うことは十分理解している。私は大人しく指示に従うことにした。


「では、お食事を用意しておりますので、夕食に致しましょう」

「すぐに!」


 食事ともなれば私は自分でも驚くほど嬉しくなった。私の腹の虫は、いつでもお腹を空かせて待っている気がする。お風呂上がりの香りでわかりにくかったが、美味しそうな匂いが部屋に漂っている。


「配膳、手伝うわ!」

「ありがとうございます。……では、あちらの竈で芋を焼いてますので並べてください」

「任せて!」


 ノエルが少し間を開けていたのが気になるが、それよりも今は食事だ。竈へ芋を取りに行く。

 近くの棚に並んでいた皿を取り出し、竈の蓋を開けると熱気と共に芳しい香りが顔を包み込んだ。

 芋の香草焼きだろう。じゅわじゅわと音を立てて焼かれる芋達を二股の調理器具で挟んで皿へ取り分けた。その間、ノエルが隣の鍋から煮込み料理を器に注いでいた。ごろごろとした具材が滝のように落ちる様に、私は唾を飲み込んだ。


「美味しそう……早く食べましょう!」

「レティシア様、そんなに急がれてはお怪我をなさいますよ」


 私は急いで配膳をしていく。散らかった荷物を片付け、あっという間に卓上には美味しそうな料理が並んだ。


「さぁ、ノエルも座って! 待ちきれないわ!」


 ノエルは少し躊躇していたが私の正面に座った。


「……申し訳ありません。レティシア様と食卓を囲むなど―――」


 主人と執事が食卓を囲むことは通常あり得ない。どうやら彼はそんな些細なことを気にしているようだ。


「いいのよ、一緒に食べたほうが美味しいでしょ?」


 私が微笑むと安堵したように彼も微笑んだ。私は少しだけ胸の奥が揺れた気がした。少し幼くも見えるその表情に戸惑ったが平静を装う。


「冷めないうちにいただきましょう! いただきます!」


 私は芋の香草焼きを一口頬張った。温かい芋が口の中でほろほろと崩れ、塗られていた動物性油脂と共に滑らかに喉を通っていく。同時に、鼻と胃は香ばしく爽やかな香草の強い香りで満たされる。


「美味しい―――」


 私は天を仰ぎ目を瞑る。


 あぁ、神様。こんなにおいしい食事をありがとうございます。いや、作ったのは神様じゃなくてノエルだけど。あぁ、生きてるって素晴らしい!


「ありがとうございます。未熟な腕前とは存じますが、お口に合って何よりです」

「ノエルは本当に料理が上手ね、将来は素敵な旦那様になるわ!」


 なんて、男性に言う言葉ではないわね。そもそも、素敵な旦那様、ではなく世界一の執事とかそう言うのが正しいのだけど。

 まぁ、直感で思ってしまったのだから仕方ない。


「そ、そうですか……」


 ノエルは居心地が悪そうに視線を下に向けてしまった。長い睫毛が瞬きの度に揺れている。


「この煮込み料理も美味しそうね。いただきます!」


 少々罪悪感を感じながら、今度は煮込み料理を口にする。肉と野菜が入って少しとろみがある。簡素な味付けだがしっかりと素材の旨味が出ていて短時間で作ったとは思えない。何か薬草でも入っているのかじんじんと体が芯から暖まる。


「ほ、ほいしぃ……」


 頬が落ちそうとはこういうことだろう。頬張りながら、実際落ちていないか手を当てて確認してみる。


 あ、大丈夫、ぽってりとした頬が付いているわ。


 私はひたすら食べた。生野菜もあって実に健康的、きっと私の体に配慮してくれたのだろう。私が痩せたいと思う気持ちを大切にしてくれているのだと感じる。

 思わずじっと正面の彼を見つめると、目が合いにっこりと笑いかけてくれた。彼も同じように食事を取ってくれていることが嬉しかった。


 やっぱり、一緒に食べるって幸せね。


 私は心の中で祈る。

 どうかこれからもノエルが共に食事をしてくれますようにと。

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