10食目 役立たずの豚は

 ジルに連れられて彼の家までやって来た。腕を引っ張られるまま家の中に放り込まれ扉が勢いよく閉まった。


「ジルさん、ちょうどいいってどういうことですか? 何をするんですか?」


 ジルは私の問い掛けに答えることなく野菜の篭を玄関脇へ置くと、家中の窓を次々に閉め始めた。あっという間に部屋は暗くなり朝だというのに周りがほとんど見えなくなった。

 私は暗闇に包まれると一抹の不安を覚えた。


 私を貴族の娘と思っているからまさか身代金要求? 誘拐? もしかすると家畜の餌にされるかも!? その前にノエルが来て助けてくれると思うけど絶対怒られる……どちらに転んでも嫌だわ!


 もやもやと悪い方へ考えを巡らせていると暖炉に火が灯った。それに伴って彼の家の全貌が明らかになってきた。

 彼の家は実に簡素だった。中央にテーブル、左壁面に暖炉、右側は扉のない部屋が隣接しベッドが置かれているのが見える。

 そして正面にあるのは大きな厨房。作業台や保存瓶が大量に置かれた収納棚もある。少し散らかっている所が彼の性格を表しているようだった。


「これでよし。誰かに見られると面倒だからな……おい、こっち来いよ」


 ジルは手提げの照明にも火をつけて私を厨房の方へ呼んだ。二人の影がゆらゆらと部屋に伸びて踊っているようにも見え、不気味さを感じずにはいられなかった。私は恐る恐る近づいて尋ねる。


「あ、あの、どういうご用件なのでしょうか? 出来れば教えていただきたいのですが……」

「ここは俺の厨房だ。色々実験をしてるんだ」

「実験?」


 実験という不穏な単語にごくりと唾を飲み込む。以前、創作小説を読んだ時のことが脳裏を過る。その内容とは、とある田舎の魔術師が不死身の人間を作る為に何人もの女性達の命を奪うという恐ろしいものだ。

 小説の内容そのものは怖いが、最後は美しい幕引きとなったので嫌いな物語ではなかった。


 ここは現実で創作小説じゃない。身の危険を感じたらすぐに逃げなくちゃ。


 そう思い身構えると、彼の口から平和の権化と言える言葉が飛び出した。


「そう、ここであんたと実験をしたい。……その……菓子作りの」


 ジルは口の中でもごもごと言葉を濁しながら言った。思いも寄らない言葉が出てきて呆気に取られる。


「お菓子、作り……?」


 どうやら私は命を取られることはないようだ。張りつめた緊張の糸が一気に緩んでいく。


「何だよ! 俺みたいな田舎もんが菓子を作るのがそんなに変かよ!?」

「ち、違います! 私、てっきりあなたに誘拐されたか家畜の餌にされるかと思ってただけで―――!」

「それも勘に障るぜ。まっ、村の奴等みたいに、あんたは馬鹿にしないだけマシだけどな。つーか、勘違いも甚だしいだろ」


 ジルは心外そうにぶつぶつと文句を言っているが、それは些細なこと。私は命が助かったことに喜んでばかりはいられなかった。

 そう、聞き捨てならない言葉が沸いてきたのだから。


「それよりも、お菓子を作るって何を作るのですか!?」


 私が食い気味に尋ねるとジルは少したじろいだ。


「あー……えっと、家畜から取った乳がこれで、この砂糖と小麦や卵で作った生地を合わせて焼くんだ。加減が難しいから、何度か試してる」


 棚からいくつかの瓶を取り出して、私に見せてくれる。小麦も砂糖も搭で見たことがあったが、品質は大体同じように見える。

 私は搭で摘まみ食いをしている時の事を思い出し、懐かしい気持ちになった。


「焼き菓子ですね、おいしそうです。何か果実を一緒に混ぜるともっと美味しそうですね!」


 ジルは棚から出したぷよぷよとした白い固まりや砂糖を睨みながら悩んでいる。


「果実か……焼いた生地と果実、うーん……じゃあこれとこれを合わせて……」


 棚から乾燥した黒い粒状の乾燥果実が入った瓶を取り出して、作業台に並べる。


 材料だけでも美味しそう……一つくれたりしないかしら?


「よし、やってみるか。あんたも手伝ってくれよ、出来上がったら一緒に試食会だ」

「是非!」


 また食い気味に返事をすると、ジルは意地悪そうに口角をあげて笑った。


「よしよし、いい子だ。優秀な助手ができて俺も嬉しいぜ。さっそくだが、竈に火をつけてくれ。暖炉じゃ焼けないからな」

「はい!」


 いい子、なんて言われて少し嬉しくなってしまった。いつも誰かに迷惑を掛けるばかりで何も出来なかった―――いや、しなかった自分が恥ずかしいと思った。同時に、役に立てるという事がこんな暖かくて嬉しい気持ちになるなんて思わなかった。


 誰かの助けになれるって、とっても嬉しい―――


 そんな思いの最中、竈の暗い穴を見つめて動きを止める。近くには木材や黒い石の様な物がいくつか置いてあるが、火種のような物はない。


「あのージルさん?」

「ん? どうした」


 材料を混ぜ合わせる彼の背中に向かって遠慮気味に一言。


「竈って、どうやって火をつけるんでしょうか?」

「……は?」


 彼にとっては当たり前にできる日常の動作は、私には今までの人生で一度も経験がないことだった。

 ジルは無言で私を見つめ、何かに気が付いたように言う。


「そうか、お嬢様だったんだな。全然そんな感じしないから忘れてたぜ……」

「ほ、褒めてるんですか?」

「そう思いたかったらそうしろ。ほら、そこに木材があるだろ、それに向かって魔力を込めれば火がつく。着火材が塗ってあるから少しだけでいいぞ」


 私は指定された木材を見つめる。黒いものが付着した木材は私に魔力を込められるのを静かに待っている。


「……すみません。魔法、使えないんです」

「……は?」


 またもやジルが呆気にとられて声をあげる。


「お前、魔法が使えねぇのにそんな身なりしてんのか?」


 ジルが不審そうに或いは不安にも似た表情で私を見る。上から下まで観察されているようで困惑する。


「魔法は、皆さん使えるんですか?」

「まぁ、大抵の人間は大なり小なり魔力を持っててそれを生活に利用してる。全く魔力のない人間なんて見たことがないな。お前よっぽどだぞ」

「余程のことなんですね……」


 私はノエルから様々なことを学んできた。いや、学んできたつもりだった。

 生活のことはからっきし、すべて使用人達がやっていたから何も知らない。美味しい料理やお菓子を作ってくれる竈に火をつけることさえも。


「魔法が使えないって、零ってことだろ? そんな奴存在したんだな」


 どうやら魔力のない人間が存在することすらあり得ないようだ。

 それも私は知らない。世の中のことを知らないのだ、私は。


「……役に立てなくてごめんなさい……」

「謝るなよ。火ぐらい、つける方法はいくらでもあんだろ」


 ジルは手に持った器を作業台に置くと雑に言い放ち、打ち石を使って早々に火をつけてしまった。その光景は私の胸に刃物でつつくような小さな痛みを走らせた。


 役に立てなかったなぁ……。


 下を向いて落ち込んでいると、ジルは大きな溜め息を漏らし、私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。


「めんどくせぇことは嫌いなんだよ、俺は。出来ねぇことをくよくよ考えるんじゃねぇよ、鬱陶しい」


 彼はそう言ってそっぽを向いたまま、私の頭を乱雑に撫でる。私はそんな彼を間近に見上げるが決して目を合わせてくれない。

 随分昔にも、こうして誰かに頭を撫でられたような気がした。その時はもっと優しく撫でて貰ったと思うが、誰に、どうして撫でられたのか思い出せない。ただそういうことがあったという事実だけが薄くぼんやりと煙に包まれたように脳裏に浮かんだ。


 言葉と行動が真逆のような気がするけれど……彼なりの励ましなのかしら? 言葉こそ乱暴だけど、優しいのね。


「ありがとう、ジルさん」


 彼の言葉に私は気持ちが軽くなった。自然と笑みが溢れる。一瞬だけ彼と目が合ったその瞬間、部屋の中に光が入り込む。家の扉が開けられたのだ。


「レティシア様!」


 光の向こう側、外から大きな声で名前を呼ばれたと思った瞬間誰かに抱き抱えられ声を出す間もなく外に連れ出された。

 突然眩しい太陽光を浴びてくらくらした。


「うっ……あれ? ノエル?」

「ご無事ですか? 遅くなり申し訳ありません。このノエル、一生を掛けてこの罪償います」


 ノエルは私を抱いて訳のわからないことを言っている。走って来たのだろうか、息が乱れてじっとりと汗をかいている。


 罪って言ってるけれど、何の事かしら?


「……レティシア様を誘拐した暴漢は貴様か、どうやら命が惜しくないらしい」


 ノエルは怒っている。いや、激怒している。空気を震わせる程の低い声色、細められた眼孔、言葉の鋭さ、すべてがいつもの穏やかな彼とは思えないものだった。どうやら、ジルが私を誘拐したと思い込んでいるようだ。


「は? 何勘違いしてんだ、あんた。俺は手伝いをしてもらってただけだ。言い掛かりは止めろ」


 ジルも言い掛かりをつけられて機嫌が悪そうだ。空気が一気に重たくなる。

 二人は睨み合い、ノエルは私を守るように抱いたままだが今にも飛びかかりそうだ。


「ノエル! 本当に違うのよ! 少し実験に付き合ってくれと言われただけで―――」

「実験? 私のレティシア様をどんな拷問実験に利用するつもりだったか知りませんが、どちらにしても許されることではありません。すぐに処分を―――」


 ノエルは片腕で私を支え、反対側の手を腰に伸ばした。そこに小さい刃を隠しているのを私は知っている。

 慌てて手を制止して説明をする。


「ノエル、ジルさんは私に美味しい野菜をくれたの! 素敵なお菓子作りの手伝いもさせてくれたの! さっきだって私が魔法を使えないから代わりに火をつけてくれて、私が落ち込んで……それで励ましてくれたのよ!」


 支離滅裂……でも、彼を傷つけたくない。


「誰かが悪いと言うなら、私が全部悪いのよ! だから―――」


 必死だった。彼を止められるのは私だけ、ノエルが傷つけようとしているのはとても優しい青年だ。


 勘違いで誰かが無用に傷つくなんてそんな悲しい事……あってはならない。


「ノエル……お願い。落ち着いて」


 ノエルは静かに息を吐くと刃に添えられた手を下ろした。


「レティシア様、貴方は悪くなどありません。私が目を放した結果、危険な目に合わせてしまったのです。貴方に罪など微塵もございません」


 ノエルはいつもの穏やかな表情に戻っていた。誤解は解けたようだ。私はこれで一安心だと心の中で胸を撫で下ろした。


「……あんたら、先生と生徒じゃなかったのか? まるでご主人様と執事、いや下僕って感じだな」


 ジルが呆れた調子で言い、鼻で笑う。


「……あ」

「あっ、って。もう少し取り繕えよ、認めてるようなもんだぞ……」


 付け焼き刃の設定には無理があったようだった。呆気なく見破られてしまった。ノエルを見上げると無表情だったが、内心困っているように感じた。私にしかわからない些細な変化だった。


 嘘をついてしまったこと、ジルさんに謝らないと。


「……ジルさん、私達は確かに先生と生徒ではありません。嘘をついてしまってごめんなさい。でも、貴方やこの村を危険に晒すような者ではありません。私達は―――」


 ノエルが困っているのは私のせいだ。私が勝手な行動をしたせいで心配をかけて、嘘も気付かれてしまった。なんとかしなくては。


 しかし、ジルは説明しようとする私の言葉を面倒くさそうに遮る。


「別に俺は、あんたらの関係なんてどうでもいい。ただの余所者だろうがよ。嘘だとかなんとかとか、友達でもねぇのに一々気にすんじゃねぇ。……下僕執事様が迎えに来たんだ、とっとと行けよ。お嬢様」


 乱暴な言い回しをする彼が不機嫌なのは手に取るようにわかった。これ以上言葉は受け付けないだろう。


「……ジルさん、ごめんなさい」


 そう言って私はノエルに目配せをしてこの場に背を向けた。ノエルも無言でついてくる。もう彼と一緒に何かをすることがないと思うと役に立てなかったことが余計に胸に突き刺さって痛んだ。

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