9食目 赤い実、弾けて

 翌朝、目が覚めるとノエルは既に起きて私の側に座っていた。納屋の小窓から空を見上げてぼんやりとしている。


「おはようノエル、今朝も早いのね。昨夜はよく眠れたかしら?」


 私が声をかけるとハッとしたようにこちらを見た。少し顔色が悪そうだ。

 一方の私は申し訳ないほどの爽やかな目覚めだった。


「おはようございます、レティシア様」

「大丈夫? やっぱり狭いからきちんと眠れなかったかしら……」


 寝床も快適とは言い難いし、少し肌寒い夜だった。今朝も昨日ほどではないが空気がひんやりとしていて、体調を崩してしまうのは容易に想像できる。


「ご心配には及びません、少し考え事をしていただけです」

「考え事……? あっ、そうよね! これから取引があるものね! 商人の血が騒ぐわね!」


 私はノエルに親指を立ててにっこりと笑う。


 たしか、以前読んだことのある小説で出てきた元気が出るおまじない、だったと思う。少し前に読んだものだから記憶が曖昧だけど。


「私は商人ではないので血は騒ぎませんが……色々とありまして」

「色々……?」


 寝ている間に何かあったのかしら。よくわからないわね。


 ノエルは含みを持たせた言い方をして少し咳払いをすると衣服に着いた藁を払った。


「それでは、私は村長のところへ行ってきます。レティシア様は村をご見学なさってください」

「大変なことを任せてしまうけれど、お願いね。期待しているわ」


 ノエルが納屋から出ると、辺りは閑寂な空間となった。


「さっきの元気が出るおまじない、効果なかったわね」


 親指を見つめて、ため息をつく。

 私は魔法が使えない。いくらノエルから理論や起源、実践を学んだところですべて無駄だった。彼の努力を否定するつもりはないが、どうにも私には魔法の才能がないのだ。体術も武術も馬術も、何もかもが出来ない。

 唯一できるのは勉学と食べることだけ。いや勉学だってそこそこの知性であって優秀とは言えない。


 ―――私は出来損ないだ。


 私は納屋から出た。こんな空気が美味しくなくて薄暗い場所にいては益々気持ちが滅入ってしまう。


 少しでも前を向かないと。頑張ってくれてるノエルに顔向けできないわ。


 外に出ると眩しくて思わず目を細めた。青く澄んだ空から太陽の日差しが降り注ぎ、爽やかで清らかな空気が満ちていた。

 納屋から少し歩いてみると、田畑と牧場がいくつか見え、そこで人々は土の手入れや収穫をしたり家畜の世話をしていた。

 皆、私に目を向けることなく自分の仕事に取り組んでいた。私は初めて村人……自国の民の営みを見た。汗を流して農具で土を耕し整え、綿毛や野菜を収穫し、家畜達の世話をし体調を管理する。それぞれ日々の生きる糧を得るため必死なのだ。

 その姿に私は美しいという感情を覚えた。


「皆、頑張っているのね。私も頑張らなくっちゃ!」


 近くの柵越しにいる小さな子羊を見つめて、右手で握りこぶしを作ると子羊は小さく鳴いて母親と思われる羊の元へ走り去っていった。


「おい、あんた」


 背後から声を掛けられ、振り向くとジルが 立っていた。瑞々しい野菜がたくさん入った篭を抱えている。


 ジルさんだわ! どうしよう、とりあえず挨拶しておけばいいかしら?


「ジルさん、おはようございます」


  平静を装ってはいるものの、人と話すことに慣れていない私は心臓が飛び出しそうだった。


「こんなところで何してんだよ。うちの羊は食い物じゃねぇぞ」

「ご、ごめんなさい。可愛い羊がいたので、つい……」


 私は苦笑いをした。ジルさんからすると私は羊に涎を垂らす猛獣のように見えたのだろう。そういえば、今日は朝食を食べていない。昨晩の食料が最後、今ノエルが取引してくれてるはずだから食事はその後になる。

 まだ食事が先だと思うと一気に空腹が襲ってくる。

 たまらず私の胃袋が悲鳴をあげた。


「あぁ……」


 羊を食べるつもりなんて毛頭なかったのに、これでは説得力の欠片もないわね。


 ふと、ジルの持っている野菜を見る。瑞々しく鮮やかに色づいた野菜達はお腹の減った私にとって宝石のように光輝いて見えた。まるで獲物を見つけた野獣の如く釘付けになる。


「はぁ……何だよ。やっぱり腹が減ってるんじゃねぇか。ほら、これは今が旬だぞ」


 ぶっきらぼうに言い放つと赤い野菜を一つ投げて寄越した。


「あっ!」


 私は投げられた赤い野菜を落としそうになったがなんとか受け止めた。


「よ、よろしいのですか?」

「いいから食えよ。別に、他にもいっぱい実ってんだ」


 不機嫌そうな顔をしてジルは視線を合わせない。戸惑っていると、今度は鋭く睨み付けてくる。


 こ、怖い! 早く頂こう!


「い、いただきます!」


 私は赤い艶やかな丸い野菜を一齧りした。瞬く間に口のなかは程良い酸味と爽やかな甘味で満たされ、旨味を閉じ込めた水分が溢れだして喉もお腹も潤していく。


「お……おっ……」


 体が震えて、声が出ない。官能的なまでに神経を奮い立たせる味。人はこれを何と言う?


「は? 何なんだよ、言いたいことがあるなら―――」

「おいしいぃぃぃーー!!」


 私は叫んだ。今まで生きてきてこんなに素晴らしい野菜に出会ったことがない。どちらかと言えば、私は肉食派だったがこれはそれを覆す程の美味だ。


「うわぁ! 脅かすなよ! いきなり何だ―――」

「これは何でしょう!? いや野菜というのはわかるのですがあまりにも美味しくて! こんなおいしい野菜食べたことありません! あぁそうだ! これはトムトですよね? 丸齧りをしたのは初めてで私の今まで食べたトムトの中で一番おいしいです! いやこれは世界一です! すごい、こんな素晴らしいものを作るなんて貴方は天才ですねジルさん! あ、もう一個くださいね!」


 私は興奮しながら捲し立て、彼の抱える篭からもう一つトムトの実をとって齧りつく。両手にトムトを握り締め私は無我夢中で食べた。

 口いっぱいに頬張ったところで我に返りジルを見ると、彼は目を見開いて唖然としている。

 私は心臓がバクバクと鳴るのを聞きながら焦った。


 どどどどうしよう……空腹は最高の香辛料というけれどあまりの美味しさに我を忘れてしまったわ! しかも二個目も奪い取ってしまったわ! これでは強盗じゃない!


「あ、あの……ジルさん―――」


 言い訳も思い付かぬまま話しかけようとすると、ジルが肩を震わせているのに気がつく。


 お、怒ってる!


 そう思ったが、その予想は呆気なく覆る。


「くっ……はははっあははははは!」


 彼は突如、弾けたように笑いだした。


 え? どうして笑うの? まさか豚のように食べていたなとかそんな感じで罵られるのかしら!?


 一頻り笑うと、息を整えて彼が口を開く。


「いや、悪かったな急に笑っちまって。あんまり旨そうに食べるからつい……」

「ぶ、豚みたい、でしょうか……?」


 恐る恐る尋ねると、彼は首を横に降って無言で否定をした。


「あんたさ、どっかのお嬢様だろ? 最初見た時、裕福な食事で丸々と肥えてるんだと思ったし腹が立ったんだよな、実は」

「へ、へぇ……」

「実際、いいもん着てるし言葉遣いも村の女とは違う。貴族かどっかのお嬢様、そうだろ?」


 彼の観察眼は中々鋭い、どうだと自信有り気な顔をしているが的を得ている。


「そ、そうですね。ちょっと田舎の貴族、です……」


 本当は貴族じゃなくて王族なんだけれど、それは言わない約束だもの。ノエルに怒られちゃうわ。


「やっぱりな! 俺は貴族は嫌いだが、あんたは気に入ったよ。俺の作った野菜、美味しいって言ってくれたんだ。嬉しいよ」


 ジルは今までの仏頂面で無愛想で不機嫌な表情から一転して、無邪気な青年の顔を見せてくれた。


 なんだ、結構いい人なのね。明るくて素敵な笑顔だわ。


 視線が鋭く見えるのは元々そういう顔の造形のようだが、私への嫌悪がそれに拍車を掛けていたようだ。


「そうだ、少し時間があるなら俺の家までちょっと付き合ってくれよ。あんたなら、ちょうどいい」


 そう言ってジルは抱えていた大きな篭を片手で持つと私の腕を掴んで引っ張って歩きだした。

 農作業と狩りで鍛えられた男の腕は筋肉質だ。私のような脂肪分たっぷり筋肉無しの女には振りほどく術はない。


「え? ちょ、ちょっと待ってください! 待ってくださいー!」


 私はこけそうなほど粗っぽく連れられ、ジルの家への道を辿った。

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