8食目 鈍感な二人

 私達が村に到着すると既に夕暮れが迫っていたが、日の出ている内に到着できたのは幸運だった。矢を放ってしまった男性が詫びにと空いている納屋を貸してくれることになったが、それが善意からかノエルの脅し……もとい話し合いの結果かはわからない。しかし、今の私達には願ってもないことだった。


「それじゃ、あんたらはここを使ってくれ。物置きだからそこまで綺麗じゃねぇけど外で寝るよりマシだろ」


 そう素っ気なく言ったのは矢を放った男性、名前をジルというらしい。らしい、というのは一緒にいた村人達がそう言っているのを聞いただけで本人から直接名乗られたわけではないからだ。夕陽のような強い黄赤色の髪と、同色だがより濃い色味の瞳が印象的だ。眼光も鋭く私達を一切寄せ付けない雰囲気を帯びている。


「ありがとうございます、ジルさん。とても助かります!」


 お礼を言うと、ジルは舌打ちをして去って行った。村への道中、彼らと話しをしていた中で様々な情報を得た。

 塔に幽閉されていた私は外部の人間と話すのは初めてで上手く話せなかったが、ノエルは話しが上手く良好な人間関係を構築していった。

 この村は私がいた塔からは随分離れているらしい。塔と村の間には大きな森が広がり、村人達は境界の森と呼んでいるらしい。この森を越えることは昔から禁忌とされており、これを破ったものは精霊の呪いが降り掛かると言われている。

 私達が森にいたのは迷子になったためということになっていて、そして、私達はとある設定を演じていた。


「レティシア様、お疲れでしょう? こちらで食事を致しましょう」

「は、はひ!」


 思わず声が裏返ってしまった。

 馬での移動中、ノエルが私を呼び捨てにして教師と生徒だと言って紹介したのを思い出す。今まで誰にも呼び捨てにされたことなどなかったため親しい間柄とかそういうものに免疫がない。既にいつもの口調に戻っているが、未だ緊張気味だ。


「な、何だか慣れないわね、ノエルが先生で私が生徒……」

「そうでしょうか? 適切な配役だと思うのですが……不快な思いをしたのなら申し訳ありませんでした。もっと別の……兄妹等の設定が良いでしょうか?」


 ノエルは少し唸りながら顎に手を添えて考えている。

 適切な配役、というのは確かにそうなのだ。私は塔でノエルから歴史や魔法学、体術や乗馬等の多岐にわたる勉学を習っていた。彼が先生で私が生徒、本来の上下関係は私が主人で彼が執事なのだが今は王族という身分を隠しているため一般的には彼のほうが立場は上。当然、敬語は使わないし呼び捨てだ。

 この納屋に到着するまでの村人の前では、配役通り演じてはいたが終始心臓が踊り狂っていた。


「仕方ないわよ、こんな状況だし身分は明かせないわ。先生と生徒が王都へ向かう、という理由も不自然じゃないわ。王都には大きな魔法学校があるんでしょ?」

「そうですね。しかし、何の打ち合わせもなくこのような事態になりましたこと、お許しください」


 ノエルは地面に膝を付き深々と頭を垂れた。私はそっとその顔を両手で包んで上を向くように促した。彼の頬は思っているよりも温かかった。


「いいのよ。ノエルがいなかったら今頃、私は生きていなかったわ。だから、上を向いてもっと自分に自信と誇りを持ちなさい」


 微笑むとノエルは泣きそうな顔をして私を見上げた。捨てられた小動物のような姿に私は悲哀を感じずにはいられなかった。


「あぁレティシア様……貴方様はいつでも慈愛と慈悲に満ちた素晴らしいお方です。この身が朽ち果てるその時まで貴方様のお側にお仕えすることをどうかお許しください」


 ノエルは添えられた私の手をとり、愛しそうに握り返す。私は何だか恥ずかしいような気持ちになりその手を優しく振りほどいた。


 何かしら、胸の辺りが少しくすぐったい……。


 ノエルは時々私に痛いほどの敬愛を向けることがある。いくら主従関係とはいっても、ここまで盲目的に慕われると怖くなる。が、悪い気持ちではない。


「ノエル、もう食事にしない? お腹空いちゃったわ」


 私が照れ臭い気持ちを誤魔化しつつ言うと、彼はちょっと名残惜しそうに私の手を見つめた後立ち上がった。


「では、食事に致しましょう。明日は村人と物資取引をするのでレティシア様はゆっくりと村を見物なされてはいかがですか?」


 確かに、私が塔から出たのは初めてのことだし色々面白いものが見つけられそうだ。


「そうね! とっても楽しそう! 早く明日にならないかしら!」

「ふふふ。レティシア様が元気でおられてこのノエル、至極の幸福です」


 そう言って鞄から先日と同じ非常食を出してくれた。甘くてサクサクな乾燥パン、乾燥果実、どれも豪華とは言いがたいがとても美味しい。暖かい料理も大好きだがこうして二人で囲むささやかな食卓が私は大好きだ。


 これからもたくさんこんな時間があるといいな。


 納屋は少しすきま風が入り込むが、そんなことは気にならないほど気持ちは暖かい。

 しかし、問題はすぐにやってきた。食事を終えて寝床を整えることを考えた時だ。すっかり太陽が落ちて納屋の中は月明かりがぼんやりと照らす。

 この納屋は大きくはなく、農具や藁がいくつか置いてあった。藁は家畜用の餌だろうか、少しごわごわしているが地面に寝るより寝床として機能しそうだ。当然、寝る場所は藁の上ということになる。


「ノエル、ここで寝るのよね?」

「そうですね。ここが一番寝床として適しているかと」

「そうよね……」


 私達は困惑しながら藁を見つめていた。藁の範囲は大人二人がギリギリ寝られるだろう大きさ。しかし私は体の横幅が普通の女性二人分くらいある。

 藁の寝床を見つめつつ、私の脳内では小さな混乱が巻き起こっていた。


 ここで寝るしかないのはわかるけど、ここで寝るってことは私とノエルが並んで寝るってことよ! 添い寝ってことになるのよレティシア! 婚前の王女いや女性がそんなはしたないことをするなんて……あぁぁぁどうすればいいの!?


 息が乱れ、心臓の音が耳に響く。こんなに混乱したのは初めてかもしれない。そして男性と添い寝するなんてことも初めてだ。


「レティシア様、私は納屋の入り口で寝ますのでこちらはどうぞお使いください」


 ノエルはさも当然と言わんばかりに入り口に向かおうとする。彼は添い寝など微塵も考えていないのだ。恥ずかしいことに私一人が混乱していたようだ。

 だが、私は背を向け一歩踏み出した彼の腕を考えるよりも先に掴んでいた。


 どどどどうしよう思わず掴んでしまった……!


「……レティシア様? どうかなさいましたか?」


 ノエルが腕を掴まれて困惑してる……困らせたくない。でも、彼だって地面に寝るのは体に堪えるはず。


 仕方ないことなのよ。これは合理的に考えて、そうした方がいいのよ。私の望んでいることではないわ。


「こ、ここで寝て。一緒に」

「しかし―――」


 私は緊張して震える唇を必死に動かした。


「貴方も疲れてるでしょう? 私のためにも、体をしっかり休めて。ほら、私はこっちに寄るし幅は確保できるわ!」


 別に何かあるわけではない、男女の関係になるわけではない。ただ、彼に休んで欲しいだけ。ここまで連れ出してくれた彼の体も心も疲れきっているはずだ。


「―――ご命令とあらばお側で休ませていただきます」


 案外あっさりとノエルは私の指示に従ってくれた。


 主人の側で寝ることに羞恥などあってはならないけど、もう少し恥ずかしそうにしてくれてもいいのに。


 私は悶々としながら静かに藁に体を預けた。藁から体がはみ出していて均整が取りにくい。ノエルも隣に横たわると小さく息を漏らした。


 やっぱり、すごく疲れていたんだわ。一緒に寝て良かった。


 私は先程の緊張や恥ずかしさが嘘のように消えていくのを感じ、安堵の中、意識を静かに夜へと落とす。

 朧気な意識の中で、隣にいる彼が身を捩ったのを感じた。


 あぁ、やっぱり狭かったかな……ごめんなさい。きっと痩せるから待っててね―――


 眠りにつく瞬間、私の前髪が少しだけ何かに撫で付けられたような気がした。その感触を最後に意識は朝へと旅立っていく。

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