6食目 傍らの幸せ

 一瞬の暗い闇の中を漂った後、太陽光が瞼を擽り目を覚ました。決して目覚めのいい朝ではなかったが、もう一度朝日をこの目で見られることを嬉しく思い、安堵した。


「うぅ……体が痛い……」


 一晩固い石の上に眠っていたせいで体に負担がかかったようだ。私くらいの重量になれば尚更堪える。

 起き上がると、寝る前にいたはずのノエルが姿を消していた。


「ノエル? どこ?」


 私は一気に不安の波が押し寄せるのを感じた。この洞窟は深くはなく、すぐに行き止まりだ。中にいないのなら、外しかない。

 私は恐る恐る洞窟の外へ踏み出した。まだ日の出直後で森の中は冷たい空気に覆われている。

 草木が風に揺られてざわめいて、まるで侵入者を拒んでいるようだった。


「ノエル! どこなの!」


 近くにいれば聞こえるはず……と思ったが、返事はなくこだますら返らない。


「どうしよう……迂闊に動いて迷子になっても困るし、洞窟に戻って待っていたほうがいいわね」


 洞窟は昨晩ノエルが魔方陣で外から見えないようにしていて、一見するとただの岩壁だ。私は場所も知っているしすぐ入れると思い、入り口があるであろう岩壁に手を添えてみる。


「……固い、これは岩だわ。こっちだったかしら」


 別の岩壁に手を当ててみる。が、手は岩壁をすり抜けることなく、冷たく固い感触だけが伝わってくる。


「こっちも違う……あれ? あれ?」


 手当たり次第に手を当てて空間を探してみるが、どこもかしこも岩の感触しかしない。


 し、閉め出されたー!


 私はがっくりと座り込んだ。岩壁は無慈悲にも黙り混んだまま私を見下ろしている。


「ノエル、きっと帰ってくるわよね……どこに行ったのかわからないけれど……。それまでここで待っていたらいいのよ。きっと大丈夫、大丈夫!」


 自分を鼓舞するも、静かな森の中でそれを維持するのは容易ではない。まだ時刻は明け方で陽の光りが射す場所は僅かだ、森の隙間から暗闇が覗いている。


「こんなことになるなら、食事しておくべきだったわ。奥にあったと思うし……」


 飢えはこの世界で一番嫌いなものだ。どんな時も、お腹いっぱいなら幸せでどんなことにも立ち向かう勇気をくれる。

 けれど、今の私にはそれがない。飢えを忘れるほど憔悴していたし動揺していた。


「ノエル、早く戻ってきて―――」


 閑寂な森は徐々に私の精神を支配していく。こんなに彼を頼りにしていたとは自分でも思わなかった。何気ない日々は彼によって保たれ、支えられていたのだろうと今になって思う。暖かい日差しの中、午後のお茶会に来てくれるのは彼だけで、他には誰もいなかった。


 お腹すいた……寂しい……。


 どれくらい時間が経っただろうか。膝を抱えて寒さに耐えて待つ間に体はすっかり冷えきってしまった。


「―――レティシア様!」


 ぼんやりとし始めた意識を聞き慣れた声が現実へ引き戻してくれた。


「ノエル……」

「お待たせして申し訳ありません、お目覚めの前に戻る予定だったのですが……あぁこんなにお体が冷えてしまって。申し訳ありません」


 ノエルは何度も謝罪を繰り返して、私の大きな体を抱き締めた。とても暖かくて眠くなる―――


 って、眠くなってどうするの!


「ななな、何してるの!? 大丈夫だから離しなさい!」


 ぼんやりしすぎて抱き締められている事実を理解するのに時間がかかった。家族のように思ってきたとはいえ男性だ、抱き締められるという行為は恥ずかしくなるには十分すぎた。

 両手を振って暴れるとノエルは素直に私から離れてくれた。


「失礼しました。風邪を引かれては大変だと思いましたので……それより、昨晩の襲撃に関してですが―――」


 ノエルは今の出来事がなかったかのように話し始めた。こちらとしてはもう少し気にしてもらいたいところだったが、彼にしてみれば道端の塵の如く気に止めることではない様子だ。


 ……もしかして天然なの?


「レティシア様が寝ておられる間に、塔へ偵察に向かいました。しかし、例の黒影鷲達が滞在しており戻れる状態ではありませんでした」


 彼は搭の様子を見に行っていたようだ、昨晩言われていたのにすっかり忘れていた。私は彼の報告を聞き何故か安堵した。もう戻らなくていいかもしれない、自由を手に入れたかもしれない。もちろんあの平穏な日々に寂しい気持ちがないわけではないが。


「そう……時間が経てば立ち退いてくれるかしら?」

「難しいですね……どの程度滞在するかも不明ですし、あのまま根城にされてしまうかもしれません。戻るのは賢明とは言い難いですね。それよりも、近くの町を経由して王都へ向かう方が良いでしょう。このような事態になったことは聖王様―――レティシア様のお父上もご存じではないでしょうが、送った使用人達から伝令がいくでしょう」


 確かに、黒影鷲が私の塔を襲撃することは予見していなかっただろうが転移魔方陣で逃がした使用人達がいる。彼女達がこの異常事態を聖王へ知らせに行くはず。


「そうね。塔へ幽閉された身ではあるけれど、きっと父上も保護をしてくださるはずだわ。紛いなりにも、私は王女ですから!」


 こんな醜態だけど、私は一国の王女。無下にはされないはず。


 しかし不安は拭えなかった。追放された私を快く迎えてくれるとは到底思えない。死なない保証だってない。


 これは本当に最善の策と言えるのかしら?


「では、さっそく向かいましょう。……と言いたいところですがまずはレティシア様の体を温めて休みましょう。お食事もとってから出発ですよ」


 ノエルは微笑んで私を洞窟へ導いてくれた。保存してある食事に温かい汁などは期待出来ないが、久しぶりの食事にお腹はすっかりお祭り騒ぎだった。


「よーし! いっぱい食べるわよ!」

「お元気そうで何よりです」


 空腹でも、ノエルが側にいれば元気になれる。私はそれを強く実感した。一人ではない、信頼し支えてくれる人が側にいる。それはとても幸福なことだ。

 そしておいしい食事が出来たなら、それに勝る幸せなど何もないのだと私は思う。


 私たちは洞窟の中で軽い食事をとった。保存食は簡素で、干し肉や砂糖をかけ焼いて乾燥させたパン、乾燥果実、保存瓶に入った水だけだ。

 今まで口にしたことがないものばかりで味も独特だがおいしかった。お気に入りは、乾燥パンだ。サクサクと軽い食感で甘くて手が止まらなかった。ノエルに制止されるまで夢中で食べてしまったほどだ。なんと罪深い味だろう。

 一息ついたところで、ノエルは奥の道具箱から深い青色をしたローブを取り出した。滑らかな布地に小さな花の刺繍が入っている。


「レティシア様、どうぞこちらをお召しになってください」

「わかったわ」


 ローブを着るととても快適だった。暖かいのに重くなく、軽やかだ。


「今のお姿では、王女だというのが一目でわかってしまいます。このローブで姿を隠して移動しましょう」

「ひ、一目でわかるかしら。そんなに威厳あるというか王族らしさはないと思うのだけど……」

「わかります。その美しさは天の女神にも勝ります。まさに王女に相応しい美貌です」

「え、えぇ……そう……」


 ノエルの静かな圧力に私はこれ以上の言葉が出なかった。


 豚のような王女がどこにいるというのか、いやここにいるのだけど。それにしても彼の目は節穴というか何か幻覚でも見ているような気さえしてくる。


「とにかく、ここから一番近い町に行くのね。どのくらいで着くの?」

「馬なら急いで二日、徒歩なら四日かかりますがそれでも最短距離です」


 私たちには徒歩しか移動手段がない。数日なら野宿は避けられない。


「しかし……問題があります」

「問題?」

「先程の食事であと二日分しか食料がありません」

「あっ……」


 私たちは早くも食糧難の危機に直面した。

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