5食目  迷子の迷子の子豚ちゃん

 しばらく走り続け、私達は小さな洞窟の中へ身を隠した。壁一面に灰色の煉瓦が埋め込まれ整っている。森の中の洞窟にも関わらず苔や湿気もなく人の手で管理がされているようだ。


「ここは?」

「私が非常時のために設置した避難所です。数日分の必要物資などを揃えております。今から結界を作動させますので、外からはこちらを視認できなくなります。ご安心ください」


 用意周到ね……非常時がいつか来るとわかっていたみたい。


 私はようやく地面へ下ろされると、足に力が入らずその場に座り込む。私はつい先ほどの出来事が思い出され体が震えた。あと少しノエルが来るのが遅ければ殺されていた。

 ノエルは入り口の壁面に少し触れ、結界を作動させたようだ。目を凝らすと洞窟の入り口に薄い膜のようなものが見える。


「追っ手は来ないようですね。しばらく、ここに身を潜めましょう。まずはお怪我の手当てを」

「ええ。でも、なんで黒影鷲達が塔を襲ったのかしら……それもこんな辺境の土地に現れるなんて。歴史書では見たことがあったけど、実際に見るのは初めてだわ」


 ノエルが奥から箱を持ってきて中にあった傷薬を私の顔や腕の傷に塗っていく。少し触れられただけなのに傷に滲みる。私は声を我慢して耐える。


「そうですね……彼らの狙いは不明ですが恐らく食料や金品でしょう。余程飢えていたと思われます。ただ気になるのは―――」


 傷口を布で押さえ、ノエルは言い淀んだ。


「何?」

「彼らの親玉と思われる者が真っ先に向かった場所が、レティシア様のお部屋という点です。まるで既に知っていたような―――」


 確かに、そう言われてみればそうかもしれない。しかし、私の部屋は塔の一番上。明かりもついていたし誰かが目をつけ狙って来てもおかしくはない。


「考えすぎよ。彼らは賊と同じなのでしょう? ならば、手当たり次第に分散して強奪に向かってもおかしくないわ」

「彼らは賊とは違い、統率のとれた排他的な組織集団です。何か意図があったと思うのが自然ですが……」


 手当てを終えるとノエルは箱を閉じ、近くにあった毛布を私の肩にそっとかけた。夜の肌寒い空気にさらされた体が少しずつ暖かくなっていく。


「……とにかく、警戒するに越したことはありません。今宵はこちらでお休みいただいて、明日は私が塔の様子を見に行ってみます」


 ノエルはもう一つの毛布を折り畳み枕を作ると、私の側に置いてくれた。


「使用人達はどうなったのかしら……私達だけ逃げてしまって……」

「ご安心ください、地下の転移魔方陣にて安全な街へ送っております。何人かの黒影鷲が迫っていた為、やむ無く使用致しました。本来ならばレティシア様を優先すべきところですが……申し訳ありません」


 防御結界だけが張られていると聞いていたけれど、転移魔方陣もあったのね。私には知らされていなかった……それも当然か。私が知っていたら外へ逃げる手段として利用されていたかもしれないのだから。


 転移魔方陣は非常に高度な魔法だ。相互的な作用をする為転移先は固定される。陣を構築するのも難しく簡単には習得できないし多くの魔力も消費する。ただ、魔方陣は予め用意しておけば誰でも使うことができる。恐らく城の高位魔法を使える者が搭の建設と共に設置したのだろう。


「いいのよ。でも、私たちもそれで逃げられたらよかったわね」

「あの魔方陣は使用すると描かれた部分が崩壊する仕組みになっております。これも追っ手がいた場合の、非常事態に備えた防衛手段です」


 あの状況ではノエルも苦渋の決断だっただろう。私を迎えに行っている間に使用人達が殺されていたかもしれない。ならば先に近い者達を逃がして私を自分の手で外に連れ出す方が救える命も多いというもの。


「ノエル、正しい選択をしてくれてありがとう。お陰で私は辛い思いをしなくて済んだわ。人が死ぬのは、もう見たくないもの」


 一瞬、脳裏に昔の出来事が過る。


 目の前で人が死に、自分の無力さを思い知る。そんな経験は二度と御免だ。救える命はすべて救う、何も誰も犠牲になってほしくない。

 実に、傲慢な考えだ。


 私は肩にかかる毛布を握りしめた。その手にノエルが優しく手を重ねてくれる。私の冷えた手にはとても温かく感じた。


「しかし、あの選択はレティシア様に傷を負わせてしまいました。申し訳ございません……」


 月明かりが僅かに差し込むだけの暗い洞窟の中でも、彼がどんな表情をしているのかわかった。今にも泣きそうな顔で私を覗き込んでいる。

 いつも微笑んでいるか難しそうな顔ばかりしていた彼の顔、見たことのない潤んだ表情に不覚にも綺麗だと思ってしまった。


「大丈夫よ、このくらいの傷なんて! それに、貴方じゃなくてあのピヨピヨ男が悪いのだから。気にすることないわ。今日はもう休みましょう?」


 少しだけ緊張してしまったのを誤魔化したくて、茶化しながら横になった。幸い、石の床はそこまで冷たさを感じなかった。


「そうですね……」


 消えそうな声で一言だけそう言うと、ノエルは壁に背を預けて座り目を瞑った。彼も疲れているのだろう。それも当然、私のような巨体を抱えながら逃げたのだから。


 明日からどうすればいいのかしら―――


 私は城から追放された身の上、今さら城に戻れるはずもない。誰も私を必要としていない。どこへ行けばいいのか、何をすればいいのか。頼れなくても、私が向かう場所はこの国の城しかない。


 それとも、このままノエルとどこか誰もいない土地へ―――


 これからのことを考えると眉間に力が入りなかなか眠気が訪れなかったが、それでも疲労が睡魔を誘い、いつのまにか意識は遠く暗闇の中へ吸い込まれていった。

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