3食目 豚、励む

 新たな決意を胸に、いやお腹に一夜明け、私は書庫へとやってきた。

 この塔には大きな書庫がある。その広さは私の部屋の下の階二つ分だ。ここまで量が多いのはこの塔で私が暇を持て余さないためだ。

 用意したのはノエルだ。外に出られない私のためにと無理を言って城の書物をいくつかこちらに移動させたらしい。

 街の店等からも年々買い足していき、その数は星の数ほど。お陰で私はすっかり読書が大好きになっていた。置かれている種類は、一般の物書きが書くような非現実の物語や歴史に関する本、雑学など種類は多岐に及ぶ。


「私の部屋にあるのは物語やお料理の本ばかりだから……まずはここで作戦を立てましょう。えっと……痩せるために必要な本は……これとこれ、あとこれもかしら?」


 今まで痩せようと思ったことがなかった私は、まず知識をつけて正しい方法で痩せていくことを考えた。運動に関する本や食事に関する本など様々な内容の本を手にとっては近くの机に重ねていく。


「それにしてもこれだけの書物をよく移してもらえたわね。新しく揃えたりもしてたみたいだし……ノエルに感謝しなくちゃ」


 書庫は二階まで吹き抜けて天井までは随分と高さがあるが、壁に沿うように作られた階段を渡って各本棚へ行くことができる。私は椅子に腰を掛け、本のページを捲った。古くも懐かしいような紙の匂いがした。


「これは食事についての本ね、何々……なるほど! 野菜は繊維質や栄養を取れるから体の浄化作用があるのね……あ、でもお肉も食べないと筋肉に必要な栄養が取れないのね。うーん、絶食も体に良くないみたいね」


 ぶつぶつと独り言が静かな書庫に響く。私は食事の本や運動に関する本など様々な資料を読み漁った。元々勉強に関しては苦痛ではないし、文字の読み書きが出来ることは貴族以上の階級なら出来て当たり前で勉学に励めるのは喜ばしいことなのだ。

 ましてや、私はこの国の王族。誰よりも博識で知的で有らねばならない。

 この塔に来てからは王室教師ではなくノエルがすべての勉強を教えてくれる先生となった。幅広い分野の中でも彼は優秀だった。


 私は座学に関しては得意な方だったが、実践を伴う勉学は不得意であった。馬術は重さに耐えきれなくなった馬から転がり落ち、弓や剣も大きな体のために上手く扱えず体力もなく、そして魔法に至っては―――

 魔法大国の王女でありながら、私には魔力が全くなかった。

 魔法を行使する為の魔力は誰もが必ず潜在的に保有しているもので、それぞれに見合う力量と属性がある。

 属性は地、水、火、風、空の五つに加え聖と邪に分類されるが、邪については禁忌の魔法として一切の行使が禁じられている。闇魔法と呼ぶ者もいる。

 何故なら、邪の魔法は人の精神等目には見えないものを操るものだからだ。これが蔓延した暁には世界は終わりを迎えるだろう。

 しかし元々、この闇魔法を使える人間はいないので滅多にお目にかかることはない。あるとすれば人以外の魔族と呼ばれる者だけだろう。精霊に呪われた者だとか闇に落ちた者だとか様々な説がある魔族だが、その存在も不確かで誰も見たことがない、らしい。私も搭に籠りきりで、もちろん見たことはない。

 私は食事に関する本を捲りながら思考を巡らせる。


「まずは食事から改善ね……そして筋肉量を増やして引き締まった体に導く……大筋はそんな感じかしら? 野菜中心の生活をして、甘いものは禁止……つらいわね。でも痩せて美しくなるため! 頑張らなくちゃ!」


 鼻息も荒く闘志を燃やしていると誰かが扉を叩く音が聞こえてきた。朝から何も口にしていない私の様子を見に来たのだろう。今の私には食事を摂る時間さえ惜しかったのだ。


「お入りなさい」

「レティシア様、お体の具合はいかがでしょうか?」


 入ってきたのはノエルだった。少しだけ眉尻が下がって心配そうな顔をしている。


「特に問題ないわ、集中すると空腹が遠退くみたい。でも、お昼には食事をいただくわ。体に良くないみたいだから。あと、食事の量は控えめにお願いね!」


 私は調べた本をノエルに見せ、少し自慢して見せた。安心したのか彼の表情が柔らかくなったようだった。


「左様でございますか。お忙しいのでしたらこちらにお持ちしましょう」

「助かるわ、でも夕食は私の部屋にしましょう。いくつか本を持っていくから」

「はい、かしこまりました。ところで、レティシア様……何を調べていらっしゃるのですか?」

「ふふふ、よくぞ聞いてくれたわ! 私は、痩せるための勉強に勤しんでいるのよ!」


 私は積み上げられた本の山々を背景に胸を張って見せた。


「そうでしたか、それにしてもすごい量の本ですね。いい方法は見つかりましたか?」

「そうね、基本的には現状の見直しが必要だとわかったわ。食事の管理と適切な運動。それから私の体について調べる必要があるわ」

「体について調べる、とはどのようなことでしょうか?」

「それはね、これよ!」


 私は机の上にある長い紐を手に取って見せた。細かく線が入っており長さを計ることができる。


「それは計測帯ですね。なるほど、それで体の大きさを計るのですね。では私もお手伝いいたしましょう」

「ありがとう、でも―――」


 恥ずかしいからやめて、と言おうとした私は有無を言わさず計測帯を奪われ、あっという間に背後を取られる。風のように素早い動きで避けることはできなかった。


 こんなところで超人的な身体能力を発揮しなくてもいいのに!


「ノ、ノエル! 待って! 待ちなさい!」


 彼の手が胸を前方から後方へ撫で付ける感覚に肌がぞくぞくと鳥肌をたてる。もちろん、彼には下心などないのはわかっているが乙女としてはこの上なく恥ずかしくくすぐったい感覚だ。


「ご安心ください。このノエル、寸分違わず計って見せます」

「そういうことじゃなくて! ひぃー!」


 もうされるがまま、私は少しだけ愛玩動物のような気持ちでこの時間が過ぎ去るのを堪えた。




「―――計測はこれで完了です。数値はこちらの本に記録しておきますね」

「あ、ありがとう……」


 緊張からか息が乱れてしまい少しふらつきを覚え、机に手をついた。真面目な彼を責めるわけにもいかず、私の乙女心は弄ばれたままに終わった。

 しかし、これで体の大きさは判明したわけだ。もう服を破ってしまうこともないだろう。


「さて、どのくらいなのかしら―――え!?」


 私は本を手にしてわなわなと手が震え、書き記された数値に愕然とした。どれも我が国の女性の平均的な大きさを遥かに凌駕していたのだ。


「こ、ここここれはどこかの酒場のおじさまの数値ではないの!? 書き間違えとか!」

「いいえ、確かにこれはレティシア様のお体の数値です。私はそんな汚ならしいどこぞの男の体を隅から隅まで調べたことはございません」


 一瞬、彼は自分がその汚らしい男を調べる様を想像したのか汚物でも触っているかのような苦い表情を浮かべた。


「そそそそう、これは私の……まぁいいわ。真実は受け止めないとね。うん、これからよ!」


 少し……いや、多大な衝撃を受けた。こんなに凄まじいとは。鏡を見て薄々は気づいていたけれど、ここまでとは思わなかった。

 あぁいっそおじさまになれたらこんな思いをしなくて済むのだろうか―――きっと世界は薔薇色、かもしれない。

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