2食目 腹が減っては戦はできない

 自室に戻った私は、窓辺の椅子に座って悲嘆に暮れていた。気のせいかもしれないが、いつもより椅子が悲鳴をあげている気がする。

 自分の体型のことなんて、今まで考えたこともなかった。使用人達や、一番側にいてくれたノエルさえ何も言わなかったし私は生活に困るようなこともなかった。しかし、私に関わる人々は不快に思っていた。もしかすると、服が破けるなどの損害の他にももっと迷惑をかけていたかもしれない。

 込み上げる苦しい感情を喉の奥でぎゅっと押し殺した。

 酷いことを言われた。侮辱されている。ぐるぐると自分の中であの言葉が繰り返される。


 豚姫―――


 窓から空を見上げると既に空は黒く塗り潰され、星が瞬いていた。

 夜空はいつもと変わらずに美しく優しい光で地上を照らしていた。自室に籠ってから随分と時間が経ってしまったようだ。


「綺麗な空、まるで私とは正反対なのね……」


 静寂が支配している孤独な部屋に扉を叩く音が響いた。


「ノエルね、お入りなさい」

「失礼いたします。夕食のお時間が過ぎておりますが……」


 彼は遠慮がちな声で訪ねる。きっと彼は知ったのだ、使用人達の話を私が聞いたのを。

 彼はいつも優しかった。幼い頃から側にいて、私の世話を熱心にしてくれていた。そんな彼をまるで兄のように慕って、甘えて、頼っていた。

 少し俯いて顔を隠す。今はショックで彼の顔を見ることができない。見ればきっと涙が溢れてしまうだろう。

 主人である自分のそんな様を見せるわけにはいかなかった。これは私のお粗末なプライドだ。


「レティシア様が夕食をお忘れになるはずがありません。お茶のお時間も半ばでお帰りになられましたね。お体の具合が悪いのですか?」

「……意地悪を言うのね、貴方は。知っているでしょ? 私が使用人達からどんな風に思われ侮蔑されているか!」


 あぁ、ついに顔を上げてしまった。


 途端にぽろぽろと涙が止まらなくなって、顔をぐしゃぐしゃにしていく。更には鼻水も出て王女の威厳も何もない。ただの不細工な豚に成り果てる。


「はい、伺っております。使用人達には今後立ち話を控えるよう指導し―――」

「そうじゃないの! どうして誰も何も言ってくれないの!? 私がおかしいなら言ってくれればいいでしょう! こそこそ裏で侮辱しないで教えてよ! 貴方だって、本当は私のことを―――」


 私は込み上げる怒りのような悲しみのような、ぐちゃぐちゃとした感情を言葉に乗せてノエルにぶつけた。彼は少し悲しげな顔をして言う。


「レティシア様。私は、レティシア様のことをとてもお美しいと存じ上げます。それは昔から変わらずに――どうか、お食事をとって下さい」

「昔とは違うわ。今の私はただの醜い家畜同然。食事もいらな―――」


 言いかけて、空気を読まない胃袋から悲痛な叫びが響いた。情けないことに、私は空腹で仕方がなかった。


「……仕方ないわね、食事はとるわ」


 恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じていると、ノエルは微笑んで食事をテーブルに配膳してくれた。私が空腹なことを既にわかっていたのか、廊下まで運んで準備をしていたようだ。


「では、お食事が終わりましたらいつでもお呼びください。廊下に控えております」

「えぇ」


 ノエルが出ていくと再び部屋に静寂が訪れた。私は涙と鼻水に濡れた顔を食事と共に添えられた手巾で拭った。いつもはそこにない手巾を見つめる。ノエルの個人的なものだろう、真っ白で汚れのない布地は柔らかかった。


 こんな手巾を渡すなんて、ノエルは優しすぎるわ。


「私のバカ……なんでお腹が鳴るのよ……! 恥ずかしいったらないわ!」


 食卓につくと、食欲をそそる匂いが鼻腔から脳に沁みていく。

 香ばしく焼き上げた鶏肉、甘味のある芋のスープ、色鮮やかな生野菜、焼きたてのパン……そして食後に頂くオレンのケーキ。


 私の好きなものばかりだ。


 そっと鶏肉を切り分けて口に入れると香ばしさとこってりとした甘辛いタレが口いっぱいに広がり、そこからはもう手が止まらなかった。




 すべて食べた私はノエルを呼んで食器を下げてもらった。去り際、彼は一言だけ言った。


「レティシア様、どうか、お忘れにならぬよう。貴方の強さは、逆境さえも跳ね返す頑強な心にあります。このようなことで折れてしまうほど脆いものではございません」


 彼は微笑んでいたが、紫に輝く瞳の奥から強い意思のようなものを感じた。

 扉が閉まった途端、体に電撃が走ったような感覚を受けた。


 そうだ……誰かに侮辱されたからなんだというの? その人が私の何を知っているというの?

 私の事なんて何も知らない、そんな人に好き放題言われて評価されたままでいいの?

 私はこの国の王女、レティシア・フェリ・デエス・ヴァンディエールなのよ!


 私は再び風呂場の鏡の前に立ち、自らの体を睨み付ける。醜悪な体も今は心を切り裂く刃ではない。


「今に見てなさい! その汚名、晴らしてやるわ!」


 体の奥から活力が溢れてくる。握りしめた拳を鏡に叩きつけた。鏡はひび割れ、みしみしと音を立てていくつかの欠片が床に落ちた。

 負けたままおずおずと引き下がるほど、私はおしとやかではない。


「豚姫なんて呼ばせないわ!!」


 勇ましい言葉とは裏腹に、たらふくしまいこんだはずの食べ物はどこへいったのか。腹部から空腹の号令が響いた。


「そ、その前に、腹ごしらえをして作戦を立てるわよ!」


………腹が減っては、戦はできない。

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