1食目 豚のお姫様

 広い庭の片隅、整備された花壇には美しい色とりどりの花が我が一番と競うように咲き誇る。そんな傍ら、白いお茶会テーブルを囲む。紅茶の香りが鼻腔を通し身体中に染み渡り、安らぎを感じて過ごすいつもの午後だ。

 私はこのゆっくりと流れる時間がこの世界で一番素晴らしい時間であり、愛すべき時間であると思う。

 そう、甘いお菓子と共に過ごすこの時間を。


「これは何というお菓子かしら、おいしいわね!」


 私は小さく丸い、淡い色をしたお菓子を口に運ぶ。ほどけるような軽やかな食感と間に挟まれたクリームが絶妙だ。


「それはマケロンというお菓子だそうです。お気に召しましたのなら、またお取り寄せ致します」

「是非そうして! あ、この間のオレンのケーキもおいしかったわね……柑橘の香りが堪らなかったわ!」


 私は数日前に食べたオレンのケーキの味を、空を見上げながら思い出した。ゆったりと流れる白い雲と澄んだ青空が広がり心を穏やかにさせてくれる。


「いい天気ね……素晴らしいお茶の時間だわ。ここは天国かしら?」


 自分で言った冗談が照れ臭くなり、隣に佇む彼に笑ってみた。


「そうかもしれませんね。私は、レティシア様がいらっしゃるところであればどこでも天国でございます」


 ノエルは穏やかな笑みを浮かべながら、空になったカップに紅茶を注いでくれた。

 彼は私の執事だ。絹のように美しい黒髪、端正な顔立ち、物腰も柔らかくどこから見ても美青年だ。

 彼は幼い頃から私の側に仕えていて、他の使用人達の総括している。いつから一緒にいたのかはっきりと覚えていないが、物心ついた時には既に彼は私の執事だった。

 長い時間を家族のように過ごしてきたため、美麗ながらも男性を感じる顔立ちや長身の体格にも関わらずまるで兄妹のように思えて、私はときめきを覚えることがない。

 勤勉な彼は常に仕事に対して手を抜かず、主人である私のこととなれば尚更だった。その厳しさから使用人達からは鬼だ悪魔だなどと言われているらしい。それは彼にとっては些細なことのようで、まったく気にする素振りもない。

 執事としてもさることながら、護衛としても彼は敏腕であると噂好きな使用人達から聞いたことがあった。最も、争いとは無縁なため彼の敏腕さを確かめられたことは一度もないのだが。

 ざわっと風が吹き、私の頬を心地よく撫でていく。

 平和の絵画を切り取ったようなこの場所は、私が住む塔の庭だ。気がつけば、ここに住み始めてから長い年月が過ぎていた。

 古来より続く由緒正しき魔法大国、イグドラシル聖王国の王女であるにも関わらず、城に住むことは許されず、身の回りの世話をする一部の人間だけを傍に置き静かに誰にも知られずに暮らしている。私が望んだことではないけれど、この暮らしはとても快適で居心地がいい。

 この塔に暮らすきっかけとなったのはこの国の聖王、つまり私の父上からの命令だった。聖王は私のことを太って醜くなったと言い放ち、国民の目から遠ざけるためこの塔へ私を追いやったのだ。

 高々と聳え立つ塔とそれを囲む高い塀。普通の人間では庭を覗きこむことも乗り越えることもできない。当然、出入り口と思われる扉には施錠がされている。

 この塔の上から見える景色は、どこまでも続く森と草原、目に見える範囲にはどこにも人は住んでいない。私を隔離幽閉するには申し分なかった。

 ほんの時々、私は塀をぼんやりと見つめることがあった。


 塀の向こう側にはどんな世界が広がっているのだろう?

 どんなおいしいものや幸せに溢れているのだろう?


 この世界について知っているのは私の閉じた世界だけ。

 しかし、ただそれだけで幸せなのだ。おいしいものが食べられ、何も不穏なものがない私の世界。

 確かに体型は少しふくよかだと思うが醜くなんてないし、生活に何も問題ない。肌荒れもないし風邪もひかない。それに、平和に暮らすことが何より大切だと自負している。


「ねぇノエル、私……」

「はい、レティシア様」

「……ちょっと失礼するわ! そのマケロン見張っておいてね!」

「はい、この命に代えても」


 律儀なノエルの声を背に、私は走った。芝生が抉れながら後ろに飛んでいく。どうやら、紅茶を飲み過ぎたようで急激に尿意が迫ってきた。

 慌てて塔の中へ入ると御手洗いを目指して最短距離を走る。塔の中は見た目とは裏腹に広い。調理場や洗濯場、塔に仕える数人の使用人達の寝床などもここにある。

 本来は最上階の私専用の御手洗いに行くのだが、今回は急いでいる。慌てて使用人の御手洗いで用を足す。


「はぁぁ~間に合って良かったわ~」


 手を洗い廊下に出ると少し先の廊下で使用人達が集まって何やら話しをしていた。例の噂好きな彼女らだ。


 何か楽しい情報があるかもしれないわ。


 あまり娯楽のない塔の中ではこういった噂話というのが楽しみの一つなのだ。

 彼女達からは死角となる柱の影からそっと様子を伺う。


「ねぇ聞いた? また大きくなったって話し」

「聞いたわよ! ほんと大変なことだわ……」


 大きくなった、とは何か植物だろうか。たしかに、庭に植えられている木にはいくつか大きなものがある。落葉樹は落ちてくる葉の量も多くなるから掃除が大変といったところか。

 私はうんうん、と頷いた。


「あんな体型して、自分の体の大きさもわからないみたい。着るときに無理したものだから破れちゃったのよ。あの服は特注だから、また町へ行って依頼しなくちゃ。まったく……これだから豚姫様は!」


 私はいつの間にか彼女達の前に姿を現してしまっていた。いや、最初から隠れられてなどいなかったのかもしれない。


「レティシア様!? あ、あの……今のは……!」


使用人達は私の姿に驚き、血の気が引くような顔をしてしどろもどろになっている。


「服って私の服……? 豚姫様って、何かしら……」


 私は茫然自失とした。同時に、つい先日のことが思い出された。服を着る時に少し無理をしてしまい、繋ぎ目が上から下まで破れたことがあったのだ。特注だと聞いていたが、それは私がこの国の王女だからだと思っていた。

 しかし違ったのだ。服が特注をしなければならないほど大きかったのだ。


「豚姫様というのは、その……仕立ての者が……」

「仕立て人が、私を豚だと?」


 私は俯いて聞いた。どうしても顔を上げることができない。彼女達の申し訳なさそうな表情を直接見れば、さらに惨めになりそうな気がして。大きな木槌で殴られたように意識が揺らぐ。


「そうです! ……あっ! いえ、そうではなく、えっと……」

「もういいわ。仕事に戻りなさい」


 私は少しふらつきを覚えながら、その場を後にした。

 自室まで直接最上階へ繋がる魔法乗降室がある。両手を広げたほどの大きさの魔方陣に乗ると、最上階へ繋がる。階段など使う必要がない。

 最上階について廊下を渡り自室に入った私は、扉を力なく閉じる。


「私、そんなに太ってるのかしら……確かに、少しふくよかではあるけれど……」


 この部屋に唯一ある鏡。浴室の大きな鏡の前まで来て自分を見つめる。


「私が豚……いやきっとこの服のせいだわ、そうなんだわ!」


 私は着ていた服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿をそこに写した。

 まるで朝陽を浴びて輝く麦畑のように美しい金色の髪、透き通るような白い肌、深い母なる海のような瞳……どれをとっても大国の王女に相応しい風貌だった。いくつかを除いて。

 丸々とした輪郭に添えられた二重の顎、丸太を思わせる胴、はち切れそうな脚、肉の重なった膝と首のない足首。

 そこにいるのは、まるで……


「豚……」


 私はがっくりと膝をついた。


 冷たい石の床についた膝が、痛い―――


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