第37話
「風邪ひいたのか?」
咲とのメッセージのやり取りを終えた治が真っ先に抱いた感想は、それだった。
突然風邪の話題を切り出したのだから、それを疑うのは当然だろう。
治は、一時執筆の手を緩め、椅子の背もたれに深く腰掛ける。そして、改めてメッセージを確認する。
やはり、風邪の話は何の脈絡もなかった。
(……飛野、絶対これ何かしらあっただろ)
咲の抜けた性格と真面目な性格からそう結論付けた治は、すぐに出かける準備を整えた。
何もなければ、杞憂で済むだけ。治が恥をかくだけで済む。何もしないのが一番の問題だった。
治はそれから、メッセージをいくつか送った。
『風邪ひいたのか?』
『もしそうなら、何か買っていこうか?』
だが、返事はなかった。
いよいよ心配になった治は直接行くことを決意した。
(休日に……女性の家にいきなり押しかけるってのも失礼、だよな? ……嫌われないといいんだけどな)
治はそう考えながら近くのコンビニに行き、スポーツドリンクや冷却シート、消化のよさそうなうどんなどを購入した。杞憂で終わった場合は、治の夕食や風邪をひいたときに使うだけだ。
それからマンションへと移動する。
マンションに入れるのは、入居者だけだ。
入る手段は二つあり、一つは管理人に連絡を取る、もう一つはマンションに入ってすぐにある機械だ。
治は咲に改めてメッセージを送ったが、反応はなかった。
治は機械の前に立ち、数字の並んだそれをじっと見る。
来訪者の場合は、部屋番号を入力することでその部屋の主に連絡が取れるようになっている。その操作で開けてもらう必要があった。
咲の部屋番号を思い出しながら、入力する。
しばらくして、反応があった。
『はい、どなたでしょうか?』
ガラガラの声であり、どこか寝ぼけたような声だった。
治はそれで予想が当たってしまったのだとわかった。
「……あー、島崎治だ。その、大丈夫か?」
『え!? し、島崎さん!? ど、どうしたんですか?』
「……いや、わざわざあんなメールが来たから風邪でも引いたのかと思ってな。その、コンビニで色々買ってきたんだ」
コンビニの袋が見えるようにモニターの前に見せると、咲が息をのむのが分かった。
『……風邪、ひいたと分かってしまいましたか?』
「あんなメールがいきなりきたらな。必要があればと思って色々持ってきたんだが、届けにいってもいいか?」
『……ありがとう、ございます』
咲との通話が切れ、自動扉が開いた。
それから治は咲の部屋がある十階へと向かい、彼女の部屋のインターホンを押した。
まもなく、扉が開いた。チェーンロックを外しながら、咲が現れた。
顔の半分ほどをマスクが覆っていたが、見える場所だけでも真っ赤になっていた。
見るからに体調は悪そうだった。パジャマのボタンがいくつか外されていたのは、熱さ故だろうが目のやり場に困ってしまった。
今はそんな咲のあられもない姿を見るために来たわけではない。
一度咳ばらいをし、自分を叱咤した治は、それから袋を咲へと見せた。
「これ、必要そうなもの色々買ってきたんだけど、他に何か必要か? あれば今から買ってくるが」
咲が袋の中を覗き込み、それから目を緩めた。
「ありがとう、ございます……良かった、冷却シートなかったんですよ」
「……それなら良かったよ」
「……ありがとう、ございます」
咲は熱が出ているのもあって、顔は常に赤かった。その目元がとろんと緩んでいるのも風邪が原因だとはわかっていたが、妙な色っぽさがあった。
治は鼓動が早くなるのを感じながらも、それを叱りつけるようにして抑える。
「あっ、中に入ってください」
「あ、ああ」
咲がにこりと目元を緩めたので、治はうなずいて家へとあがった。
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