第36話
その名前を見るだけで、まるで治の声が脳内でふわりと響いた。
彼の優しい声を思い出し、聞きたいと思ってしまった。
何度もその文字を見て、メッセージをうちこんでは、消してを繰り返す。
咳が出るたび、『会いたい』、という気持ちが強くなっていた。
一人でいることによる寂しさもあり、咲の中で治に会いたいという気持ちが強くなっていく。
しかし、ここで治に連絡を取るのは、治に対して悪い気がしてならなかった。
(……昨日のせいで風邪をひいた、と言っているかのようです、よね。……それで、嫌な女、とか思われたら嫌ですし……そもそも、こういうときに寂しいから……会いたいとか、それって重い……ですよね?」)
治に連絡を取らない理由はそんなところだった。
咲は首を横に振ってから、スマホであることを調べていた。
調べたのは、「体調不良のときに家に来てほしいと誘うのはどうなのか?」というものだった。
色々なサイトを見て回り、咲なりに考えていく。
それからしばらくスマホを弄っていた咲だったが、くらっとした眩暈のようなものを覚え、スマホを置いた。
枕元に置いていたよろよろと体温計へと手を伸ばし、熱を測ると38.5という数字が出た。
先ほどまでは37℃後半であったのに一気にあがってしまった。いざ、数字となって見せつけられると不安が増していた。
枕元に置いたスマホを見て、同時に治の顔が浮かんだ。
「……ちょっと、だけ、メッセージとか……送ってみましょう、か?」
一度そう考えてからは早かった。咲は、すぐに治へとメッセージを送る。
『すみません、島崎さん、休日に、少しいいでしょうか?』
『なんだ?』
三分ほどして、メッセージが返ってきた。
それを見て、口元が緩まる。咲は続いてメッセージを打ち込む。
『島崎さんは昨日の雨の後、風邪とかはひいていませんか?』
『大丈夫だ。飛野は大丈夫か?』
そのメッセージを見た後、咲はぎゅっと唇を噛んだ。来てほしい、顔が見たい――そんな言葉はぐっと飲みこんだ。
首を横に振ってから、メッセージを送った。
『はい、特には。今日も雨が強いので、お気を付けください』
『そうだな』
咲はそのメッセージを見てから、目を閉じた。
呼吸を僅かに乱しながら、ゼリー飲料を口にした。
(うん、わざわざ来てもらうなんて……やっぱり悪いですよね。私たちは……友達ですからね。それでわざわざ会いたい、なんてちょっと変ですよね……でも、昨日は――)
『飛野との関係についてとやかく言われても俺はむしろ嬉しいくらいだ』。そう彼は言った。
その言葉には一体どのような意味がこもっていたのだろうか?
(……島崎さん、私みたいな男慣れしていない人の気持ちも考えてください。色々、期待しちゃうんですから――)
それについて咲はぼーっと考えながら、愚痴をこぼす。
少なくとも咲は、昨日の時点で彼に対しての気持ちを自覚していた。
一緒にいて楽しい、治が笑うと嬉しくなる、歩いているだけでもそれが存分に理解できた。
だから、咲はあの時、とっさにあのように気持ちを暗に伝えられた。その後すぐに、誤魔化してしまったが。
(誤魔化さなかったら、どう答えてくれていたのでしょうか? ……島崎さんは、どのように考えてくれていたのでしょうか? 嫌われては、いないと思いますけど……その先は、分からない、ですね)
そこまで考えて、ゴホゴホと激しく咳をしてしまった。
朦朧とした意識の中で、咲は自分にとって都合の良い返答ばかりを思い浮かべていた。
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