第35話


『……ねぇ、咲っち、大丈夫?』

「だ、だいじょうぶ……です! ごほ!」


 次の日の朝。

 咲は発熱した。治の心遣いむなしく、咲は体調を崩してしまったのだ。

 

 真由美の心配そうな声を聴きながら、咲は電話に出たことを後悔していた。

 無駄に真由美を心配させてしまったからだ。すべて、メッセージでやり取りを済ませれば良かった。今さらながらにそう考えていた。


『絶対大丈夫じゃないよね? 一人暮らしなんだし、色々大変でしょ? 私いこっか?』


 咲はぼーっとする頭でぶんぶんと首を横に振った。


「だ、大丈夫ですから……風邪をうつしてしまったら悪いですし」

『もう、そんなの気にしないでよ。風邪ひいたら学校休めばいいだけだし!』

「それは失礼ですよ! せっかく高校に通わせてくれた真由美の両親に、合わせる顔がありません!」

『そ、そんな重く受け止めなくてもいいんだけどなぁ』

「それだけのことなんです私にとっては。……そもそも、この風邪はいうならば、私の甘えが生み出したものなんですから」

『まあ、そりゃあそうではあるんだけどね……そうだ、せっかくなら島崎くんにお見舞い頼んだら?』


 真由美の突然の申し出に、咳き込む。今の咳は風邪が原因のものではない。


「そ、それはもっと失礼じゃないですか! 第一、昨日の今日ですよ!? まるで、おまえのせいだ! って言っているみたいじゃないですか……!」

『別にそんなに気にするようなことじゃないと思うけどね? むしろ、これですぐ来てくれたらそれだけ思っているってことだと思うよ?』


 治が現在どのように考えているか、それを測る目安になる。

 それはつまり、逆のパターンもあるわけで……咲は唇をぎゅっと噛んだ。


「……もしも、来てくれなかったら寂しいじゃないですか」

『……あははっ、そっかそっか。分かったよ。それじゃあ、手短に聞きたいんだけど……昨日はどうだったの? うまくデートできた?』

「そうですね、一切のミスはなかったと思いますよ」

『傘忘れたって言ってたじゃん』

「そ、それは――それ以外は特にミスはありませんでしたよ!」

『それなら良かったよ。……それで、楽しかったの?』

「…………楽しかった、です。はい、とても」


 咲は自分の気持ちに素直になって答えた。治の話を聞いていて楽しいし、何より気兼ねなく話ができる。

 楽しい以上に、安心できる、落ち着くといった感情が強かった。


『そっか、それなら良かったよ。浮かれすぎて熱が出ちゃったのかもね』

「そ、そんな情けない理由ではないですよ。ただただ、雨に打たれてしまっただけですから」

『そうだね。とにかく、うまくいったようで何より。体調悪いのは分かったし、これ以上電話はやめるよ。お大事にね?』

「……はい。真由美も風邪には注意してくださいね」

『大丈夫、大丈夫』


 真由美の朗らかな笑い声を聴けなくなり、途端に咲は寂しさに襲われた。

 それを誤魔化すため咲は這うようにベッドから抜け、ゴミが増えてきた部屋を移動していく。

 かさかさと移動していった咲は冷蔵庫をあけ放った。ふわりと冷蔵庫から漏れ出る冷気が、ほてった体には心地よい。

 咲はしばらくそれを満喫した後、ずらりと並んだ栄養補給用のゼリー飲料を眺める。


「ふ、ふふん……こんなこともあろうかとカロリー摂取のためのゼリー飲料は大量に備蓄してあるんですよ……っ」


 普段から自堕落な生活をする咲は、これで食事を済ませることも少なくない。

 ただし、熱が出ることなどは想定しなかったため、冷却シート等は一切ない。

 ゼリー飲料を四つほど取り出し、再びベッドへと戻った咲は、ふらふらとする頭でスマホを弄っていた。


「……」


 そして、じっと見ていたのは『島崎治』という文字だった。

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